安室さんと緋色の序章

「へぇ…安室さんの助手をなさっているんですか。とても若い方なんですね」
「女性同士の繋がりがあった方が安心かと思いまして」
「毛利名前と申します。よろしくお願いいたします」

短い髪を撫でる女が隣の少女を上から下まで舐めるように見つめる。少し困ったような笑顔を浮かべる少女はもちろんこの視線を察知しているし、自分の立場も理解している。
ここにベルモットを連れてくるには、まだまだ懸念がありすぎだった。

「それで安室さん。明日はまた残業になりそうなんです。夜道を1人で歩くのは不安で…」
「えぇ。僕はいつも通り陰から貴方の護衛をしていますのでご安心ください。この毛利さんも一緒に見守っていますので」

件のFBIの友人を護衛するなんて、災難に巻き込まれたも同然だった。もちろん断りたい案件だったが、偶然舞い込んできたこの美味しい話を使わない手はない。
苦虫を潰したような顔をした目の前の女がストーキングされているのは事実だが、蓋を開けてみれば大した相手が後をつけているわけでもない。逆に放っておけば、誰かに襲われることもないだろう。

「それでは引き続きよろしくお願いします、安室さん」

若干の不機嫌を隠すことなく女が席を立つ。強調された安室さん、には色々な意味が込められているのだろう。隣に座る女子高生の方がよほど大人な対応ができているし、海外生活が長い人間はやはり苦手だと改めて感じた。女の後ろ姿が遠くなったのと同時に、愛しの少女がこちらの耳へ口を寄せる。これが車中や家の中だったらとんでもないことになっていた。

「あ、あの、安室さん…本当に私、必要ですか……?」
「当たり前です。僕の存在がバレそうになった場合、あなたのような女性が一緒に居ることで犯人は警戒しないでしょうし、僕が探偵業を行なっている間に1人にするのは嫌なので」

毛利小五郎は長女と居候少年と共に事件の事情聴取。一人で昼食をとりに階下へやってきた少女にこの話を持ちかけたのは、こうして休日に二人で街を歩きたかったという下心がなかったわけではない。
申し訳なさそうに眉を下げる少女を見て、込み上げる愛しさをついうっかり口に滑らしてしまうところだった。

「名前さんのおかげで話し合いも早く終わったことですし、傲慢なクライアントのせいで嫌な思いをさせてしまったお詫びをさせてください」
「い、いえ!お詫びだなんて。この後少々立て込む予定があると仰っていましたし、今日は帰りましょう」
「今日は、ということは別日なら良いと受け取っても?」

確かにこれからやるべきことはたくさんある。明日にはベルモットへ協力を仰ぐ予定だし、その前には本職地へとも赴かなくてはならない。しかしそんなに急いでいるわけではないし暫く会えなくなってしまうのであればこの時間を大切にして欲しい。
一人で帰れるとつっぱねる少女を半ば強引に車へ連れ込み、遠回りで米花町へ戻ると少女が何か思い詰めたような顔でこちらを見つめていた。言っても無駄でしょうけどと続ける口が下を向く。今日はまだあの愛しい笑顔を目にしていないなぁとその顎を掬って再び視線が合わさった。

「…安室さん、あまり無理はなさらないでくださいね」
「あなたをこんなにも強引に扱う僕を心配してくれるんですか?」

ゆるやかに笑った少女がシートベルトをはずす手がスムーズであることがもどかしい。まだ一緒にいたいとか、悲しい素振りを見せられたら、本当に警察庁にでもなんでにでも連れて行くつもりだった。実際のところ、その素振りを隠すことができない大人はこちらになってしまうのだが。

「送っていただき有り難うございます。明日は足を引っ張ることのないよう尽力します」
「本当は1秒でも長く一緒に居たいだけだったんだよ」

一息に出た言葉に名前はノブにかけた手を止めた。まだ月も隠れているというのに、このまま帰してしまうのはやはり惜しい。助手席に伸びた自身の両腕はいとも簡単に少女の行動を遮った。夕飯の支度があるだろうし、家事もする予定だったかもしれない。そろそろ家族も帰ってくる。
そんなことを忘れてしまうような甘くて優しい匂いが、鼻腔をくすぐった。

想いが通じ合ったところで二人の職業が変わるわけではないし、あの日から今日まで変わったことなんて正直ほとんどない。強いていうならば、自分が今までより更に欲深い人間になってしまったことくらい。
1分、1秒でも長く彼女と一緒に時間を過ごしたい。

「安室さん…私はいなくなりません。少なくともあなたより先には。だって、安室さんが私を守ってくれるでしょう?」

ひと回り下の彼女が薄い隈をこさえた大人の頭を控えめに撫でる。優しいひだまりのような笑顔が視界いっぱいに広がって、その愛しい熱を衝動的に腕中に閉じ込めた。
それから俺は確信してしまう。いつだって、いとも簡単に欲しい言葉を授けてくれる彼女は、もう何を犠牲にしても手放すことはできないと。

「君は僕を何度惚れさせたら気が済むんだい?」





△ ▽ △ ▽





濁りのない夜空に浮かぶひとつの星を遮る小さな黒い雲が自分ならば、最初に望んだ立場からはずいぶんかけ離れてしまったところまで来てしまった。いつだってまっさらな道を歩く少女が、無垢なまま大人になっていく姿を見たかったはずだったのに、これはその道理に合っていない。

「で?ここで誰を待ってるワケ?…まさかあなたたち、色恋の報告するために私を呼んだわけじゃないでしょうね」

不機嫌を一欠片も隠すことなく態度のでかい女が後部座席で腕を組む。海外での生活はこうも表に出てしまうものなのかと、呑気に昨日のクライアントと同分類にカテゴリしていると、相変わらず可憐な笑顔をこさえたまま、否定のひとつも口にしない少女のせいでこの車内の温度はさらに下がる。

「渋谷夏子28歳小学校教師。僕の依頼人であり、尚且つ僕が探し求めている最後のピースを埋る手助けをしてくれそうな人物ですよ」

結論を急ぐベルモットが足を早い速度で揺すり始める。それに気付いた少女も少しだけ表情に焦燥を浮かべた。

「なるほどね。だから怪しまれないようにこの子を…。ダメじゃないエンジェル。こんな物騒な男にホイホイついてきちゃ」
「物騒な男とは心外ですね。僕は彼女だけにはいつだって紳士的ですよ。ねぇ?名前さん」
「お、お二人とも仲良くしてくださいっ」

密かに楽しみにしていた2人きりの逢瀬に呼んでやったのだから感謝して欲しいくらいの勢いできたつもりだったが、この後の協力を仰ぐ必要があるのでその思いは胸の内に留めた。それから愛しい彼女の左奥から物騒な音が聞こえてくるまでは、名前の手を握ったり照れる横顔を眺めて愉しんだ。

2020.11.28
安室さんと緋色の序章

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