探偵たちの夜想曲

毛利名前の存在ができたことによって、安室透の行動パターンは大きく変わった。得意のポーカーフェイスも、少女の前では形無し。最初こそ当たり前だったものの、最近では偽物を装って接することが中々できない。

「梓さん。ちょっと毛利先生のところに行ってきます」
「はーい!いってらっしゃ…あっ、名前ちゃんの好きなハムサンド!」

ガッツポーズで見送られ、やんわり眉を下げる。喫茶店の同僚は自分と二階の住人が上手いところに収まることを信じてる。



「仕方ないよ。事件が起きてからまだ1週間経ってないし、銀行員の1人が撃たれて亡くなってるらしいし」
「銀行強盗…」

この家族は末の娘がつい先日銀行強盗に合い、命を脅かされたことをすっかり頭から抜け落としてしまっているのか。
普段より青みがかかった唇に今すぐ口付けてここから連れ出したい思いをやり過ごして扉を小さく開ける。それにしても、今日も信じられないほど可憐だ。

「でも、それで逆に犯人の怒りを買って撃たれたんじゃ、同じだっつうの」
「しかし、悪いことはできませんねぇ…」

階段を上ってくる音で、きっとこの子は気付いていた。どこか頭のネジが外れた家族にとっとと愛想を尽かして逃げてくる日を此方はいつだって夢見ている。

「お世話になっている毛利先生に、お昼のサンドイッチのサービスを!もちろん、お代は僕持ちで」
「わぁ!私たちの分まであるんですかっ」
「そりゃあもちろん。名前さん、もしよろしかったら一緒にお茶を淹れましょう」
「わたしが淹れますから、安室さんは、」
「名前さんの淹れてくださるお茶、好きなんです。この機にコツを教えて頂きたい」

自然な動作でその場から連れ出せば、少女は恥ずかしそうにこちらを伺った。それが2人きりというシチュエーションに起因していれば最高なのに。

「すみません。気を遣わせてしまって」
「貴方こそ、気を遣っているじゃないですか。僕は名前さんのためだったらどんなことだってできますよ」

困ったような表情で感謝を伝えられたので、家族の死角に入った瞬間衝動的に細い身体を抱き締めた。前回の逢瀬は息苦しい地下だったし、妙な男に連れていかれた後、暫く姿を見なかったので今日までずっとモヤモヤしていた。

「ずっと会いたかった。名前さん、いつになったら僕とデートに行ってくれるんですか?」
「もうすぐテストがあるので…」
「それなら一緒に勉強しましょう。これでも学生時代の成績はいつも良い方だったんですよ」
「姉と園子ちゃんの勉強も見てるんです」

相変わらず一筋縄ではいかないし、もしかしたら避けられているのかもしれない。わかりやすくがっくり肩を下げれば、意中の少女がクスクス頬を綻ばせて笑った。そんな表情は初めて見るし、他所でもしてるなら閉じ込めてしまいたい。

「実は理数教科は壊滅的で…ポアロに伺ったら、教えて頂けますか?」
「期間中は毎日シフトを入れてもらえるようマスターに掛け合ってみます。よかったらその後家庭教師もさせてください」
「お身体をやすめたほうが…」

こういった心配をしてくれるタイプの人間と話すのも久しく、愛おしさが溢れ出す。2人きりだったら壁に縫い付けてあんなことやこんなこともできたのに。
この深い海から抜け出すのは、組織を壊滅させるより困難だと安室は天を仰いだ。


サンドウィッチは冷蔵庫の2段目で留守を任された。依頼人と落ち合う筈だったレストランから事務所へ戻る道中でも名前は男の視線を集めていて腹が立った。このジトリと欲望を孕んだ視線を察知できないのは致命的。父親と怪力な姉の手前、いつものように細腰を引き寄せることはできなかった。

「安室のにーちゃん…目、こわいよ」
「はは…どうも彼女のことになると歯止めが効かなくなるね」

同意を求めたつもりだったのに少年はプイと通りを向いたと思ったら、名前のとなりに並んで手を握った。非常に手強い恋敵。



「で?誰も待ってねぇし」

依頼人からのメールには返信をしたという男も怪訝な顔をする。確かに同じ探偵業をしていて、私情で振り回されることは少なくないが、迷惑ではないといえば嘘になる。

「紅茶でも飲んで待ってようか。もしかしたら電車が遅れてるのかも」
「あ、名前さん。紅茶淹れるなら手伝いますよ」

父を宥めキッチンへと脚を向かわせる少女を追いかければ、ティーカップを準備する手伝いを承諾してくれた。後ろから邪魔するように小さな探偵がひょこひょこ椅子を持ってくる。手を伸ばそうとしていたカップを横取りされたので、お返しにビル街の風で少し乱れた名前の髪の毛を撫でてやれば、今やろうと思ったのにと言わんばかりの視線が届いた。お互い様だろうに。

「お!依頼人から返事きたぞ」

眠りながら推理する男がトイレのノブに手をかけた瞬間だった。依頼人はレストランへ戻るよう促しているという。
名前は茶葉をお湯に沈めていた。

「事故に遭ったとかじゃなくてよかった」
「僕も付いて行くから待ってて!先にトイレ済ませちゃうから…」

今度は少年がトイレに走る。同時に安室さんは行きますかと可愛い声で質問があったので、貴方が行かないなら一緒に待ちますよと伝えた。そうではなく、紅茶が必要かどうかを知りたかったのだと少女が顔を赤らめるから、家族の前で理性を保つのがいよいよ難しくなってくる。
父と少年はトイレに入るところだし、姉はソファで携帯電話を弄ってる。
触れるなら今しかない。

「ん?また依頼人からメールだ。急いでみんなで来てくれって」
「みんなでって…私たちも?」
「他に誰が居るんだよ」

え、と少女が小さな声を上げた。それが自分と同じ疑問から来るものなら大したものだし、少年も同じ顔をしていた。これは何かあると、米花町1事件体質の家族を前に口角が上がる。

「では、またみんなでコロンボに行きましょう。さぁさ、皆さん急いで!名前さんも」
「早くしないと依頼人さんが待ちくたびれちゃうよ?」

魔の手がこの少女に差し伸ばされる前に、しっかりと手を握った。それを視界に捉えた少年も今だけは見逃してくれるらしい。
この後起こる不吉な事件が終わるまで、絶対に離してやるものかと力を込めれば、自分と少年の態度を悟った少女が不安げな表情を浮かべていた。自分だって未来が予測できるわけではない。

5丁目の住宅街に1発の銃声が轟いた。

「名前さん、絶対に僕の手を離さないで下さい」
「あむろさんは、中に入らないんですか…?」
「貴方を置いて何処かになんて行けませんよ。それに、僕の他にも探偵は2人居ますから」

銃声も、男の自殺体も、女性の怯えた姿も、飛び散った血も。この少女は全部まるごと知らなくていいのに。一握りだけ残った自分の善が疼く。そんなものがまだ残っていたなんて自分が一番驚いた。
それに、もし犯人がまだ中にいるなんてことになれば、今にも腰を抜かしそうな少女から離れるなんてことはできない。守るのは自分だと決めている。

この少女に出逢って、久しぶりに自分の使命の本質を思い出した。




結論から言って樫塚圭は怪しい。
男が拳銃自殺を図った事務所に姉妹2人での留守番は流石に気が引けたのか、渋る妹を連れて姉もスポーツカーに同乗した。そうでなくても道交法に反してる。

少女は家で待つと震える両手を必死に抑えていたが、後にあのピンク色の髪の男と居ますだなんて言われたら溜まったものではないので、最終的には同行を促した。

「すみません、お邪魔ですよね…」
「あそこに残られた方が心配事が増えましたよ」

本当は助手席に乗せたかったものの、少年が名前の上に乗ると聞かなかったので息苦しい後部座席に詰め込んだ。麗しい横顔を眺めながら運転できると思ったのに。



少年と件の女性がマンションから姿を消しても顔色ひとつ変えない名前を見て、この家族の中で一番頭の中を覗くことが難しいのはこの少女だと確信した。
少年から何か聞いているのかと問いただしても、欲しい返事は全くない。

「探偵事務所で男性を自殺に見せかけて殺した可能性のある女と一緒に居なくなったんですよ?それでもコナン君が無事だと言える理由がどこにあるんです?」
「安室さん、なんてこと言うんですか!」

姉は肩を震わせて少年の安否を確認している。普通ならこの娘もこうして取り乱すはずだ。それでも、彼ならきっと大丈夫だと柔らかく微笑むその姿は、少なくともこの場には似つかわしくない。

「随分と彼を理解しているんですね」
「ずっと一緒にいますから」

やはり自分はまだ、物理的にも精神的にも距離がありすぎる。



今度こそ意中の少女を助手席に座らせ、米花町で有名らしい博士の発明品を頼って車を発進させた。
父と姉は後部座席で電話を片手にあれやこれやと推理を連ねる。それでもピンと来るものは何1つとして浮かばない。自身の意識は助手席と背後からついてくるバイクに集中していた。


「なにぃ?小僧を乗せた車が、王石街道を北上してるだと?」
「王石街道ってこの道じゃない!」
「青い小型車?ナンバーは…」

助手席ばかりに気を取られていた眼球を反対車線に滑らせた。妙に見覚えのある赤い車の前に、小さな青い車が走ってる。

「なにかに掴まって!」

くるりと進行方向が変わった車中で少女の細い身体が揺れる。ひゃっと小さな声が漏れ、両手でシートベルトを握り締めたのを視界に捉えてから、スピードをぐんぐんあげる。赤いスバルを追い越す際、僅かにあった視線は自分の手前で止まった。

「毛利先生はそのまま右側のシートベルトを締めていてください。蘭さんはシートベルトを外して先生側に。名前さんも外してこちらに」

細い上体を傷一つつけてたまるものかと必死に抱き寄せてサイドブレーキを引く。酷い衝撃と共に首元を掠る少女の吐息がひゅっと止まって、同時に少女の手が自分の胸元に頬をくっつけるのでいよいよこちらも我慢の仕方を見失う。

「……怪我はありませんか、名前さん」
「だ、いじょうぶです…」

妙な静けさの中、姉は急いで車を降りて少年の安否を確認しに行き、小五郎は誘拐犯に駆け寄った。名前は相変わらずこちらに身を委ねてカタカタ歯を震わせる。少年を助けるためだったとはいえ無茶を実行したのは自分なので、視線を合わせようと顔を覗けば、離れたくないと言わんばかりに少女がひっついてきた。

「名前さん…?」
「ごめんな、さい…こ、こしが、」

ぬけてうごけない
そんな少女の軽い熱を抱き上げて車を降りれば、四方から鋭い視線が飛んできた。首に回された腕は熱く、顔も紅く染まってる。こんな姿に欲情しないのは、この世で肉親くらいだろう。

「こんなに良い思いができる事件なら、いくらでも起きてくれていいんですけどね」
「なんてこというんですかっ」

一応の信頼?そんなもの、少年のスニーカーに稲妻が走るのを見たら、得られたかどうかだって甚だ疑問だ。

2019.07.03
探偵たちの夜想曲

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