緋色の結末

安室はこれまでになく難しい顔をしていた。
自分の意思で巻き込んだものの、まさかFBIと一緒に少年がこの学校へ来るとは夢にも思っていなかった。彼女が関わっていると知れば小さな頭をフル回転させて尻尾を出してくれないだろうし、きっとFBIに助言をする。ベルモットに代役を頼もうか悩んだが、依頼人に名前と2人で護衛をすると豪語してしまっている手前、別人を連れてくるには後々矛盾が生じてしまう。

「一応未成年ということもありますし、時間が遅くなり過ぎてしまったため貴方は居なかったという体で話を進めるつもりですが、納得いただけますか?」
「わかりました。実は今日、予定があったので助かります」

複雑な表情が気になったものの、名前を探偵事務所へ送り届け、一足遅れて戦場へ脚を踏み入れる。
ショータイムの幕が上がった。きっと次に彼女に会う頃には忌まわしい男は地獄へ送られていることだろう。





△ ▽ △ ▽





「私に何か御用でしょうか」

一度探偵事務所へ身を置いて、白い国産車が去っていくのを窓から見届ける一連の流れを向かいのビルから見守っていた。3階へ上がる途中に感じた気配に、名前は動じることもなく鈴の鳴るような声を上げる。

「これが悪い奴の変装だったらどうするつもりだった」

悪い奴とは笑わせてくれる、きっと彼女にとってこれから1番の悪者になるのは自分だろうに。この後恋人を騙そうとしている。

「さきほどお見かけした大学院生の知人は右手でスマートフォンを操作されて居ましたし、物騒な手はしていなかったから」

あの気障ったらしい男の車の助手席から沖矢昴を見つけることができ、背格好や癖だけでそれが偽物であると認識できるのならばFBIに来ればいい。そんなことは断じてさせないが。

「君に頼みがある。俺と一緒に来てくれないか」
「私は…誰の味方もできません……」

数段上から振り返った瞳は涙こそ溢れていないが泣いている。縋って来てくれれば存分に甘やかしてやったのに、唇を噛みすぎて血が滲み出しそうだったので先に馴染みの博士の代物を手に取った。

「君が交渉の駆け引きにされると暴走する人間が多数出現するのでな」

閉じられた瞳から今度こそ雫がこぼれ落ちる。崩れる肢体を受け止めて、滑らかな頬を伝う水分を指で拭う。確かにただの理系の大学院生にしては豆だらけの左手だった。



名前が次に目を覚ましたとき、ことは既に済んでいた。感動の再会を果たした同僚を見送り広い洋館の一番奥の部屋へ駆け込めば、ぷっくり頬を膨らませてこちらを睨む愛しい天使の姿。そんなものでは赤子すら泣き出さない。

「最初から博士の家に連れて来てくれればよかったのに」
「君は大人しく言うことを聞かないだろう」
「コナン君も貴方も私の非力さを知っている筈です」

姉のように武術を学んでいる訳ではないし、あの少年ほど頭が切れる訳でもない。けれど力を持つ人を不用意に動かしてしまう力は、この少女がずば抜けて上位の階級を取得している。ミステリートレインでの惨事が良い例だ。

「彼は…無事ですか」
「怪我人は最小限に抑えられた。死人は出ていない」
「赤井さんが戻って来て本当によかった」

鈴を転がしたような優しい声色が頭の中を支配する。先の心配があの男の安否だったことがどうでもよくなってしまうほど、向けられた笑顔が眩しい。

「新ちゃんパパにお祝いの言葉を直接お伝えできたのでゆるします。それからキッチンを貸してください」

許すだなんてこっちの台詞だ。そしてやっぱりこの女は俺に甘い節がある。それでも、自分に背を向ける彼女を今度こそ腕に留めておくことはできなかった。まだまだ奪い返す機会はそこかしこに転がっている。





△ ▽ △ ▽





結論から言って、沖矢昴は赤井秀一ではなかった。それにしては納得のいかない、もどかしい結果を得ることとなってしまった。組織の中にいた頃だって、奴はいつだって自分の上を行っていた。志は同じはずなのに同じ土俵にすら立てていないような気がして悔しさから身体がどうにかなってしまいそうだ。どちらが悪でどちらが善なのか、先刻まで自分は後者であると信じて疑わなかった。

「降谷さん、事後処理は引き受けますのでどうかお休みください」
「…あぁ。すまないが頼む」

愛車に戻るまでの距離が非常に長く感じられる。後輩たちの労いの声すら聞こえないくらいには心を抉られているらしい。
きっと今、俺の背は情けなくへこんでいる。


交差点を曲がり5丁目に入って来た時、すっかり暗くなった喫茶店の前のガードレールに愛しいシルエットを捉えた。車を降りて薄い肩に手を置くと、ふにゃりと柔らかい笑顔が向けられる。

「おかえりなさい」
「……また風邪を引きますよ」

窓から自宅へ侵入してその顔を一目見ることができればそれでいいと思っていたのに、天使はポアロの前で俺の帰りを待っていたらしい。ひんやりとした衣服の感触からずいぶん長い時間を外で過ごしていたことが読み取れる。透かさずジャケットを彼女の肩へ掛けて背をさすった。

「今日は長い1日だったでしょう?お疲れ様でした」

そんなあなたにご褒美ですと右手を彼女の小さな手に包み込まれたと気付いたのは惜しくもそれが離された後の事。可愛らしく包まれた袋の中ではクマの形をしたクッキーが笑っている。彼女は一体何を知っているのか、今日は何処にいたのか。聞きたいことは山ほどあるはずなのに、口をつく言葉が皆目見当たらない。降谷は安室透がいつだって饒舌な好青年であることを忘れてしまったのだろうか。


米花町2丁目の洋館には微かに名前の匂いが残っていた。そして彼女の髪の毛に残るこの煙草の匂いも、きっと。
名前の細い身体を腕の中に抱きとめる。組織も赤井もいない世界で名前と夢を見続けることができたらどんなに幸せだろうと泣きたくなった。現実逃避なんてらしくないことをしてしまうくらいに、今回の件には参ってしまっている。

「今から俺の家にこないか」

酷く情けない声だったと思う。それでも今は1秒でも長く彼女と一緒にいたかった。安室透の家ではなく、組織の息遣いを感じることのない降谷の家で、全てを忘れてこの柔らかな温度に触れていたい。

「君に触れたい。名前、お願いだ」

弱みを見せたくなかった。いつだって格好良いと思ってもらいたかった。だけど、降谷零はとても弱くて脆い。君がまだ知らない俺は、君と時を多く過ごしている安室透とは全く別の人間なんだよ。手にかけて来た人間の数は一般人とはかけ離れているのに、本質は大切な人の死を恐れるただの弱いひとりの一般人だ。
こんな恋人に辟易として目を見開いている彼女の姿が簡単に目に浮かんで、すぐに背中を向けてしまった。

「すまない、今のは忘れてくれ」

これまで寄り添ってこなかったのは自分だった。何を今更都合の良いことをなんて思われたかもしれないという憂いは、このあと彼女の一言によって一瞬で消えることになる。名前の枝のように細い腕が、腰に回った。遠慮がちなその力加減がいじらしい。

「貴方のこと、できる範囲でいいので教えてくださいますか」
「…その言葉、忘れるなよ」

本当にこの少女には敵わない。星空の元、たったひとつこの地球に残った愛しい存在に小さなキスを落とせば、世界にたった2人しか存在していないような感覚に陥ってしまう。
今夜だけは夢をみても許されるだろうか。

マツダのエンジン音が澄んだ夜風を切って天使を野獣の根城へ連れ去った。

20210107
緋色の結末

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