魔法を奏でて、三時のドアへ

「浮気よ、浮気。ぜ〜ったい浮気!」
「名前さん。私たち本当に名前さんのことを心配してるんですよ!」

開口一番に現在付き合ってる私の彼が浮気をしていると告げる女子高生2人の剣幕に、思わずごっくり息を飲んだ。
随分長い付き合いのこの2人には本当の姉のように慕われている。彼女たちの恋愛相談を受けることが常だったが、今回は話が話なのでシッと口の前で人差し指を立てる。

「一体どうしたの2人とも」
「私たち見たんです、名前さんの彼氏が米花公園で女の人と抱き合っているところ…」

心底申し分なさそうに眉を下げる蘭ちゃんに酷く罪悪感を覚えてしまった。
目の前の2人は運命の恋とか、初恋とか、王子様とか。愛を交わした男女は死ぬまで心も共にずっと一緒にいてくれるときっと信じてるし、それが叶う未来だって掴もうとしている。だからこそ、彼女がいる身で他の女に愛を囁いて私を弄んでいる男がどうしても許せないことだって分かってる。分かっているけど、私は別にこの世に本当の愛が存在しているとは信じていない。ましてや、こんな私をずっと愛してくれる人なんて。

「心配してくれて本当にありがとう。一度彼と話し合ってみる。だから、そんな顔しないで?」

不服そうな妹達に眉を下げ、彼女達の頭をポンと撫でた。2人の笑顔が大好きなのに、そんな表情をさせてしまって申し訳無いのは私の方だ。
仕事があるからと席を立ってサラリと取り上げたレシートをレジへと持っていけば、最近ここの店員になったという男が紙切れを受け取ってくれた。名を安室透と言うらしい。

「ケーキのお代を二つ分追加して頂けますか?安室さんのオススメがいいな」
「おや、彼女たちへのサプライズですか?」
「さすが名探偵。察しが良いですね」

ポアロは蘭ちゃんの自宅の下だし、割と常連客であるつもり。こうして人と会話をすることに長けた男と話をしない道理がある訳もないため、年齢も近いことから彼とは冗談を言い合えるような仲になっていた。彼の同僚である梓ちゃんには何度関係を疑われたか。

「お代は結構です。僕からのサービスってことで」
「そういう訳には…」
「貴方はご自分の心配を優先すべきです。…お節介かもしれませんが……」

ひょいと手招きした色男の口が近付いた私の耳へと心地よい音を奏でる。こんな現場を彼のファンに見られてしまったら大変だ、ただでさえここでは睨まれることが多いのに。

「名前さん、貴方には笑顔の方が似合う。何かあったら連絡して下さい。いつでも力になります」

貴方が少しでも笑顔でいてくれるように頑張りますから

蘭ちゃんや園子ちゃんがいる手前、大人が弱いところを見せるわけにはいかない。ぼやけ始めた視界を認識してしまえば、堰を切ったように雫が溢れ出すことは目に見えて居る。
目の前にいい見本がいるではないか、名前は普段男がするように、らしくもなく笑顔を貼り付けた。

「本当、人の懐に入り込むのが得意ですね、安室さんは」
「心外だなぁ、僕はいつでも本心を伝えているのに」

人好きのする笑顔を見せた彼と同じ顔をしているのかと思うと少し嫌な気持ちになったけど、彼の素直な優しさを噛み締めてひらひらと手を振れば、またお待ちしてますと言う暖かい声が耳に届いた。可愛くない女だと、自分が1番自覚しているつもり。彼の声を聞くとすぐにでも泣きたくなってしまうのだから仕方ないと、言い訳をひとつ呟いた。

握られた手に渡されたレシートの裏紙を、きっと私は捨てることができない。
小さな寂しいベルの音を耳に残し、名前は顔を伏せたまま家路を急いだ。



* * * *




その女性がこちらを頼ることは、彼女に余程のことがない限りあり得ないと、安室は彼女の性格をプロファイリングした上で結論づけていた。

「名前さんも馬鹿よ…どうしてあんな男を野放しにしてる訳?!」
「私、本当に許せない」

女子高生2人の推察は間違いなく事実だ。職業柄、出会う相手の素性はくまなく調べてしまう癖がある。調査対象の毛利小五郎に近い存在、且つ自分と歳が近いことから、彼女との接触は避けては通れなかった。損をするほどのお人好し、誰にでも優しく朗らかな性格。そのお陰でみんなに愛される反面、騙されることも多いだろう。
数ヶ月前に見かけた彼女の恋人は、自分が依頼を受けた浮気調査の対象人物の相手の方だったことを覚えている。幸せそうな笑顔を見せていたが、その奥に潜む切なげな色を安室は見逃さなかった。

彼女は恋人の浮気に気付いている

人を傷つける事をひどく恐るあの女がそれを追求するはずもない。そんな彼女の精神が崩壊するのは秒読み段階にあるはず。
調査対象に近づくための駒、それだけのはずだっだ。ハニートラップを仕掛けられるような相手だったらどんなに救われたか。目を瞑れば浮かぶ屈託のない子供のようなあの笑顔。どうしたら、あの笑顔を壊すようなことができるというのか。

「大丈夫ですよ。名前さんが酷い目に遭うのなら、僕が力尽くでも奪いに行くと決めてますから」

目を見開いた少女たちを最後に眼に捉え、男はエプロンを外して喫茶店を出た。
ポロンと気の抜けた音で彼女からの着信を知らせたスマホ。もう、彼女に返す答えはずっと前から決めていた。

「すぐ迎えに行きます。待ってて下さい名前さん」

今は"安室透"として弱みに付け込むことしか為す術がないという事に、走り出した男は酷く自嘲した。

20170920
短編「魔法を奏でて、三時のドアへ」

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