にせものまじりのほんとう

「冬の匂いがする」

ふぅ、と白い息を吐き出しながら、女はそう呟く。赤くなった頬が彼女の肌の白さを一段と引き立てていた。
彼女は俺が潜入する組織の一員で、当時は2人でタッグを組まされる事が多かった。ミステリアスな雰囲気を纏った、か細い女。この腐り切った生活に嫌気がさしているような表情が、彼女の魅力を全て隠してしまっていたような気がする。

「アマレット」
「…その名前、嫌いなの。名前って呼んで」

彼女は言った。静かな街で、人々が温度を求めて足早に家に帰る。外を歩く恋人は普段よりも距離が近く、子連れの家族が雪を見て楽しそうに笑っている。そんな冬が好きだ、と。
組織の人間らしからぬ言葉だと思った。そして、あの時の彼女の切ない表情を、冬になると毎年必ず思い出す。組織を抜けた今になってもなお、それは現在進行系だ。

「ねえちょっと、昴さん!聞いてるの?」

キンと耳に響いた声の主を目で辿れば、今にも零れ落ちそうな程に膨らんだ赤い頬が目に入った。そんな彼女の表情に、思わずふっと吹き出してしまう。それを気に入らなそうに睨みつける名前だったが、俺が差し出した手を見れば、幸せそうにフニャリと笑ってこちらへ駆けてきた。
名前が死ぬ思いで組織を抜け出してから、もう半年が経とうとしていた。血に塗れた女が倒れているという坊やの連絡を受けて急いで駆けつければ、そこにはずっと行方を探していた女が変わり果てた姿で倒れていた。

「名前……!」

自分でも情けないほど酷く、焦りを含んだ声だったと思う。救急車を呼ぶわけにもいかず、かといってジョディやキャメル、FBIの仲間に連絡をするわけにもいかない。"俺"は今、この世に存在しない人間なのだから。頭が正常に働かないほど動揺した俺を見かねた坊やが驚いた様子を見せながらもあの博士に連絡を入れてくれたおかげで、彼女は一命を取り留めた。

「ねえ昴さん、今日は私、お鍋が食べたいなあ」
「鍋、ですか……では、名前さんが好きなキムチ鍋にでもしましょうか」
「絶対そう言ってくれると思った!」

語尾にこれでもかというほどのハートマークをつけ、るんるんとスキップをする名前。ここまで彼女が明るくなったのは組織を抜けることができたからなのだろうか。有希子さんの力を借りて、俺と同様、本当の姿を見せているわけではないが、彼女が心から笑っているとわかった時、自分もなぜだか元気になっていた。

「名前さん。そんなに走ると転びますよ」
「わ、わかってるよ!」

この寒さで赤くなった鼻、頬。そしてくしゃりと寄った目の皺。純白の雪に囲まれたその美しい姿を、男はしっかりと目に焼き付ける。前を走る彼女を早足に追いかけて再び手を握れば、やはり彼女はあの時と同じように、切なげな笑みを浮かべていた。

「…名前さん?」
「……全部忘れて、ずっとこのまま、こうして生きていけたらいいのに…」

水分を含んで伏せられたその瞳はもう、見慣れてしまった。そして彼女が俺の答えを待っているわけではないということを、俺自身が一番よく分かっている。今は彼女の手をこうして握ってやることしかできない。それ以上でもそれ以下でもない、ただの同居人。しかし、いつかお前に俺の正体を教えることができたなら。その時は、力いっぱいこの身体で君を抱きしめて、一生かけて守っていくと誓おう。そして何度だって側で言ってやる。
ーー君はこの先、俺の隣で幸せだけを見ていればいい、と。

銀色の空から降り注ぐ白い氷の粒。彼女の髪の毛についたそれをそっと掬えば、綺麗な結晶の形を未だに保っていた。浮かんだ、組織にいた頃の切ない表情。しかし、あの時から一つだけ変わっていないことがあるではないか。
ーー大丈夫。強い女だ、君は。

「来年も、一緒に雪が見れたらいいですね」

きゅっと握り返された手を、先ほどより強く自分の手の中に閉じ込めた。温もりを失わないよう、これからだってずっと、君のそばに居るつもりだ。そんな意味を込めたことが伝わったのか、どちらともなく、2人の視線が合わさる。もう、彼女の顔に切なさは淀んでいないことを確認した赤井秀一は、小さな頭を、その大きな手でそっと撫でてから、歩みを再開した。

二丁目に佇む、古く大きな洋館。2人が住むのに必要最低限の電気とガスがついた、寂しげな建物。ただ、いつもと違うのは、この家の門の前に2つの小さな雪だるまが寄り添って置かれていたことだった。



短編「にせものまじりのほんとう」
title by しるかぎりのことばを
2016.12.17

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