誰にも教えていないこと

初めてその子を見たときは、本当に空から天使が舞い降りたなんて小学生レベルの感想がぽろっと零れそうになった。

短いスカートから伸びた白い脚は少し力を入れて握れば折れてしまいそう。瞬きするたび長い睫毛が揺れ、ぱっちり開かれた大きな瞳が此方を向きそうで向かないのがもどかしい。触らずともわかるふわふわな髪の毛を撫でる細い指が煽情的で、目が離せなくなった。あれは帝丹の制服。

信号が青に変わる。初めて見かけたのもこの横断歩道だった。あの日から帰路を変え、この時間にここを通るようにした。毎日1秒弱すれ違うだけだと言うのに、心臓が五月蝿く胸を打ち付ける。頭にまで響いて、自分の動機が平均より早いのではないかと定期検診の校医に相談しようか悩んだのも記憶に新しい。

ゲラゲラ笑いながら彼女の肩を叩くボブカットの女の子や、幼馴染のことを赤い顔で語る女の子、スカートを履いていないと女だとはわからない八重歯の女の子の誰かがいつも一緒で、1人でいるところを見るのは今日が初めて。普段より周りを気にせず視線を送れば、あんまりにもその姿が可憐すぎて、サラリーマンがぶつかったことにも気がつかなかった。

「あ…ごめんなさい、」
「っ、いや、こちらこそ…」

此方に非があると言うのに、なんて謙虚な子なのだろうか。性格までもが美しい。初めて視界に入ることができた嬉しさで、しばらくそこから動けなかったし、少女は心配そうに此方を覗いている。その首の傾げ方だけで人を恋の奈落に突き落とせるだろう、当たった肩口が猛烈な熱を発していた。

たった一言交わしただけ。それだけでこんなに舞い上がって満足している自分に自嘲した。滑らかで明るいその声を、鼓膜に焼き付けながら歩みを戻す。後ろ手にあの子の電話が鳴っていた、電話に出る声はさっき聞いたそれよりとても柔らかい。
嬉しいハプニングのお陰で自分の感情を処理することに必死になって、もちろん背後を振り返ることはできなかった。また明日、貴方の世界に少しでも入ることができたら。緩む口許を手で覆いながら帰路を急いだ。



その日は雨だった。毎日この時間が1日の至福で、遠目から彼女を見つけただけで重たい雨の中でも浮き足立ってしまう。白地に淡い花柄の雨具があの子らしいと、持ち物さえが愛しく思えてしまった。そろそろ変な感情に侵されかけている。同じ学校だったらどんなに幸せな学生生活を送ることができただろう。

「名前」
「…安室さん?」

男の人と歩いているところを見たことがなかったし、同級生と比べて色気付いた顔をしているところも見たことがなかったから、彼女にそういう相手が居ないと都合よく決めつけてしまっていたのかもしれない。彼女の背後から姿を現したのは5丁目の喫茶店で人気なウェイターだったなとぼんやり頭の隅で思い出す。クラスの女子がキャーキャー騒いでいたのを知っていた。

男は自然な動作であの子の荷物を引き取っていた。それから自分の傘を閉じ、少女の手から例のそれを奪っている。道が狭いから1つにしようと口許が動いた気がした。随分と愛しそうにあの子を見つめている。

「明日は何処に行きたいか決めましたか」
「ハムサンド、まだ食べてないなって思っていて」
「ほぉ…それは僕の家に来たいと解釈してもいいですか?」
「あ、安室さん…!こんなところでそういうことっ」
「そういうことって?名前さんは積極的だなぁ」

悲しいことに男の口から発せられたことで少女の名前が名前だと言うことを知る。随分親しい間柄なのだな、と感じざるを得ない会話。そんな顔も見せるのか、頬を真っ赤に染めて膨らまし、目にはうっすら水分が浮かんでいる。視界に入ることができたのはあの日が最初できっと最後だった、自分は土俵にすら立てていない。着信に応えるのと同じ声色、それは同級生たちと一緒の時とも僅かに違う。

「学校まで迎えに行きます。宿泊の準備は済ませておいて下さいね、一緒に自宅まで取りに行きましょう」
「な、なんでそういう方向で話が進んじゃうんですか…!」

至極、お似合いだと思った。同時にお前はこの少女を何も知らないんだと言われたような気がして、傘を持つ手が縺れた。心なしかブルーの瞳と視線がかち合ったような気がする。

遠慮がちに傘の中心へと寄り添う姿がいじらしい。きっとあの人も同じことを思っただろうし、またそこも彼女らしくて切ない。

「名前さん。そんな顔、学校でも外でも見せちゃダメですよ」

少なくともこの数週間で彼女のそういった類の表情はみたことがないし、心配はいらないだろう。そのブルーの瞳を見つめる少女の瞳がうっとり細まっているのを、この男は気付いているのだろうか。

信号が青に変わった。過ぎ去り際に見た彼女があまりにも幸せそうに笑っているから、その笑顔が永遠に続くことを願った。渡りきるまで、この恋が終わる音を噛みしめよう。

明日からは歩き慣れたあの道を歩こうか。またいつかどこかで会えたら、少しくらい君の世界に関わることを許して欲しい。それでもすっげー悔しいから、おそらく一生あの喫茶店は利用しない。

2019.06.09
番外編「誰にも教えていないこと」
title by 金星
しばらく雨が続きそうなので。

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