浮気と勘違いされるサッチ
「サッチ……」
とうとう、とうとう私は目撃してしまった。彼氏の浮気現場を。
サッチは金髪でリーゼントでコック服で、一見軽そうに見られるけど実のところはとても一途な男だ。付き合うときに浮気の心配を相談した誰もが「あいつにそんな甲斐性はない」と言ったほどの男だ。
それでも年月というものは人を変えるし、マンネリという言葉は変わらず恋人達につきまとう。
このマンネリは脅威だ。今まで幾度となく私達の前に立ちはだかってきた。その都度髪型を変え化粧を変えダイエットをし香水を変え服を変え料理を覚えバストアップを図り、家族を巻き込んでの撃退劇だった。
そして、万策尽きた。
私が懸命に懸命に守りながら築き上げてきた砂の城を、気紛れにやってきたさざ波が壊していった。
私が何年もかけて手に入れたものをすべて持っているだろうその人は、私のように努力を積み重ねてきたのかもしれないし、天から授かったものを惜しみなくさらけ出しているのかもしれない。どちらでも構わない。
腕を組んで、周りなど見えないくらい幸せそうに歩いているサッチだけが答え。
このまま潰れてしまいそうな心臓を抱えて、華やぐ街に背を向け安らぎの船を目指した。
船番の兄弟を残して、賑やかな船は静まっている。それもそうだ、久しく上陸していなかったこともあり、男も女もクルーもナースも、寄港と同時に皆一目散に駆け出していったのを私は見送った。そこにサッチもいた。
マンネリ対策の1つとして上陸初日はデートしようといつも誘ってきた。
「そんなに上陸楽しみか?」
「サッチとのデートが楽しみなんだよ」
そんなやりとりがマンネリじゃないかと思われるほど定番になっていた。でも決して型にはめたやり取りではなく、私はいつも本当に楽しみで、前日はナースと服のコーディネートを考えるのを欠かさなかった。
「今回はふた月の滞在だから、さきに市場の仕入れ状況を確認しておかなきゃなんねぇ。デートはそれが終わってからな」
そう言って初日サッチは隊員と一緒に船を下りた。サッチは隊長としての役目を果たしに行ったのだし、なによりコックとして市場を見るのが大好きなのだ。財宝を目の前にしたように目を輝かせて街に向かうサッチを、私は両手を振って見送った。
サッチが上陸して4日。市場調査中は宿を取るからサッチは船に帰ってこない。サッチのいない船に4日もいて飽きてきた今日、私はデートの下見をしに船を下りた。まさか、そこで私以外の女を連れて幸せそうに歩いているサッチを見ることになるなんて、思いもしなかった。
自室に戻る気も起きず、上陸中を良いことにオヤジのベッドに潜り込む。オヤジの腕の中で、オヤジが背中をさすってくれているようだった。腕に収まるように体を丸めて、寝て起きたらなんとかなると期待した。
――サッチは私のどこが好きだったんだろう
*
目が覚めて暗いなと思ったのは布団の中にいたからで、でもそこから出てみると外も暗かった。
サッチがいない4日目の夜。
遠征を任されたときはひと月でもふた月でも離れていて平気だったのに、そばにいるのがわかっているとたった4日も耐えられない。随分おとなになったと思っていた私のそんなこどもの部分にサッチは嫌気がさしたのかもしれない。
ベッドから下りると床が冷たかった。
布団の中の暗さを引きずった廊下を歩いていると淋しくお腹が鳴った。この胃が受け付けるのはサッチが作った料理とサッチと食べる料理だけ。放っておけば忘れる空腹には気づかないことにした。
サッチはいまあの女[ひと]と食事をしていて、その後は……。サッチが船に戻ってきたとき、私は振られるのかもしれない。「浮気できる甲斐性はない」という家族のお墨付きは強力だ。
「代わるよ」
そう船番を追い出して、海も街も見渡せる見張り台に体を預けた。
ひとつまたひとつと消えていく街の明かりの中にサッチがいる。
*
ひとつまたひとつと消えていく星を眺めていると水平線から太陽が昇り始めていた。見張りをしていればよく見る光景でも、隣にサッチがいるだけで輝きは比べものにならなかった。なにを見てもなにをしても、サッチ、サッチ、サッチ。そんなサッチはもうすぐいなくなるというのに、私の中はサッチばかりだ。
港に人影が現れる頃、サッチがひとり船に戻ってきた。「××ー!」と、私の大好きな笑顔を私に向けて。
「デート行こうぜ!って言いたいとこだけど××寝てないだろ。見張りの奴どうしたんだよ」
「私が無理言って代わってもらったの」
理由を尋ねるサッチに「気分」という曖昧な答えを出し、私もサッチに1つ言葉をかけた。
「私のことは良いからさ、サッチは昨日一緒にいた女とデートしてきたら?」
「昨日の女?おんな……って、え、××街にいたのか」
「…………」
「っ!違う違う、勘違いだって。全然そういうんじゃねーよ、ちょっと道案内を頼んだだけなんだって。うわー××に気づかないっておれ……」
そうだよサッチ。私に全然気づかなかった。違うって、勘違いって言われても私の心臓はまた潰れそうになる。心臓だけは鍛えようがないらしい。
「腕組んでた。あの女とどこ行ったの。なにしてたの」
「腕は、機嫌悪くされても困るから好きなようにさせてただけ。どこ行ったかは秘密にしたいとこ、なんだけど。ダメ、だよな。まーアレだ、下見ってやつ。いっつも××が店とか探してくれてただろ。だからたまにはおれが!って思ってよ」
「なんで、今日リーゼントじゃないの」
「ああ、宿になんもなくて……って違うぞ!おれひとりで泊まったんだって、ホントに!」
いつも自信満々のサッチが眉を下げて、土下座しそうな勢いで上陸初日からなにをしていたのか手ぶりを交えて釈明している。ところどことろで「美味そうな魚が」とか「街中で喧嘩」とか「商船がくるのは」とか、そんなサッチの言葉が耳に入って来るけど、言葉と言うよりは音が通過しているようだ。
聞きたいことがある。サッチの言葉で答えてほしい。
そう思っていたのに、こみあげてくるのは、こどものわがまま。
「腕組んでるの、すごく嫌だった。下見なら私がするから誰にも触らせないで。リーゼントじゃないサッチも、私以外に見せないで。じゃないと、私きっと死んじゃう」
「わかった、約束する。××に死なれちゃ困る」
サッチの腕の中に還ると忘れていた空腹が戻ってきた。お腹が空いたとサッチの胸に鼻を擦りつけて訴える。
「食堂行くか。美味い飯作ってやるよ」
「食べたら一緒に寝て。ずっと一緒にいて」
「ああ」
ねえサッチ、こんなこどもな私だけど、好きでいてね。
2011.1214