あかつきに想いが巡る

たとえばさっきまで死にたくなるほど辛いことがあったとして。

その刹那に全てを忘れることができるくらい愛しい笑顔を、我妻善逸は知っている。

「あ、善逸くん。またサボりに来たの?」
「ち、ちがうよ名前ちゃん!!サボりじゃなくて俺は名前ちゃんに会いに来てるの!って何回言ったらわかってくれるわけ?!」
「はいはい。お爺ちゃんに見つかる前にちゃんと帰るんだよ?」

山の中間にひっそりと佇む小さな家に、この可愛い天使はひとりで衣食住を確保していた。
今日も暖かい花のような笑顔で俺を出迎えてくれる。ほんと、天にも昇りそう。

「あ、そうだ。この間お爺ちゃんから頂いたお野菜で漬物を作ったの。よかったら持って帰って…って、そしたら善逸くんが此処に寄ったことがバレちゃうね。あとで持って行こうかな」

名前ちゃんはとにかく優しい。
彼女からは柔らかくて、小さな鈴の鳴るような音しか聞こえたことがない。最初はそれが心地よくてたまらなかったけど、同時に心配にもなる。
怒ったところも、不安なところも、悲しんでいるところも、殆ど見たことがなかったから。

差し出された出来立てのおはぎを齧る俺を柔らかく見守る少女を見て確信する。この子は俺と結婚すべくして生まれてきたのだ。



「名前ちゃんはなんで爺ちゃんちに住まないの?」

縁側に座ってお茶を啜りながら問うた俺に、名前ちゃんは大きな瞳をぱちくりさせた。

名前ちゃんは爺ちゃんの孫ではない。
しかし、世話焼きの爺ちゃんの申し出を何度も断っていると聞いている。
一緒の家に住めたのなら、それはもう毎日天国なんだけど。

「元柱のお爺ちゃんが近くに住んでいるし、ここは鬼殺隊の警備地区の真ん中なんでしょ?」

名前ちゃんは珍しい身体の持ち主だと爺ちゃんが言っていた。
鬼が好む稀血の中でも異例で、名前ちゃんの身体中まるごと鬼の好物らしい。
いや、鬼!気持ちはわかるけどさ?!そんなの常に誰かに守られて居なければ命の危機じゃん。俺が守ってあげたいけどそれはマジで無理だし、それならば尚更、柱をやっていた爺ちゃんと住めばいいのに。

確かに、ここ数十年、この近くで鬼が出たことは一度もないし、藤の花畑も近い。
名前ちゃんはきっと自分の身体を理解して対策してるけど。
ーーでも、でも。
納得のいって居ない俺を一瞥し、少女が髪を揺らして笑う。
髪の毛を束ねずに下ろしている女性はこの時代ではなかなか珍しい。だからだろうか。その柔らかいふわふわの髪に触れたくなる衝動を抑えきれないのは。

「それに」

伏せ目がちに小さな唇がこちらを向く。
たったそれだけの動作に、口からまろび出るんじゃないかってくらい、どっくり心臓が飛び跳ねた。

「善逸くんが鬼狩りになって、そばにいてくれたら、その…心配いらない、かなって…」

頬を赤らめ見上げられて仕舞えば今度は呼吸の仕方すら忘れてしまう。これまでの辛い出来事はこの子と結ばれるためにあったのかもしれない。
側におかれていた名前ちゃんの手を取れば、彼女からは不安と期待の音が響いていた。

「…もう名前ちゃん大好き。それは可愛すぎるよ…いやいつも死ぬほど可愛いんだけどさ…」
「あ、ぜ、ぜんいつくん、鼻血!」

余韻に浸る間も無く数秒後、爺ちゃんが怒鳴り込んできて鍛錬に連行された。
名前ちゃんはもう見慣れたであろうこの光景にくすくす笑って手を振ってくれていたけれど、その顔が紅く染まって居たのは夕陽のせいだけではないと思う。

「俺本当に頑張る!名前ちゃんのこと絶対守れるように頑張るよ!だから爺ちゃん!!!!あと3分待って?!!名前ちゃんのこと抱きしめさせて!無理なら頬擦りでも……ああああちょっと!痛い!痛い!!サボりじゃないんだって!名前ちゃんに会いに来たんだってぇえええ!!」

山にこだまする善逸の声が、この日は夜まで止まなかった。

20201119

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