霞柱様、おかえりなさい

名前が鬼殺隊であることが皆に知られたことにより、その優れた剣技を隠す必要はなくなったが、四年もの間剣術から遠ざかった生活を送っていた代償は少なからず大きかった。
体力については元々長時間身体を動かすことができない体質ではあるが、最低限の鍛錬は継続していたので問題ない。しかし、長年眠らせてしまっていた日輪刀は無限列車で炎柱の助太刀に入った時には気にならなかったものの、吉原で上弦の陸と対峙した時には刃こぼれを起こしてしまっていた。すぐに刀鍛冶の里へ向かうことを思い立ったが、近頃何処へ外出するにも代わる代わる跡をついてくる柱の面々を思い浮かべ、名前はある人物に鴉を飛ばす。こんな自分如きに、忙しい柱の手を煩わせてしまうのは望んでもいないことであった。

「ア〜…名前さん、柱の方々に乳母日傘で育てられてるって感じっすもんね…」
「ありがたいことなんですが…剣を再び握ることを皆様あまり快く思っていないようで、できれば内密に伺いたいのです」

目の前で茶を啜りながら納得だと首を縦に動かしてくれる隠の後藤はここ最近、名前の良き相談相手である。柱たちの出過ぎた行動を客観的に見て色々と心配してくれたり、お館様からの使いを積極的に働いてくれていたので交流する機会が非常に多かったのだ。柱を通さずに行動するには隠を味方につけるしかない。名前の最後の一手は後藤にかかっていると言っても過言ではなかった。

「どうか、後藤さんのお力添えで里まで連れて行ってはいただけないでしょうか…?」
「んなもんお安い御用ッスよ、俺に任せて下さい!」

あっさりと名前の願いを聞き入れてくれた後藤のおかげで、名前は柱の目を忍んで刀鍛冶の里への往路を無事に終えた。道中、後藤以外の隠とも交流を経て、名前の旅路はとても有意義な時間となった。長い道のりであったとは思えないほどあっという間に着いてしまい、正直惜しい気持ちもあったほどである。

「ここには天然温泉がありますので、お時間の許す限り堪能してきてくださいませ」
「ありがとうございます。貴方もお気をつけてお帰りくださいね」

最後に自身をおぶってくれた隠を見届け、ひとまず刀鍛冶の長を尋ねることにした。名前の刀は鋼鐵塚が打ってくれたものであり、ここへくる前から彼に文を飛ばしていたため話は通っている。準備をしているから里でゆっくり過ごして欲しいとの返信を頂いていたため、正直旅行気分でやってきた。久しぶりに一人の時間を堪能できると名前は少なからず浮き足立っている。

「おや…?名前殿ではありませんか?」
「まぁ、鉄穴森さん。お久しぶりでございます。そちらの少年は…」
「小鉄と申します!貴方のお噂は予々鋼鐵塚さんから伺っております!」
「それは…良い噂だとよいのですが…」
「ご安心ください、貴方の評判は里の中でも最高です」

小さな家から子供を連れて出てきたのは鉄穴森であった。鉄穴森とは柱の邸を訪れる際に何度か遭遇していたので顔見知りである。よく鋼鐵塚の話や刀の手入れの仕方などを教えてくれていた。少年は面の上からでもわかるほどキラキラとした瞳をこちらへ向けている。禰豆子にするのと同じように頭を撫でてやれば花を咲かせながら辺りを舞っていた。とても元気な子だ。

「そういえば、鉄穴森さんは新しく時透さんの刀を打たれるとお聞きいたしました」
「さすが名前殿、情報が速い。ですが時透殿には一度もお会いしたことがなく、刀の打ち方にも少々不安がありまして…」

霞柱は記憶のこともあり人と交友関係を結ぶのが非常に難しい人間だ。本人は忘れてしまうので問題ないと言っているが、周りは彼に悪い印象を覚えてしまうのが常である。先日大喧嘩を繰り広げていた善逸がいい例だ。

「とても素敵な男性です。少々友好関係を築くのに時間がかかってしまう方ではあるのですが、どうか分かってあげて下さい。本当は優しくて温かい方なのだと」

鉄穴森はきっと彼をわかってくれる。この人の静かな優しさがとても好きだ、霞柱とも上手くやっていける。

「名前さんが仰るのならば問題ありませんね。霞の呼吸について過去の資料を再度確認してみます」
「私からもよろしくお願いいたします」

2人の会話を隣でおとなしく聞いていた小鉄はモジモジとしながら名前へ話しかけるタイミングを伺っていた。緊張で擦っていた腕が少し赤くなっているのに気がついた名前が急に距離を詰めるようしゃがんで顔を合わせてくれたので頭から湯気が出るかと思った。ああ、本当に綺麗なお方だ…。

「まぁ…かぶれてる。漆の類の植物のせいかと思いますが、お薬をお塗りしましょう」

腕を優しく持ち上げられ、名前は可愛らしい巾着の中から塗り薬を取り出し塗布してくれた。彼女の姿にすっかり夢中になって気がつかなかったが、そういえば先刻からずっと右腕がヒリついていた。その手つきがとても優しくて、何故か母を思い出す。

「…うわぁ!すごい、もう赤みが引きました…」
「痒みが酷くなるようでしたらこちらの錠剤もお飲みください。こちらは万能薬でして鎮痛作用と解毒作用も兼ね備えているので、他にお困りのことがあった時にもお使い頂けます」
「あ、ありがとうございます!お噂通り素敵な女医さんですね…!」

くすりと溢れた笑顔がなんとも可愛らしい。こんなに華奢でひ弱そうな女性が鬼殺隊で刀を握っているのか。自分は10歳で既に刀を打つ才が無いことを自覚していたので羨望と尊敬の目を向けることしかできなかった。

「小鉄くんこそ、いつも皆さんの刀を打つ手助けをしてくださってありがとう。刀鍛冶には欠かせない大切な星なのですから、ご自愛なさってね」

温かい眼差しに、優しい鈴の音。名前の言葉が胸にじわじわと染み込んで小鉄はしばらくそこを動くことができなかった。彼女は残酷なほど優しい人誑しだ。毒のように身体を蝕むこの厄介な感情は、頂いた薬で解消できるだろうか。





△ ▽ △ ▽





炭治郎が里を一通り見て廻り宿へ踵を返していた際、前から見知った女性がこちらへ向かってくるのを見つけた。信じられないほどの色香を放つその人を前に、善逸が女性を見て大声を出す理由を初めて理解できた気がする。

「あら、炭治郎さん。こんにちは」
「名前さん!元気になられたみたいですね…よかった…!」
「炭治郎さんも回復されたようで安心しました」

薄い着物に身を包み、いつもはおろしている長い髪が後頭部で括られており、覗く白い頸に目がいってしまう。休日仕様の名前さんに見惚れていると、心の底から安堵したような匂いが自身を包み込んで、こちらまでほっこり温かい気持ちになった。そういえば彼女としっかり話をするのは随分久しぶりだ。彼女が鬼殺隊員だと知ってからは初めてである。

「名前さん、今度よかったら稽古みて貰えませんか…?俺、名前さんの剣技に惚れ込んでしまって」

煉獄さんを助けに入った時も、遊郭で俺を庇ってくれた時も。名前さんはしなやかで美しい技を繰り出していた。彼女の強さを匂いで判断することができなかったので最初は本当にびっくりしたけど、洗練された柱達のように力のある剣術。こんなに小さな体のどこからそんな力が湧いているのだろう。俺も彼女のように力強い技を繰り出すことができたら。遊郭潜入の前からずっと思っていた気持ちを伝えると、名前さんは丸くて大きな瞳を見開いてから、いつもの優しい笑みを溢した。

「私でよければいつでも。落ち着いたら羽屋敷へいらしてください」

そう微笑む名前さんからは、表情とは異なり少し寂しい匂いが漂っている。どうしてと口に出そうとした時、遠くから彼女を呼ぶ高い声が聞こえた。この声は、先ほどこの道で遭遇した恋柱の声だ。

「名前ちゃん!あっちのお湯は美肌効果があるらしいわよ!2人でつるぴかになって帰りましょう〜」
「蜜璃さん、すぐに伺います。では炭治郎さん、私は失礼いたします」
「あ、名前さん!」

名前のその寂しさの理由はわからないけれど。何故か彼女が消えてまいそうな不安に駆られた。今の鬼殺隊は彼女なしでは成り立たない。俺だけではなく柱の方々はみんな彼女を必要としている。蝶屋敷へ見舞いに来てくれた人たちは皆んな必ず彼女の名前を出していたのだから。

「名前さんの…名前さんの居場所は此処にあります。俺たちのこと、これからもよろしくお願いします!」

物憂げな表情は似合わない。彼女にはずっと暖かく笑っていてほしい。皆んなの幸せを願う柔らかな匂いを包んであの屋敷で迎えてほしい。
そんな願いを込めながら再び名前を見ると、優しい笑顔がこちらを向いていた。いつもの名前さんだ。みんなを安心させて、心を癒す、甘い匂い。

「ありがとう炭治郎さん。こちらこそ、これからもよろしくお願いしますね」

手を優しく握られる。ふくふくの真っ白な手。この手に守られて、俺は此処にいる。今度は彼女を守れるよう、俺が強くならなくては。
名前が手を振って恋柱の方へと駆けてゆく。そこにはもう、先ほどまでの寂しい匂いは残っていなかった。





△ ▽ △ ▽





「名前」
「と、きとうさん…こちらへいらしていたのですね」
「うん。君がここに来ていると聞いてすぐに駆けつけたんだよ」

彼らに迷惑をかけず旅をしたいという名前の計らいは水の泡となってしまったようだ。新しい刀を受け取った頃、偶然恋柱にも遭遇してしまっているので結果は同じになってしまったけれど。
困ったように眉を下げる名前を見て、無一郎は苛立ちを覚える。羽屋敷を訪れて彼女が知らないうちに外出しているなんてこれまで一度もなかったのだ。

「まあ、今は本当に刀の手入れをして貰っているのだけど」

霞柱は名前の行手を遮るように仁王立ちをして、むすっと頬を膨らませた。彼の喜怒哀楽をこうして認識できるのはこの世に名前くらいしかいないだろう。

「勝手に居なくならないでよ」
「皆さまお忙しいと思い、お伝えするのを控えておりました」
「次からはちゃんと言ってから出かけてね、本当に心配したんだよ」
「すみません…」

風呂上がりの火照りを伴った頬は紅潮しており、薄い着物の合わせ目からは白い肌が扇状的に覗いている。そんな姿で悩ましげに眉を下げられたらなんでも許せてしまいそうだし、さっきからすれ違う人間の視線を独り占めしていることにいい加減気付いて欲しいものだ。この人は年頃の男性に対する危機感というものを全くと言って良いほど知らない。

「時透さんはいつまで此方へいらっしゃるのですか?」
「そんなに長居するつもりはないよ。今は刀が出来上がるのを待ってる。名前はいつ?」

口にしてから、そういえばいつからか僕は羽屋敷に帰ることが常になっているし、彼女もそれを受け入れてくれているなぁと頬が緩んだ。それにしたって今回のことを黙認する気は毛頭もないけれど。だってそれを差し引いたとしても、あの晩、恥ずかしい告白を何度も口にしたのは僕だって同じなのに、彼女の態度は全くと言っていいほど変わらない。

「明朝帰宅する予定です。一足先に羽屋敷でお待ちしておりますね」
「…あぁ、そういえば伝言をって言われてたんだっけ…?なんか、預かっていたような気がする」

僕の言葉に反応したかのように銀子が飛んできて、名前にちぎれ紙を差し出す。そうだ、お館様に頼まれて僕は此処へやってきたのだ。名前が里にいることも彼が教えてくれた。
名前に渡された紙は産屋敷邸に長く仕える隠から預かったものだ。その中には風柱が任務で負傷したため今晩にも羽屋敷へ担ぎ込まれる旨が記載されていた。僕は中身を見るまで内容を忘れていたけれど。

「…まぁ大変。急いで帰らないと…」
「まだ日は昇ってるし大丈夫だとは思うけど、甘露寺さんに送ってもらってね」

先ほど見かけた桃色の髪の毛は間違いなく恋柱だろう。自分は刀を受け取るまで此処を動けないし、柱と一緒に(しかも女性というのが重要)帰ることができるのならば安心だ。

急いで宿へ踵を返そうとしている名前の腕を掴む。先日彼女の口から伝えられた過去の話は断片的ではあるがしっかり覚えていた。僕は彼女の過去を知る少ない人間。1人で抱え込んでしまう名前は僕が支えてあげるんだ。そう誓ったあの日から初めて触れる温度に少なからず心音が乱れる。

「名前」

振り返った愛しい顔には切なさがまだ残る。僕たち柱が彼女が戦線に立つことを快く思っていないことを彼女も知っているのだろう。しかし、寄り添うと決めたのは、他の誰でもない僕だ。僕だけは、いつだって彼女の味方でいたい。

「帰ったら、一緒に稽古をしよう」
「…嬉しいです。手加減はなさらないでくださいね」
「僕を誰だと思ってるの」

彼女が剣を持って戦うと決めたのならそれに寄り添って一緒に切磋琢磨していきたい。1人で此処へ来た理由を察した無一郎は名前の嬉しそうな笑顔を見て、自身も早く羽屋敷へ戻りたいという気持ちを抑えきれなくなった。



そう言ったものを信じているわけではないが、第六感的なものが働いたのかもしれない。今回に限っては彼女をはやくに帰して本当によかった。
上弦の鬼2体を退治し、羽屋敷を目指す道中で無一郎は名前のことばかり頭に浮かべていた。記憶が戻ったことを伝えたらどんな顔で喜んでくれるだろう。彼女はきっと優しく僕を褒めてくれる。早く会いたい、顔が見たい、あの柔らかな笑顔に触れたい。
鉄穴森に炭治郎と同じように話を通してくれていた。鬼の毒に侵された時、小鉄くんに分けて貰った薬は知っている味だった。側にいるわけではないのにずっと近くにいるような気がして、諦めずに頑張れた。

「おかえりなさい。無一郎さん」

鈴の音が鳴る。隠の背中から降りて、愛しい熱をそっと腕の中に抱きとめる。華奢な肩が揺れ、小さな手が背に回るのを感じた。

「ただいま名前」

今夜は僕の話をたくさん聞いてほしい。里でのことも、兄さんのことも、それから炭治郎と小鉄という友達ができたことも。名前がいたから頑張れたんだって、しっかり伝えるから、名前も僕の気持ちを忘れないように、しっかり側で覚えていてね。

20201226
霞柱様、おかえりなさい

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