街は今も君の不在にあふれている

「疲れてる時は、コーヒーよりもこちらの方がいいですよ」

一言だった。そのたった一言が、私の心には深く、深く染み込んで。

「なん、で…」
「こうみえても、僕は探偵ですから」

ニコリ、少し複雑さを含んで笑ったその男性。変わらないその派手な髪色と、整った顔は私の脳裏に酷くこびりついて離れない。

「ふ、るや、さん…」
「…」

そう呼んでも、彼はこちらを振り向くどころか、他人の顔をする。
近くの女性ウエイターに呼ばれ、返事をしたその名は、わたしに全く聞き覚えのない名前。なにも知らないわたし。まったく知らない彼。頭の中で、混乱が起こる。わたしの知っている降谷さんは、カウンター越しのこの男ではないのだろうか。
目の前で静かに湯気を立てるアールグレイ。わたしの好きな、ラベンダーの香り。一口すすれば、その香りが口いっぱいに広がって、何故か鼻の奥がツンと痛みを訴えた。

「おいしい…」
「それはよかったです」

ティーカップに映る自分の顔が、この世の終わりを知ったかのように苦しそうな表情を浮かべていて、ふと我に帰る。顔をあげれば、目の前の男もわたしと同じような顔をしていて、キュッと胸が苦しくなった。

「ごちそうさまでした」

ぎこちなく、少し重たい空気に耐えられなくなった私は、ごくりとカップの中身を飲み干して、逃げるようにレジへと向かう。運良く、私の会計を担当してくれたのは先ほどの女性店員。もう、彼の方を見れるほど、心に余裕はなかった。

「あっ…ご、ごめんなさい!」

お釣りを受け取ろうとしたその時、彼女の手と私の手が複雑に接触して、チャリンという音とともに100円玉が転がった。大丈夫だということを彼女に伝え、その100円玉を目でたどると、視界に入ってきた黒い革靴。
ーー嫌な予感がする…。
おそるおそるその目線を上げれば、やはりそこには私の前から消えたあの時と同じ表情を浮かべた、彼。

「あ、ありがとう…」

差し出された100円玉を受け取り、踵を返してドアへと向かう。もう、こらえきれない感情と、涙は、私の体内から外へ出ようと、もう、ギリギリのところまで顔を見せようてしていた。

「名前」

どくり。低く、愁いを帯びたその声。苦しげなその顔が扉のガラス越しに目に入って、私の視界はさらに歪む。
ーーどうして、どうしてそんな顔をするの。

「…また、来てくださいね」

捨てられないこの感情。自分に従順な身体。弱く、脆いわたしは、ゆっくり、そして静かに、首を縦に動かすことしかできなかった。



短編「街は今も君の不在にあふれている」
title by moss
2016.10.10

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