唇から浸水02

あれはどう振り返ってもおかしなできごとだったと、名前はこの先もずっと悩み続けることになる。

目の前で自分の弟弟子が淹れたお茶を啜る男をみて、名前はしっかり眉を下げた。
何かついているのか、さっきからベッドの上の私の顔を凝視しては陶器を口に運ぶの繰り返しだ。
部屋に戻ってからというものの一言も発していない。

「冨岡さん…おこってます…、?」
「……なぜだ」
「だって、さっきからずっと睨みつけてるじゃないですか。私、気を悪くさせてしまいましたでしょうか…?」

私の一言でさらに部屋の温度が下がった気がする。この人の考えていることは人よりわかっているつもりだけど、たまに理解できない部分もある。まさに今がそれで、うんともすんとも言わないで口を結んだままの彼を直視することができない。はっきり言えば、とても怖い。

「あ、命を救っていただいたのに鴉も飛ばさず今日まで過ごしていたことでしょうか…?それについては、師範が柱合会議でお話ししてくださると仰っていたので、お会いするまで…って、ちょっ、と、とみおかさ……!」

いつの間にか側の椅子から立ち上がっていた冨岡は何の音もあげず、ぎこちなく私の体を包み込んだ。……包み込んだ?

「………あの黄色い頭の少年を好いているのか」
「え……」
「…どうなんだ」

黄色い頭の少年
十中八九善逸くんのことだけど、どうしてそんなことを今。そして私の質問と繋がりは何もないし、この状況に頭がパンクしそうになって、正直何も考えられていない。
トクトク。少しばかり早い心音が、押し付けられた頭と耳にこだまする。

「善逸くんは、好きですよ。とても良いお友達です。炭治郎くんと同じくらい」
「…そうか」

その一言だけを残して、冨岡は再び椅子へと戻っていった。何が何だかわからない私は空いた口が塞がらず、彼を見つめることしかできない。

「急にすまなかった。嫌だっただろう」
「い、いえ、いやだなんてことは…」
「名前」

いつも無口な彼が今日はとっても食い気味だ。こんな冨岡さんを見たことがないし、私は知らない。熱でもあるのではないかと、長い前髪へ手を伸ばそうとした時、今度はその手をそっと掠め取られた。

「あの日、俺はお前を失うと思った」

そっと目を閉じた冨岡さんの、まつ毛が揺れた。
私は身動きが取れないほど緊張しているし、これが現実か夢かの判断もできていない。

「どうしても助けてやりたいと思った。お前の笑顔を、もう一度見たいと」
「…冨岡さん……」
「…俺の言いたいことが、わかるか」

顔の熱がおさまらない。これが薬の副作用かなんかで見ている夢ならば一生醒めなくたっていい。
いくら鈍い私でも、こんなにストレートに伝えられてわからない訳はあるまい。
ずっと憧れていた水柱が、その瞳の中に私だけを映しているという事実だけが、この狭い空間に存在している。

「失う前に伝えたい。名前。俺はお前がーー」
「名前ちゃーんっ、お見舞いにきたわよん!…って、あれ?冨岡さん…?」

ストーンと力任せに開けられた扉の奥で、ピンク色のおさげと膨よかな胸が揺れている。
きょとんと首を傾げる我が最愛の師範を背に、冨岡義勇は片手で顔を覆っていた。

「すまない、用事を思い出した」
「え、あ、冨岡さ…」

鴉を肩に呼び、いつもより幾分紅に染まった頬を隠すように冨岡は扉に手をかける。
部屋を出る際、居心地が悪そうに私を振り返った。

「文を送る。返事は気が向いたときでいい」

今度こそ彼の姿が消えて、名前はへにゃりとベッドの淵に崩れ落ちた。
初めて鬼と遭遇した時より、心臓が五月蝿く鳴いている。
そんな私と冨岡さんを交互に見つめていた我が師範ーー甘露寺蜜璃は、この何とも言えない空気に相変わらず首を傾げていた。

「冨岡さん、お見舞いに来てくださったの?優しいところもあるのね...!」
「〜っし、師範!きいてくださいよぉ…!!」

ああもうほんとに爆発しちゃいそう。
名前はわずかに涙を浮かべながら最愛の師範にこの日の出来事を訴えた。
これからどんな顔をして彼に会えばいいのだろう。

部屋の一輪差しには、彼が持ってきてくれたすずらんがこちらを向いて柔らかく笑うように咲いていた。





* * *





「う"ぁああ"ん"〜名前ぢゃ〜〜ん」
「いい加減にしろ善逸!」

唯一の兄弟子である冨岡義勇にお茶を出し、炭治郎は件の女性に後ろ髪を引かれている友人の首根っこを掴んで自身の病室へ戻る途中だった。


「ていうか炭治郎。なんであの人と名前ちゃんが知り合いだって知ってたの?」
「あぁ、匂いだよ」

名前さんの名前を泣き叫んでいた友人はにおい?と首を傾げる。
冨岡から時折りほのかに女性の匂いがすることを、炭治郎は不思議に思っていた。

「柱合会議の日、冨岡さんから優しくて甘い…それなのに凛とした嗅いだことのない匂いがしてさ。最初は冨岡さんの匂いかと思っていたけど、名前さんに会った時にピンときたんだよ」
「ってことはあの人、名前ちゃんの匂いが移るくらい親密な関係ってこと?!?!柱とか俺勝ち目ないじゃん!!もう泣くよ?!」

善逸が今日1番の喚き声を上げると、最近稽古を見てくれているツインテールの女の子が枕を投げてブチ切れた。
2人がどんな話をしているのか、どんな関係なのかは気にならなくはないけれど、2人はとてもいい匂いだった。

「しかも俺が名前ちゃんにくっついてた時、滅茶苦茶殺気感じたし……俺、あの人苦手だよお……たんじろお…」
「はは。冨岡さんはああ見えてすごく良い人なんだよ」

確かにあの時感じた怒気は冨岡のものだった。
炭治郎は兄弟子の意外な一面を知ることができてちょっと嬉しく思っている。
次に師匠へ手紙を書く時には、今日の出来事を知らせたいと心を躍らせた。

20201118

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