もう傷つけないからこっちを向いてよ

また今日も一つ、心に傷が増えた。
友達に最近彼氏とはどうなの?って聞かれるたびに思い出して、泣いて、思い出して、泣いて。そんな毎日を繰り返していれば、私の心と身体はみるみるうちにズタボロになっていた。こんなはずじゃなかった、そう。こんなはずではなかったのだ。

「っ…」

痛む胸を無視して歩くスピードを上げていたせいか、身体のいろいろな部分が悲鳴をあげていた。背後から近づいてくる気配がないことを確認した私はその場にへたり込み、目を閉じる。もう、全てから逃げてしまいたい、そんな風に思ったって既に遅くて。車が近づいてくる音を感じながらも、私はその場から動くことができない。一層の事轢かれてしまってもいいかと思ってしまうほど、私に気力は残っていなかった。

「…こんなところでなにをしているんだ」

視界に広がる黒いタイヤ。耳に届く男性の声。ゆっくりと目を上げていけば、赤い車の窓から私を見つめる黒い…人。
ーーああ、この声、知ってる…。でもそんなはずは…

「馬鹿…赤井さんは死んだって…」
「名前」

自嘲めいた笑みを浮かべながら自分に言い聞かせるように呟けば、聞き覚えのありすぎる声で名前を呼ばれて喉が熱くなる。息ができなくなるような感覚に身体が震え、おそるおそる車から降りて私の前にしゃがんだ男を視界に捉えた。

「……あ、かい…さ…?」
「あぁ」
「っ…あっ、な、なんで…」

ジョディさんとジェイムズさんは、赤井さんの恋人だった私に彼が亡くなったことを報告しに家を訪ねてきてくれた。神妙な顔つきで赤井さんの最期を語る2人を前にしてもそんなことは信じられる訳がなくて、ニュースで燃え盛るシボレーを夢見心地で見ていたのを今でも昨日の事のように覚えている。そんな赤井さんが今、あの時の大きな黒い車では無く、小ぶりな赤い車に乗って、私の目の前にいるのだ。
ーーねぇ、本当にあなたは赤井さんなの?
ーーこの間デパートジャックの時に出会った火傷の彼とは本当に違うの?
ーーどうして、生きているの。
疑問は挙げればきりが無くて、口からは何も言葉が出てこない。赤井さんは俯いた私をひょいっと抱き上げ、赤い車の助手席に座らせた。何処に向かうかもわからない車の中、赤井さんはただ前を向いていて、私はずっと俯いたままだった。


* * * *


「…く、どう…?」
「あぁ、ここが今俺の住んでいる場所だ」
「だ、だってここって…」

到着したのは工藤邸だった。ここは昴さんの家、そう言おうとした時に全てを察した。やっぱり、昴さんは、赤井さんだったんだ、って。赤井さんの死後、急に私の前に現れた沖矢昴さんは、赤井さんと同じ手をしていた。性格は180度違ったのに、何処か面影がある彼を何度も何度も赤井さんなんじゃないかって思って、彼に会うことは自ら避けていたんだけど。
ーーそっか…赤井さん、ずっと私の近くに…

「名前、泣くな」
「…っ、泣いて、ないっ…」
「すまんが、こういう時になんと言えばいいのかわからないタチでな…」
「…っ、」
「…悪かった。たくさん泣かせてしまったな」

赤井さんが眉を下げる。普段、決して饒舌ではない赤井さんが、私のために言葉を選んで話してくれている事実が信じられないほどに嬉しい。広くて大きい工藤邸のリビングの中、赤井さんは私との距離をゆっくりと詰める。彼の気配が側にあるだけでこんなにも涙腺がもろくなってしまうものなのだろうか。

「だが…」

赤井さんが私の頬を撫でる。涙でびしょびしょのそこを拭うよう、優しく動くその大きくて温かい手が私を安心させた。
ーーあぁ、赤井さんだ。赤井さんが帰ってきた。
身体がそれをようやく察した瞬間だった。赤井さんはそのまま私の顎をくいっと掬って、私と視線を交えると、何回も見てきた優しい笑顔で私を見つめていて、小さく口を開いた。

「お前を置いて、向こうには逝けないさ」

瞳からはまた雫が溢れて頬を伝う。赤井さん、そう紡ごうとした唇が彼の薄い唇に喰べられて私の想いは吐息と化して彼の中に飲み込まれた。赤井さんはそのまま私を抱き上げベッドルームへと向かうと、もう絶対に離さない。そんな想いを身体で伝えるかのように、私を朝まで離してはくれなかった。



短編「もう傷つけないからこっちを向いてよ」
title by moss
2016.05.01

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