目に入れても痛くない


 エドワード・ニューゲート
 世界最強の男と謳われる人物は、世間では山の如く何事にも動じない男と思われていることだろう。しかしそれはあくまでも世間の想像だ。そういった人物に限って、意外な所にアキレス腱はあるものだ。



 ある日のこと。彼の人物は朝から忙しなく船内を歩き回り、甲板の玉座に坐したと思えば立っては座りを繰り返し、ほどなくして落ち着いたかと思えば肘掛や甲板を叩き鳴らす始末。時折船内から聞こえる爆発音や悲鳴、怒号に律儀に反応を示し、平静を失っていることは一目瞭然であった。
 平時は世間の想像通りなのだが、とある条件を満たすと然[さ]しもの男もこの有り様である。この時ばかりはいかに屈強な船員達であっても、下手に声をかければ八つ当たりという平手打ちを喰らうことを身を以って理解している為、船内の静まりを待つことしかできずにいる。

 ドアノブの回る音に耳聡く振り返ると、自慢のコック服に煤[すす]を付けたサッチが苦笑いを浮かべて立っていた。「もう少しで終わるよ」と言付けをして、出てきたばかりの扉の中へと戻っていく。開かれた扉の向こうを気にしながらも、船員達はサッチの一言に心の内で一息ついた。彼らの視線の中心にいる男は、変わらず肘掛を指で叩き鳴らしていた。

 男の胸中はこうだ。
 なぜ自分が船内から追い出されなければならないのか。息子とはいえコックとはいえ、なぜサッチだけが傍にいることを許されるのか。まるで自分のそれとは違う細く白い指に、腕に怪我はしていないだろうか、火傷はしていないだろうか。煤だらけになって泣いていないだろうか。お前はなにもしなくて良い、その気持ちだけで十分だ。だから早くおれにその姿を見せてくれ……と。

 視界に広がる海は凪ぎ、空は雲の切れ端すら見当たらない快晴。胸中とは真逆の光景に、まだかまだかと「少し」の時に痺れを切らす。

「おーやーじー!!」

 扉を壊さんばかりの登場をしてみせたのは、この世で最も愛らしく、太陽さえも輝きに自信を失ってしまうほどの笑みを惜しげもなく曝け出した、愛しい娘のナマエだった。男は反射的にと言っていいだろう速さで玉座から立ち上がり、向かってくる娘に熱く抱擁した。

「おれをどんだけ待たせりゃ気が済むんだてめェは」
「親父の部屋に料理運んだから早く食べよ」

 ナマエは隙間の無い腕の中で、ようやっと両手の回数に達した修業の成果を早く見てもらいたいと声を上げる。娘の誘いに成り立たない会話も先刻までの苛立ちも何処吹く風、上々機嫌で肩車でもしてやろうとナマエを抱き直そうとした。その時、男は眼下の光景に声を荒げた。

「これは火傷の痕か?ちゃんと冷やしたのか?一ヶ所や二ヶ所じゃねェな……指先も小さな切り傷がいっぱいじゃねェか!」
「大丈夫だよこんなのそれより」
「先に医務室だ。いや煤だらけだし風呂が先か?」
「料理冷めちゃうよ」
「おめェの身体の方が大事だってんだ!風呂行くぞ風呂」
「しょうがないなー、背中流しっこだからね!」

 鬼気を携えた顔で風呂場に向かう男と、嬉々とした顔で抱きあげられている娘。ふたりが消えた扉を見つめ、今日はまだ暫[しばら]く気が抜けそうにないと船員達は嘆息をこぼした。



 エドワード・ニューゲート
 世界最強の男と謳われる人物は、世間では山の如く何事にも動じない男と思われていることだろう。しかしそれはあくまでも世間の想像でしかない。彼の人物が、娘がピーラーを手にすることや握り飯を作ることにすら落ち着いていられないというのは、想像に難い事である。

2011.0827
リクエスト内容
白ひげで心配性な親父と甘い夢
…甘い夢というより溺愛という感じになりました;
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