安室さんと黒衣の騎士

父の職業柄、昔から事件に遭遇するのは珍しいことではなかった。名探偵と名高い毛利小五郎のひ弱な肉親、それを逆手に取られて利用されることを、幼馴染の探偵は酷く心配していた。

『ったく…名前はもう少し自分のこと考えろ。蘭みてえに空手ができるわけでもねえんだから』
「お母さんにもおんなじこと言われちゃった。それより新ちゃん、また大手柄だったんでしょ?お父さんが褒めてたよ」
『褒めてたっつーよりまた嫌味言ってたんだろ?いつまでも気ィ使うなよな」
「本当に褒めてたんだよっ、新ちゃんもそろそろ素直になって」

電話越しに幼馴染が鼻を描く姿が浮かぶ。いつも自慢げに話されたサスペンスは、いつからか警察伝手にしか報告されなくなったのが少しさみしい。

『んで?名前は何の役やるんだよ』
「召使いだよ。園子ちゃんは双子でダブル主演のお話がやりたかったみたいだけど…新ちゃんはやっぱり事件かな?」
『行ったら蘭の相手役やらされんのは目に見えてっかんな』

本当は嬉しいくせに。
こちらの意図が伝わったのか、不機嫌そうな声でゴモゴモ言っているのが聞こえた。こう言う時は何を聞き返しても誤魔化される。

『それより名前。最近変な男に口説かれまくってるって聞いたけど、大丈夫なのかよ』
「へ、変って…いつ園子ちゃんに会ったの……」
『蘭も言ってたぞ。ゴールインまで一直線だって。だいたいおめぇは…』

彼が誰を指しているかはわからないが、姉が私の知らないところで自分のそういった話をしていることは初めて知った。
思い浮かべる2人のうち1人はまだ出会ったばかりで少なくともそういう対象として考えたことはあまりないし、彼が何故あそこまで熱くこちらを求めてくるのか、できれば誰かに教えて欲しい。

この後小1時間くらい隙がありすぎるだのなんだのとガミガミ説教をされて、無事を確認するという当初の目的はすっ飛んだ。会ったらどうなるか、考えただけでも震えが止まらない。





「へぇ。演劇ですか!名前さんはもちろん脇役ですよね」

最初から決めてかかるのは見当違いだと言いたいところだが、有無を言わせない黒い笑顔の前では口を引攣らせるくらいしか身動きが取れない。

学園祭の出し物については以前ここでテストの勉強を教えてもらった時に話したし、自分以外が貴方の騎士をやるだなんて許さないとこの男は子供のようにギャーギャー騒いでいた。

「本当は蘭と名前でダブル主演やらせたかったのよね。双子のプリンセスが1人の騎士を奪い合うドラマチックな展開……。名前、今からでも遅くはないわ。演目変えるわよ」
「こ、高校生の演劇内容としてはどうかなぁ…」

校医に扮する外国人は私の相手役を買って出たが、サイフォンを今にも割ってしまいそうな勢いで掴む男に全力で阻止されやる気を失ったと言っていた。一緒に学生生活を謳歌するのも高校への潜入捜査の一環だと言っていたが、いまだにその真意がよくわからない。
あの女優の不機嫌を引き出した張本人は、今もカウンターの中からものすごい形相で園子ちゃんを睨んでる。できれば演者ではなく裏方に回ってくれと頭を下げられたのも記憶に新しい。

「安室さんも観にくる?チケット余ってるし、名前のメイド姿見たいでしょ」
「そ、そのこちゃ…」
「是非伺わせて貰います!練習の合間にポアロにも遊びに来てくださいね」

いつの間にかトレーに4つのコーヒーを持ってきた男が静かに怒っているのに、どうしてみんな気がづかない。俯いて彼が奥へ戻るのを待っていたら、耳元に柔らかい感触を感じて背筋が粟立つ。

「メイド服なんて聞いてないですよ」
「っ、一番人気のなかった役なんです…」
「当日は舞台上からあなたを誘拐してしまうかもしれません」

顔に熱が集まるのを感じていると、隣に腰掛けた少年が膝に乗ってきてくれたのでその場はなんとか凌ぐことができた。
件の組織の人間は目立つことを嫌う癖に、この男は語気が荒くなっていることにも気付いていない。殺気の感知能力は恐ろしいのに、如何して女性客の焦がれる視線は察知してくれないのか。近いうちに工藤邸の大学院生にも同じ事を聞きたい。






* * * *







「ままままって、園子ちゃん、代役なら他にも…」
「蘭の練習付きっきりだったのアンタだけよ。それに蘭のお墨付きなんだからつべこべ言わないの」
「そんなぁ…」

姉のために用意されたかも甚だ疑問なほどしっくりくるドレスを纏った天使が舞台袖で今にも泣き出しそうな顔をしている。
校医であることも忘れそうになりながら、ベルモットは少女の手を取った。

「とっても似合ってますよ名前さん。僕も代役ですし、一緒に頑張りましょう。リードしますから」
「新出せんせい、」

不安を拭えない少女のため、男装すると気合が入っていた御令嬢も当初の計画を変更し、鼻の下をにんまり伸ばしながら役を譲ってきた。
熱心で心優しい性格を考えれば、姉の練習にもしっかり付き合っていたのだろう。熱で寝込んだ彼女の代わりにこの少女はきっとヒロインを全うできる。

約数名めんどくさいのが現れそうだが、彼らが日頃この少女を危険に晒すのが悪い。学園祭くらい好き勝手させるべきではないか。

それに、これがジンたちの目から少女を遠ざけるためだとでも言うのなら、あの男の行動はよっぽど組織を裏切っている。

「バーボンも呼んでるの?」
「園子ちゃんからチケットを受け取ってました」
「このまま連れ去っちゃおうかしら。あの男が人前に出させたくないのもわかるわ」
「学校ですよ、新出先生」

逡巡の余地もなく反抗を諦めた少女は、姉の晴れ姿を楽しみにいろんな人が集まってることを思い出したらしい。確かに昨夜、バーボンから少女に大阪の友人がいるのかと質問された。そろそろ部屋の盗聴器は外すべきだし、それくらい自分で調べて把握できるだろうに。

「でも、貴方が出てくれてよかった。ブロードウェイ仕込みの劇が観られるから」
「…ここは学校ですよ、名前さん」

人目と盗聴器を気にして耳元で囁く少女の手を引いて抱きしめれば、本当に幸せそうに笑うから、やはりアメリカに連れて行くのが手っ取り早いと思い至る。向こうでもこっちでも妙な男がいるのに変わりはないし、どっちにしても追いかけてくる輩はいるけれど。





* * * *







会場に着いたと同時に見かけた家族に声をかければ、使い慣れないビデオカメラを持った父親に最悪の事実を告げられた。お陰で隣を歩く少年が大きな事件に巻き込まれたなんて話は全く耳に入ってこない。
だから、自分の運命を嘆く麗しい姫君の顔が名前に見えるのも、愛おしすぎる透き通った声が響くのも頼むから幻覚であって欲しいと、何度も頬を抓っては肩を落とした。

「一度ならず、二度までも私をお助けになる貴方は一体誰なのです?」

どくりと脈打つ心臓の音が邪魔だ。それにしても台詞があんまりにも自分に向けられているものにしか思えない。脚本家は安室透の正体を知っているのか。

「嗚呼、黒衣を纏った名も無き騎士殿。私の願いを叶えて頂けるのなら、どうかその漆黒の仮面をお取りになって、素顔を私に…」

スポットライトを浴び、少女の恍惚とした表情が露わになると客席中の男達がどよめく。こうなることがわかっていたのでベルモットにも協力を仰いだのに、全くもって聞く耳を持ってくれなかった。これ以上男子の好感を独り占めさせてどうすると言うのだ。こっちは今だって不安しかない。

瞬間、少女の体がふわりと宙に浮いて男の腕の中へと収まり、頬が紅く染まる。相手役が同級生の女の子だとわかっていても虫唾が走って思わず舌打ちを零した。
ちらりと上手側に視線を流すと、カンペを持ったボブカットの女が見えて首を傾げる。ん?ボブカット?

「貴方はもしや、スペード王…? 嗚呼、幼き日のあの約束をまだお忘れでなければ、どうか私の唇にその証を…」
「おい、まさか…」

少女が眼を閉じて、女子高生が扮するにしては大きすぎる拳が頬に添えられた。キスをねだる少女の顔へとどんどん近づく唇。最初こそ腹立だしかった眠りの小五郎の声が全く聞こえないくらい心臓が五月蝿いし、キスをせがむ顔が可愛すぎてイライラした。自分がその表情を引き出したことは今のところないので、これが劇だと分かっていても信じられないほど悔しい。なんだかよくわからない悲鳴が上がって、意中の少女の瞳がこちらを向いたような気がした。


それから起きた事件のおかげで、劇のことは思い出したくない少女のメモリーとなりお蔵入りしたのは自身の呪いか何かか。初めて江戸川コナンの事件体質に感謝をしたのと同時に、何か仕組んだのかとベルモットには最後まで疑われ続けた。確かに最初は爆発物の持ち込みも考えたが心外だ。






* * * *







「名前さん、お疲れ様でした」
「安室さん。いらしてたんですね」
「勿論。まさか貴方がヒロインで出てくるとは思ってませんでしたけど。それにしても、麗しい貴方の身体にベタベタ触っていた相手役はどこのどいつですか」

普段は仮面の下に隠している殺気を前面に出す男を縋る思いで宥めて体育館の裏へと連れて行けば、告白ですかと訳の分からないことを言われて、なんとか爆発寸前で不機嫌を収めることができた。
それにしてもいつまでこの手を繋いでいればいいのだろう。

「ドレス姿は結婚式まで見れないと思っていたのですが…式は和装でも良いですね。それともやっぱり白のドレスも、」
「ちょ、安室さん、落ち着いてくださいっ」

政府の切り札である男の胸をポンと叩けば、待ってましたと言わんばかりにその手を掠め取って抱きしめられた。久しぶりに鼻腔に広がる匂いに肩の力がふわりと抜ける。視界がぼんやり歪んだ。

「仮面を捨てれば、キスをすることを許して頂けますか」
「…ダメです」
「僕は命を懸けて貴女を守りますよ」

いつも聞かずにハグやキスをする男が今日は何だか奥手だ。こんな風に比べるサンプルが出来てしまっているほど、彼と季節を過ごしていることに自分が一番驚いた。

「姫のお望みとあらば、醜きこの素顔、月明かりの下に晒しましょう」

それに記憶力は俳優並みだし、本当にここで素顔を晒されてしまったら色んな意味で困る。
夕日に染まった舞台であの忌まわしい劇が再開される。

近付く薄い唇が目に毒だと、ギュッと目を瞑った。もう何度目になるかもわからないそれが交わされると思った瞬間、後ろ手に聞こえる小さな声。なんだかさっきから世界も回ってる。

「ちょっと、園子ちゃん!押さんといて!ええとこなんやから…」
「しーっ!和葉ちゃん、声おおき……え?ちょっと名前!」

そういえば数日前に少年に無我夢中で輸血をしたが、自分が元々貧血気味だったことを忘れていた。

傾いた身体を支えてくれた男にはこの後病院で散々お説教を食らって、件の劇の相手役を幼馴染が演じていたことはバレずに済んだ。

「暫く僕の家で療養しましょう。学校は狼の住処です」
「安室さんのお家でもそれは変わらないんじゃ…」
「ほぉ…心外だな。僕のことをそんな風に思っていたんですか」

それからありとあらゆる部分に吸い付かれて、全身を真っ赤に染めた頃合いにお見舞いに来てくれたクラスメイトと大阪の友達に冷やかされたのもひっくるめて、ここ1週間のことはできれば当分思い出したくない。

2019.07.13
安室さんと黒衣の騎士

back← / →next

BACK

×
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -