音柱様と遊郭潜入しました

潜入を依頼した竈門炭治郎は妹を背負って現れた。
派手な髪色の隊士は随分前から姿を眩ませているので、こいつだけでも生きていることに安堵していたその時、彼女は羽のように空から舞い降りる。

「雛鶴さんはご無事です」

鈴の音に勢いよく振り返り、胸の奥から吐ける息を全て出し切った。
正直、妻より彼女の方が本当に死んでしまったかと思っていた。

「名前!生きてたか!まじでヤベェかと思ったわ…」
「すみません。鬼が側にいたもので…文を出そうにも下手に動くことができなかったのです」

ひと月ほど前から名前も遊郭に送り込まれた。鬼殺隊士でないため鬼の目を掻い潜れるのではないかと期待の上での潜入だったが、定期連絡も手紙も3日ほどで途絶えてしまっていた。
任務内容を知っていた柱連中へ定期的に彼女の無事を伝えると約束していた天元は、自身が無事に戻ったとしても彼女に傷ひとつつけようものなら命はない。
恐らく風柱が暴れて殺られていた。

「名前さん?!貴方も潜入を…?」
「医者として遊女の皆さまの治療を、という名目で参ったのですが、速い段階で鬼を見つけてしまいまして…」

竈門炭治郎とも知り合いだったのか。なるほど、通りで柱たちがこいつを嫌うわけだ。
名前は普段の柔らかな笑顔を消して、それは少し余裕のない表情でこちらを見る。

「雛鶴さんは切見世にいらっしゃいます。毒をご自分で含まれていらしたので、こちらの解毒剤をお持ちください。それから善逸さんですが…恐らく須磨さんとまきをさんと同じ場所に捕らわれています。京極屋と荻本屋を繋ぐ地下におられるかと」

名前の小さな右手から小瓶を受け取る。
なんでこいつは短時間でこんなにも細かな状況を察知しているんだ?
鬼殺隊でもなんでもないというのに。

「ソイツの正体は分かるか?情報が足らねえんだ」
「蕨姫という花魁です。陽の当たらない北側の部屋に身を置いていますが、現在はときと屋の方角へ。気配からして上弦の鬼であるかと」
「と、ときと屋?!宇髄さん、俺先に其方へ向かいます!」
「わかった。とりあえず名前はできる限り人を非難させて身を隠せ。お前に傷でも付けたら俺が殺される」
「お館様へは上弦が潜んでいる可能性がある旨お知らせいたします」
「頼んだぞ」

今はそんなことを気にしている場合ではない。妻の安否を確認するため切見世へと走る。
脳裏に浮かぶのは名前の小さな背中。普段より頼り甲斐があるように見えたのは気のせいだろうか。







名前の言うとおり件の花魁は上弦だった。そっちはさて置き、内部から現れた兄貴っていう鬼の方が性質が悪い。
潰された左目と、亡くした左手の痛みをどうにか耐えて譜面を作る。このままではここに居る全員が死んでしまうだろう、柱である自分がどうにかしなくては。

振り絞るありったけの知識と経験に溺れていると、突如頬を掠める柔らかな羽。雪のようにあたりにひらひらと舞い降ちるその羽の先に見えた小さな人影には見覚えがありすぎる。

「羽根の呼吸、弐の型」

眩い光と共に一瞬で鬼の両腕が宙を舞った。息も絶え絶えの様子で苦しむその腕が再生する気配は微塵もない。

「そんなに人の血肉を喰いたいのなら私を召し上がってください。私の血は特別なんですよ」

見間違えでなければ、今にも倒れてしまいそうな炭治郎を庇うようにあのひ弱な天使が刀を手に鬼と対峙している。
日輪刀を構える姿は、俺の知る名前ではない。

「テメェは…まさか、あの方が仰っていた…!」
「名前さん!危ない!!」

炭治郎の叫び声と共に名前の腕に向かって血の鎌が飛んできて、大きな切り傷が刻まれる。

「名前…?」

容態を確認しようと首の角度を変えては目を見張る。彼女の腕から血がどぽりと溢れるのと同時に、あの忌々しい鎌が姿形を残さずに消えてしまったのだから。

「か、鎌が、溶けた…だとオ…?」
「特別だって、言ったでしょう」

名前は血に塗れた細腕を鬼の口許へ寄せる。
天元と炭治郎は自身の眼を疑った。彼女の血に濡れた鬼の顔が煙をあげて爛れてゆく。
鼓膜が破れてしまいそうな雄叫びが上がり、鬼にできた隙を自身はもちろん、炭治郎と善逸も見逃さなかった。

「ちょっとアンタ!お兄ちゃんの顔どうしてくれるのよ!許さないから!」
「私もあなたたちを許しません。いたずらに人を傷つけていい理由なんて、この世にひとつも存在しない」
「なに偉そうなことほざいてんだよッ!」

何重にも重なった帯が名前を一直線に目掛けて襲いかかる。瞬きひとつの間に白い刀身が帯を粉々に切り裂いて、その頸に一閃の稲妻が走った。

「っ、どう、なってんの、よ…」
「伊之助くん!あとは頼みます!」
「うりゃああ任せろ!」

心臓を一突きされたはずの少年がその柔らかい鬼の頸に刀をかける。ーーあと少し。
炭治郎の赫い刀は鎌鬼の頸を切り、それから夜空に2つの頭が舞った。




△ ▽ △ ▽





毒が廻る。息が続かない。善逸は、伊之助は、宇髄さんは、名前さんは。どこだ、どこだ。肝心なときに鼻が効いてくれない。

「っ、はぁ、あっ、は…名前さ…ん……


漸く視界に飛び込んだ人影、名前がこちらに向かって何かを叫んでる。そんなに血相を変えてどうしたというのか。まさか、鬼、死ななかった…?

「……、げて、」
「…え……?」

走り向かってきた名前の姿が消える。一体どこへ。頭も眼も、動かそうにも身体が言うことを聞かない。

「逃げろーーーーッ!!!」

漸く耳に入った音柱の叫び声は瓦礫に埋もれて遂に聴こえなくなってしまった。
頼むから、どうか皆、無事でーー。



伊之助の心臓が停まってしまう。
目が覚めると善逸がなんとも恐ろしいことを口にするので痛みもすっ飛んだ。
側に寄ればなるほど確かに命の灯火が消えてしまいそうな匂いがする。

「伊之助!しっかりしろ!」

返答はない。心臓の音がみるみるうちに弱くなる。なぜ、俺だけ動ける?先刻まで毒が回っていたはずなのに。

暫く夜は明けない。しのぶに文を出すにも往復時間で伊之助は死ぬ。誰か。誰かー。

「大丈夫」

迫りくる死の恐怖で震える両手に、小さな手が重なる。その小ささからは信じられないほど、何度も何度もこの手に身も心も助けられてきた。

「名前さん…」

懐から小瓶を取り出した名前は伊之助の首元にそれをそっと注入する。毒に爛れた伊之助を禰󠄀豆子が燃やせば、聴き慣れた同期の声が夜空に木霊して涙が流れた。

「炭治郎さんは無事ですか?」
「は、はい!…というか名前さん、顔色が、」
「わたしなら問題ありません。久しぶりに身体を動かしたから…伊之助くんが起きたら軟弱だと笑われてしまいますね」

伊之助の頭を撫でる手つきはまるで母を思い起こすほど優しい。
すやすや寝息を立てる彼を前に、漸く肩を撫で下ろした。





「本当にどうなってやがる…」

竈門禰󠄀豆子によって消し去られた毒も、天使が日輪刀を巧みに使い鬼を目の前にして怯むことなく立ち向かったことも。今夜起きたこと全てが夢のようだ、上弦を倒したのも相まって。

「宇髄さん」

血と共に顔色を失っている名前が身体を引き摺って腰を下ろす。間近で見る形のいい唇は悲しむように歪んでいるし、美しい顔も華奢な身体も傷だらけ。

「悪いな名前…こりゃ不死川がド派手に怒る」

首をゆるゆると横に振った名前が困ったように笑うから、どうしてかその身体を抱きしめたくて堪らなかった。
今度こそ不死川にころされてしまう。

「宇髄さん。私の血をお飲みください」
「…は?」
「話はその後に必ずいたします。一刻を争いますので、どうか私の言う通りに」

有無を言わせない剣幕に、従わないと言う選択肢はなかった。枝のように細い腕に口付け、流れる血を飲み込む。
鉄の味はしない。ただ驚くほど甘く、サラサラとした液体が食道を伝った。

「オイオイ…これマジか…?」

じくじくと左半身を蝕んでいた痛みは薄れ、左側の視界が開けていく。

両の眼いっぱいに、自分よりも驚いた妻たちの顔が広がって3人分の重みが両腕にのし掛かった。

「私の血には治癒の効果があるのです。それと逆に、鬼に触れると細胞を壊す作用があります」
「んな馬鹿な……てかお前、鬼殺隊だったのか?」
「申し訳ありません。お館様から隠すようご命を受けておりましたので…13歳で最終選別を突破した後、私はこの血のこともあって剣術からは退きました」

彼女の刀の扱い方、状況察知、そして何より攻撃の強さは間違いなく柱に匹敵する。
透き通った瞳の奥に潜む炎を目にして震え上がった。俄には信じ難い話ではあるが、彼女が嘘をつくような人間でないことは長年の付き合いで分かりきった事実。

羽屋敷で皆の帰りを待ち、ただ守られている存在であった名前にまさかこんな能力が備わっていたとは。

「…すっげーよ名前!お前は本当に派手なヤツだ!俺の弟子にしてやっても良いぜ!」
「前々から思っていたのですが、宇髄さんは伊之助くんにそっくりですね」

くすりと頬を綻ばせ、それから潤んだ瞳を夜空へ向けた名前は颯爽と後輩隊士の元へ駆けて行く。
その瞳に浮かぶ雫の理由を問うことは遂に叶わなかった。

その後ネチネチと嫌味を垂れ流しながら遅すぎる登場を果たした蛇柱に名前は連れて行かれた。

別れ際の哀しい笑顔がいやに脳裏にこびりつく。
あの小さな身体にどんな不安や悲しみを抱えているのだろうか。そこにはきっと測り知れない事情があるのだろうと、取り戻した左目を失ったはずの手で撫でる。

傷はもう、ひとつも残っていなかった。

音柱様と遊郭潜入しました
2020.12.18
(2021.01.20加筆修正)


蛇柱との帰り道

「伊黒さん。この道では邸につきませんが…」
「その傷で帰ってみろ。宇髄が殺される未来しか見えん」
「?」
「不死川を人殺しにしたくなければ黙ってついて来い」

羽屋敷に毎日暴風が吹いてるという噂を聞きつけた伊黒さんの気回しがあったとかなかったとか。

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