風柱様、血鬼術にかかりました

何度振り返ってみてもあの日は風柱にとって確かに修羅だった。

「さねみさん、いっしょにおねんねして?ひとりじゃさみしいの…」

不死川実弥は目の前で大きな瞳をうるりと揺らす女性を前に、瞬きは愚か、息をすることも忘れてしまった。常駐している深い呼吸が止まったのは何年振りだろうか。幾多の隠が鼻の下を伸ばしながら覗いている扉をピシャリと閉める。その勢いのあまり、扉の木目にはヒビが入っていた。

「…テメェは俺を殺す気かァ」

名前が蝶屋敷へ運ばれたという一報を聞きつけ、実弥は読んで字の如く風のようにやってきた。自分の看病くらい自分でこなせるだろう彼女が態々蝶屋敷へ運ばれたとなればよほど重度の病に倒れたか、鬼が関与している可能性が高い。
そうして目を血走らせながら急いで駆けつけた俺に飛びついてきた女の姿には我が眼を疑った。そこには間違いなく名前が屈託のない笑みを浮かべて、俺を見上げている。
無事じゃねえか…。酷く安堵したのも一瞬のことで、すぐに違和感に気が付く。今日の彼女の中身はまるで幼な子のようだ。口から出る言葉も可愛らしく舌が足りていない。

「だって、よるになるとおへや、くらくてこわいんだよ?しのぶさんもおしごとにいっちゃうし…」

くいくいと羽織の裾を柔く引っ張り誘惑するような仕草に天を仰ぐ。己の理性をどうにか繋ぎ止めるよう、奥歯を何度もギリッと噛み締めた。
どういう訳か中身は幼女になってしまっているらしい名前は俺を記憶の中の近所に住む知り合いだと認識しているらしく、姿を見るなりころりと懐いた。顔の傷も怖がらずに距離を詰めてくるのでこちらがたじろぐ始末である。そして何より恐ろしいのは無邪気で素直な名前の言葉が、色香を含んだ女の姿で発せられているということ。普段の、隊士と一定の距離を取るような丁寧な言葉遣いとは打って変わり、男を翻弄するような発言はもちろん俺の脳をどろどろと音を立てて溶かしてゆく。

「さねみさんがだめっていうなら、ぎゆうさんにたのむもん…」
「オイふざけんなァ。アイツはダメだ」
「でも、ぎゆうさんはいっしょにおねんねしてくれたよ?」

ぷっくり膨れる薄紅色の頬を撫で実弥は額の青筋と一緒にどうにか崩壊寸前の理性を保った。この可愛すぎる生物と一緒に寝ただと?あのゴミが?どうやら本気で俺に殺されたいらしい水柱をどうやって失脚させるか、1番残酷な方法を頭に思い描きながらスゥと空気を吸い込むと、間を図ったかのように部屋の扉が開かれた。奥では嫌な笑顔の女が楽しそうにこちらを見つめている。

「あらあら。名前さんは冨岡さんから不死川さんへすっかりご執心のようですね」
「あ、しのぶさん!」
「胡蝶ォ、どういうことだァ…」

ぽんと人差し指を立てて話し始める姿はいつまでたっても妙に腹正しい。緊急事態だと鴉を寄越した人間の面ではないので尚更だ。

近頃、自身の管轄区域にある村では急激に子供が増えたという噂を聞いていた。昨晩、その村に現れた鬼の頸を刎ねたのは俺だった。今朝には一定数の大人が戻ってきたので粗方その鬼の血鬼術の仕業だったのだろう。神隠しに近い類の術だと思っていたが、胡蝶の見立てではそうではないらしい。見た目も中身も人間を幼少期に戻してしまうというその術は、かかった人間の大切な人へと影響が飛んでくるようだと、胡蝶は言う。

「つまり、不死川さんが昨日倒した鬼の術が遠く離れた名前さんに及んでしまったというわけですよ。貴方のおかげで鬼も相当弱っていたのでしょうね、名前さんは中身だけ幼児期のそれに戻ってしまったようです」

鬼を倒して時間が経っているというのに彼女の術が解けないのは己が最後に術を喰らった人間だからだろう。何も知らない名前はきょとんと首を傾げて微笑んでいる。小さな頃はこんなに無邪気な笑みを浮かべていたのか。自然と頬が緩むのをどうにか堪えながら蟲柱の話に耳を傾ける。

「私はこれから遠方での任務があるので付き添えませんし、近頃彼女に近づく不埒な輩が多いので、その中でもとりわけ節度のありそうな貴方をお呼びしたというわけですよ」

まあ事の発端は不死川さんですしねと付け加えられ、実弥は壁を殴るのを我慢するのが精一杯だった。名前が腰にギュッと腕を巻きつけていなければおそらく蝶屋敷の壁にはいくつもの穴が空いていた。

「私も彼女のこんなに可愛い姿、なかなか見る機会はないので正直手放し難い部分もあるのですが…名前さんの容態が落ち着くまで羽屋敷で一緒に過ごしていただきたいのですよ」

蟲柱はいつもより自然な笑顔で名前と視線を合わせて、小さな頭をゆるりと撫でた。その手を目を細めて受け入れる姿がなんともたまらない。後で何度でもしてやろう。

「念には念をということで他の柱の方々にも伺って頂く予定です。くれぐれも可愛い彼女によからぬ事を、なんて考えないでくださいね?」
「…お前いつか本当にぶっ殺す……」
「まぁ、物騒ですね。冨岡さんに頼んでもいいのですよ?」
「…チッ……」
「では名前さん。また明日お身体を診せにきてくださいね」
「うん、しのぶさん、またね」

天使が眠っていた部屋の前でその顔を一目見ようと待ち構えていた隠や隊士たちをギロリと睨み、実弥は名前の手を引く。兎に角誰の目にも触れさせたくないので、羽屋敷へ急ぐのではなく、この可愛すぎる生物をひとまず自身の屋敷へ連れ帰ることにした。最近の羽屋敷は躾のなっていない狼が住みついているし、こっちの方が色んな意味で安全だ。胡蝶だってそれを望んで俺を呼んだのだから何の問題もないだろう。
しかし、俺よりも先に冨岡の野郎と会っているという事実には虫唾が走りまくりである。一緒に寝たと名前は言っていたがどういうことだ。ひとまずその件に関しては明日蟲柱に聞くとするかと一人でぐるぐる考えていた実弥は2つの影が近づくことに気がつかない。

「ほー!話には聞いていたが、可愛いすぎんなぁ!遊女になってたら先が思いやられるぜ」
「名前は綺麗な女性だと常々思っていたが、性格が変わるだけで見た目の印象も変わるものだな…よもやよもやだ!」
「おにいさんたち、だあれ?」

胡蝶はこの行動すらも読んでいたというのか。
風柱邸の門の前で一際目を引く2人に出迎えられて実弥は白目を剥いた。

「俺は宇髄天元。コイツのお友達だぜ」
「…誰が友達だァ」
「うむ!俺はその友人の煉獄杏寿郎と言う!」
「てんげんと、きょじゅろ?」

こてんと首を傾げ、まん丸の瞳が2人を写すことにすらメラメラと嫉妬を覚えるのだから自分も相当狂っている。羽屋敷へ真っ直ぐ戻っていたら誰の目にも彼女を入れずに済んだのだろうか。己の欲望を省みて肩を落とした。

「わたし名前!あのね、わたし、おおきくなったらさねみさんのおよめさんになるの!」

もう本当に頼むから全員家に帰って欲しい。
コイツの中身のことなんて何も考えずに抱かせてくれ。

真っ赤に染まった実弥を心満たされるまで揶揄った音柱にはいつか必ず倍返しをすると心に決め、任務へ向かってゆく2人を名前と一緒に見送ったり、飯を一緒に食ったりと忙しなく過ごしていれば夜がきた。今夜はどういうわけか非番となり(おそらく胡蝶の計らいだろうが)、縁側から月を見ながら船を漕ぎ始めた愛しい熱を横抱きにする。甘えるように頬擦りをされてこの大役を任されたのが自分で本当に良かったと思った。他の野郎の目に入ろうものなら本気で襲いにかかっていた。

「名前、布団で寝ろ」
「ん…ぅ……いっしょに…」

羽織りを握られ、潤んだ瞳が自分の腕の中で俺だけを映して揺れている。腕の中にあるはずの名前を自分のものにできないなんて拷問がこの世にあるのか。実弥は今すぐ冷水を頭から被りたいほどの熱を胸に抱えたまま名前と1つの布団に入り込んだ。実弥の闘いの戦場である夜はまだまだ長い。

「俺は本当に嫁にきてもらっても構わねェんだがなァ」

実弥の声が静寂の中へと消えていった。甘い香りを纏った前髪へ指を滑らせて額が覗く。唇が吸い込まれるようにそこへ引き寄せられ、暫く熱に侵された実弥は非番であるはずなのにすっかり疲れ切った様子で眠気がやってくるのを待った。おそらく明日は寝不足だ。



翌朝目が覚めると名前が自身の腕の中で顔を真っ赤に染めていた。記憶がないことは確かに残念だが、こんなに可愛い表情を目にすることができたのでまぁ、差し引きはゼロということにしておこう。

「それで、どうでした?風柱邸での1日は」
「不死川さんには大変ご迷惑をおかけしてしまいまして…しのぶさんも、お忙しい中本当に申し訳ございませんでした」
「いえいえ。名前さんがいらしてくれるだけで私はとっても嬉しかったですよ。しかし、私は羽屋敷でのお世話をお願いしたのですが妙ですねぇ、不死川さん?」

約束通り蝶屋敷で待ち構えていた主人は含んだ言い方で名前と付き添いの実弥を迎え入れた。不死川さんが聞き間違えられたのでしょうか?と詰られ、穴があったら入りたいとはこういうことなのかと、紅く染まる頬を隠すように俯くことしかできなかった。

20201230
風柱様、血鬼術にかかりました

「術が解けたのか」
「冨岡さん。ご存知だったのですか」
「あら名前さん。昨朝貴方をここへ連れてきてくださったのは冨岡さんなんですよ」
「それはご迷惑をおかけしました……生憎記憶が曖昧でして…」
「あの時の名前さんはとっても可愛らしかったんですよ。1人で眠るのが嫌だと、冨岡さんの腕を掴んで離さなかったんですから!ねぇ、冨岡さん?」
「あぁ。とても可愛いかった」
「私も穴があったら入りたい…」

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