宵待ちジュリエット

「名前!待てって!違うんだ!!」

そう言って私の後を追いかけてきた男は、30秒前まで、私と同棲中の家で、見たことのない女を抱いていた。



宵待ちジュリエット



カランと氷がコップの中で崩れる音。店内に流れるオフビートなジャズ。もうあの修羅場から2ヶ月が経っていた。

「名前!待てって!違うんだ!!」
「別にいいわよ。というか、他に女がいたなら言ってくれたら身引いたのに」

彼との付き合いは3年だった。1年前、大学卒業を機に買ったあのアパートも2ヶ月前のあの日でおさらばだ。今度はあの女との愛の巣になるのだろう。

「お前はいつもそうだよな」

思い出す彼からの最後の言葉。

「お前が俺のこと本当に好きなのかわかんなかった」

浮気をしていたくせに、彼は悪びれるそぶりも見せず、責めるような目つきで私に言っていた。

「そんな性格だったらお前二度と男できねーぞ」

ーーんなことわかってるっつーの。
はぁ…と、溜息を吐いて目の前の酒の氷を指で混ぜる。大きかったまん丸の氷がウイスキーに溶けて小さくなっていくように、私の頭の中に残る彼の言葉も消えていって欲しかった。好きとか、愛してるって、言葉にするとその言葉の価値が減るっていうか、軽くなるっていうか。私は、そういうことを伝えるのが苦手で、彼にそういった類の言葉を言ったのは、3年間で2.3回程度だったと思う。だから、彼にああいう風に責められても、文句は言えなかったのだ。そんな権利、私にはないのだから。ーーそれにしても、だ。

「…簡単に変われるもんなら変わりたいわよ……」

カウンターの端っこに座り、1人でそっとつぶやいた言葉はおそらく誰の耳にも届かなかっただろう。
それでも彼のことは好きだったのだ。3年間も一緒にいた。嫌いなわけがない。
もう彼に料理を作ってあげることも、朝起こすことも、夜を共にすることもないのかと考えて悲しくなって視界が滲む。
ーーばかね。自業自得じゃない。あなたが悪いのよ、名前。
そんな言葉をもう1人の自分に言われたような気がして、自嘲的に笑って目の前のウイスキーを身体に流し込む。喉を通るウイスキーが、胃に辿り着く、あの独特な感覚を覚えて少し嫌な気分になる。ぐっ、と眉に力を入れれば、隣に人の気配を感じた。

「…御嬢さん、そんな風にロックを煽ったら明日どうなるかわからないぞ」

ふとどこからか聞こえた低く聞き覚えのある声に、数秒遅れて考える。
ウイスキーのロックを飲んでる女なんて、ここには私しかいない。ふと顔を見上げると、そこには知った顔の男の姿があった。

「…いいじゃない。飲みたい気分なのよ」

幼い頃、私の実家の隣に住んでいた彼…赤井秀一は、やっぱり幼い頃からクマの酷い、無愛想な年上の男だった。

「…男か」
「えぇ。だけど、私が悪いのよ」
「……ほぅ」

微妙な相槌を返し、彼は私の横に座って、バーテンにバーボンのロックを頼む。私は目の前のコップを弄りながら、口を開いた。

「2年ぶりね。いつこっちに来たの?」
「昨日だ。お前の家に行ったら彼氏と同棲していると聞いたものでね。お前がいきそうなバーに寄ってみたというわけだ」
「あら、会いに来てくれたの?光栄だわ」

そう言って、今日、初めて目を合わすと、彼は優しく目を細めて私の頭を撫でる。
彼の家を出てからは、高校、大学と貯めていた貯金をはたいて、彼との家よりも数倍広いマンションを借りていた。親にはまだ連絡もしていなかったから、彼はそう言われたのだろう。

「…浮気された」
「……」
「でも私、彼に愛をあげなかった」
「…あぁ」
「言葉じゃなくても伝わると甘えてたのね」
「……」
「後悔も反省もしてるわ…変われるなら変わってしまいたかった」

隣でバーボンを煽りながら私の話を聞く秀一は、私を責めるわけでも、意見するわけでもなく。ただ真剣に話を聞いているようだった。

「…好きだったのか」
「一緒に暮らしてたんだもの。でなきゃ耐えられないわ」
「…名前」

いつもより優しさを帯びたような声で名前を呼ばれ、ん?っと彼を見れば、今までに見たこともないような真剣な緑色の瞳と目がかち合う。

「…お前は悪くないさ」
「……」
「次を頑張ればいい」
「…うん」

そう呟いた彼女の瞳には涙はないものの、悲しく辛そうな表情が浮かんでいた。
ーー俺ならお前をそんな顔にはさせないんだが、な。
どこか冷めたような雰囲気の彼女を、損な女だと思っていた。素直に気持ちを表せずにいる彼女は、天邪鬼なわけじゃない。
不器用だ。
だから目がいってしまう。綺麗な容姿とのそのアンバランスさから目が離せなかった。
俺がアメリカに行くといったとき、名前は初めて俺の前で泣いていた。感情を表に出さないこの女が、俺のために泣いたのだ。

好きだ、と思った。
愛しい、と思った。

こいつの笑顔のためだけに生きていたいと思った。
日本に戻れば真っ先にお前のところに行くと約束をして俺はアメリカに旅立ったのだが、帰ればこうやって男ができていて、傷付いて。
ーー全く。油断も隙もないものだ。

「秀一、私もそれ飲みたい」

自分で手を伸ばした酒に、にがっ、と、顔をしかめてる名前の手を握る。びくっと反応して、こっちを見る大きく、うるっとした瞳は、俺の胸を高鳴らせるには十分だった。俺は、その瞳に煽られたように口を開く。

「…お前はいつになったら俺の気持ちに気付くんだ?」



宵待ちジュリエット



(見開いた彼女の瞳からは後に涙が溢れる)
(「私、可愛くないわよ」と、優しい微笑みに変わる瞬間、俺は彼女に口付けた)

(彼は私に口付けて「必ず幸せにするさ」と笑う。)
(不思議とその言葉は暖かく、重みのあるものだった)





BACK

×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -