チョコレート物語


「大学生活なんて遊び三昧よ。遊びが学生の本分よ!」

 そう言っていた友達のお姉さんの言葉を信じて浮かれていたのは去年の私。手帳の月間カレンダーを見れば講義の予定がぎっしりと詰まっている。今年は土曜の講義がなく自由時間を確保できそうだと思っていたら、バイト先の人員不足によるシフトの増加。夕食から睡眠時間までが癒しの時間だなんて、淋しい。

「ナマエ!午後のノート明日コピーさせて」

 お願いします!と板チョコ1枚で買収されてしまうのは、安っぽいけれども大学生っぽいのかもしれない。

「テスト前は頼りにさせてもらうからね。今日バイトだっけ?」
「んふふ〜、デートなんだなー」

 目が無くなるぐらいの満面の笑みは彼女の幸せを物語っている。学生の本分は学業であると痛感したけれど、不定休の社会人と付き合うのも大変なんだなーと、彼女の幸せに一役買ってあげることにした。

 大学に入れば出会いがたくさんあって、すぐに彼氏もできると思っていた。でも毎日構内ですれ違うだけでは出会いになるはずもなく、講義も必要なもの受けたいものを選択して受けるから、彼氏どころか友達もろくに作れない状況だった。

「あんた化粧濃くない?」
「合コンだから気合い入れてんの!」
「また〜?今月何回目よ」

 脇を過ぎる子の会話に心の内で溜息を吐く。講義の取り方によっては友達のお姉さんが言ったように、遊び三昧にもなるらしい。私は忙しさにプラスして人脈の無さから、合コンなんてものにも参加したことがない。

(こんなんで彼氏とかできるのかな)

 なにかサークルに入れば良かったのかと考えながら教室に入り、一瞬立ち止まる。いつも座っている席に先客がいたのだ。自由席だからどこに座っても良いのだけれど、前回と同じ席に座るというのを皆が繰り返すと、自然と半固定化されていく。この講義は先生が面白く人気なために空席は少ない。仕方なくいつもより数列後方の席に座ることにした。

「はい、チャイムが鳴りました。と。では今日も始めまーす」
「あんた、ちょっとどいてくれ」

 先生のゆるい声に被さった声は私に向けられていた。声を掛けてきたこの人は、間違いなく私の隣の空いた席に着こうとしている。

「どうぞ」
「……悪い」

 わざわざ席を立って人を通すよりも自分が動いた方が早いだろうと、私が隣に移り、その人に座っていた席を譲った。

(カッコイイ人だな)

 一瞬見た顔は帽子で隠れていたので、はっきりと見えたわけではないけれどそう思った。これがきっかけとなってラブストーリーが発展される……と、黒板とノートと先生の三角関係を見つめている私には望めそうにない展開を想像する。

 講義も3分の1が過ぎた頃、鞄の中の携帯が低音を出しながら震えた。取り出そうと足元に手を伸ばすと、別の低音が短く唸[うな]った。音の方向から察するに、席を譲った人の腹の虫のようだ。自分にも虫の音を聞かれて恥ずかしい思いをしたことがあるので、なにも聞かなかった振りを通そうと決めた。

「腹が減った時は胃が収縮するんだ」

 聞かなかった振りを通していたつもりが、「見過ぎだろ」と言われてしまった。

「朝からなんも食ってねェうえに前の授業が長引きゃしょうがねェだろ」

 言い訳がましいというよりは冷静に分析している風で、この人も忙しいんだなと親しみを感じた。

「チョコ食べますか?足しになるかわからないですけど」

 このカッコイイ人を餌付けしようという考えはなく、純粋に、同じ忙しい身の者としての提案だ。

「食う」

 間を置いて、ただ見られているのかそれとも睨まれているのか、どちらとも言えない視線を向けられたまま、提案は受け入れられた。ノートのコピー代として渡された板チョコを机に置く。

「どんだけ食う気だったんだ。太るぞ」
「これは、さっき友達にこの講義のノートを頼まれて」
「この講義も板チョコ1枚の価値ってことか」

 隣の人は口の端を少し上げて笑いながら、パキッと音を立たせて板チョコの端の一列を割った。一番上のひとかけ分だけをアルミ箔から出して咥[くわ]え、パキッと音を立てる。またひとかけ分だけアルミ箔から出して――丁寧というより、面倒な食べ方をする人だなと思う。

「まだ残ってんだろ」

 指差されたのは端の一列がなくなった板チョコ。

「全部食う気はねェよ」
「そんなに食い意地張ってません」
「あんだけ見られたらそう思うだろ」
「変わった食べ方だなって見てただけです」
「この方が汚れないからな」

 そう言われて、いつもひとかけずつ割ってべとべとになってしまう自分の指と、全く汚れていない隣の人の指を見比べた。

「助かった」
「もういいんですか?まだありますよ」
「おれはそんなに食い意地張ってないからな」
「私だって張ってませんってば」

 どうだかと、口の端を少しだけ上げた顔で笑われた。
 そのまま隣の人が黒板の方を向いたので、残された板チョコを鞄に戻して私も前を向いた。それから、先程送られてきたメールに返信をしていなかったことを思い出す。待ち合わせまでの暇潰しに送られてきたものなので、簡単な返事を打ち込み送信ボタンを押して鞄に戻した。



「はい、チャイムが鳴りました。と。では皆さんまた来週お会いしましょー」
「来週もここ座っとけ」

 始まりと同じように先生の声に被せて隣の人が言った。

「借りはすぐ返したいんだが空き時間がねェんだ」
「良いですよそんなの、借りって大袈裟な」
「おれにとっちゃ大問題だ。いいな、来週もここ座ってろよ」

 約束というより命令に近い言葉を残して、隣の人は荷物をまとめて足早に教室を出て行った。
 来週もこの席に座る。なんだか忘れてはいけないことのような気がして、座席の位置を手帳に書き込んだ。勉強が本分でも、出会いはあるのかもしれない。


2011.0523
リクエスト内容
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