ふたつの愛を知った日
「妊娠してるわね」
口の端をうっすらと上げるだけで、ナースが伝えた事務的な言葉に、どうしたものかと思った。私はきっと、このナースのような顔をしているに違いない。ベッドサイドの椅子に座るマルコも、きっと。
めまいで倒れたのが5日前。苛々がつのり、腹痛や腰痛、食欲もあるのかないのかよくわからない状態で、ただの月のモノだと思っていた。適当に休んでいればいいだろうと思っていたのに、症状は鎮静化することもなくまた倒れてこの状態だ。
驚いたのは目を覚ましたらマルコがいたことだった。5日前マルコはここにいなかった。部屋に戻ると「体調管理ぐらいしとけ」と、労わりの言葉もかけなかった男だ。だからか、マルコがいる理由をそれとなく察した。
「こいつ、部屋に連れてくよい」
連れていくと言っておいて、私をおんぶするでも抱っこするでもなく、手を引くわけでもなく、後ろを歩かされる。マルコの背中は平生のままだ。もちろん会話はない。
赤ん坊がいるらしい腹部に手をあててみる。太ったかと思っていたこのふくらみは、食べ過ぎが原因ではなかったのか。
いつの行為の時の子か、遡ればその日はいとも容易[たやす]く見つかった。酔った勢いだった、という日だ。酔いは思っているよりも人の理性を奪うものだと知った日でもある。平素どれだけひっ迫しようと避妊具へ手を伸ばす男に、それについて欠片も思い出させなかったのだ。
「ドア、閉めろよい」
かと言って、この空間で床を共にし頻繁に行為に至ってたのだから、いつこの結果になってもおかしくはない。思い返してみれば随分とお盛んだったなと、意外と医務室から近い位置にあった生活空間の入り口を閉じながら思った。
マルコがベッドに腰を下ろし、隣に座らされた。
「あと7日で島に着く。ひとまずそこで医者に診てもらう」
親父の領分だ、腕の良い医者もいる。十分な設備のある所で検査してもらえという意向に「わかった」と手短な返事をした。十中八九この事実は変わらないと、マルコも思っているだろう。
「女は子どもが出来りゃ喜ぶもんと思ってたが、お前は顔色ひとつ変わらないねい」
「ビックリはしてる。想像したこともなかったから」
「そうかい」
短く息を吐いたマルコは、どうしたものかと考えている。顎をさするのはそういう時だからだ。妊娠した本人よりもこの事態を重く受け止めていると思うと、笑えた。
「マルコが悩むことないでしょ。産むなら船を降りる、航海を続けるならこの子を」
「父親は俺なんだ。お前が勝手に決めていいことじゃねェよい。ったく、お前は考えが軽すぎなんだよい」
「…………マルコは、嬉しいの」
マルコが「産め」と言っている気がして、不思議に思って聞いてみた。
マルコは子どもが欲しかったんだろうか。そのような話は一度も聞いたことがない。聞いていれば、私は同じように思っていたはずだ。それに、そうであるなら毎回避妊などしないはずだ。
「家族が増えるのは良いことだろい。親父も喜ぶよい」
私は、家族を産むのか。
子どもを産むというのは想像に難いけれども、家族を産むというのは、大変で、喜ばしい事に思えた。親父と、仲間と、マルコと、新しい家族を囲んで笑っている光景が頭を過[よぎ]った。
「島で妊娠がはっきりしたら、産むまで島暮らしにはなるけどねい」
「……マルコは」
「ん?いつも強気なお前でも愛する男が離れるのは不安かい」
「馬鹿か」
出産にはどれ程の月日を要するのだったか。ひと月ふた月の話でないのは間違いない。それ以上の月日をマルコと離れて暮らすのは、これまた想像に難い事だ。言葉を撤回する気はないが、マルコの言い分はあながち馬鹿にできないものらしい。
「船を離れるのは心配なんだが、お前ひとりにするほうがもっと心配だよい」
「信用ないね」
「今はまだいいが、腹がでかくなったら動きにくくなる」
「そうなの」
「っとに、心配だよい」
マルコは項垂れて、体中の酸素をかき集めて吐き出した。私はと言えば、マルコは博識で、私は無知だなと見当違いな思いを巡らせていた。
すっと、マルコの手が膨らみ始めたお腹に添えられて、指で2回ほど軽く叩かれた。窺[うかが]ったマルコの表情は、眠る前に見せるそれとよく似ていた。
「親父のとこ行ってくるよい。お前は寝とけ」
「でも」
「俺とお前、2人分の穴埋めをどうするかとかも話し合うんだ、長引くと身体に障るだろい」
「2人分……マルコ?」
「お前は自分の身体のことだけ気にしてればいいよい」
寝起きで眠たくない身体を横たえさせてから、マルコは部屋を出て行った。
なかなかマルコも格好つけたことを言うものだ。思い出して身を捩[よじ]る。
妊娠と、親になるという実感はまだマルコほど持ち合わせていない。実感したのは、 マルコの愛と、マルコへの愛――私らしくないと、また身を捩る。
2011.0701
リクエスト内容
マルコで妊娠ネタ