赤い頬の理由は聞かないで


 右頬が熱い。これは早急に冷やさなくてはと医務室へ向かう途中、今一番会いたくない船長と出遭ってしまった。

「そいつはどうした」
「なんでもありません」
「……何年か前にも、おんなじ問答をしたなァ」

 正確な年月は思い出せないけれど、それは私が今より少し若い頃。ひと月ほど滞在した島の女と喧嘩をしたことだと思い出した。



 開店前の酒場。船長の付き添いでなければ訪れることのない場所に、私は一人の女を訪ねに足を運んだ。女は既に肌を見せる服と濃い化粧で着飾り、いつもの席でグラスを口に付けていた。

「それで、あんたんとこの船長にも船員にも手を出すなって?冗談じゃないわ、なんであたしの仕事にケチつけらんなきゃいけないわけ」
「手を出すなと言ってるわけじゃないわ。船長の相手をするなら船長だけにしなさいって言ってるのよ。船長の目の前でクルーを誘うなんて……相手の面子を考えるのもそちらの仕事じゃなくて?」
「四皇白ひげのお相手ができるなんて光栄に思ってるわ。だからいつもよりサービスもしてる。でもね、あたしもっと若いほうが好みなのよ。あんたがいつも邪魔してくれるから相手できなくてとーっても残念なんだけど」

 わずかに伏せた顔から瞳だけをこちらに向けてそう放つ彼女に、上目遣い特有の愛らしさや色気を感じることはなかった。私は目には目を歯には歯をだと、目の前の女に対し睨み返してやった。

「私も、これほど見る目の無い人が船長の相手をしていたなんて残念だわ」

 船長の相手をする女を両手両足を足しても足りないほど見てきたけれど、目の前に座る女ほど品も節操もない女はいなかった。その上、船長を蔑[ないがし]ろにするような女なんて……

「言ってくれるじゃないのお付きのナースさん。そんなに言うならあんた達が船長さんの相手をしてあげたら?ああごめんなさい、あんた達じゃ役不足だから商売女を呼ぶのよね。ふふ、そんな格好してるってのにねェ」
「私達と船長はそんな軽い関係じゃないわ。あなたにはわからないでしょうけど」
「……あんた、いちいち言い方が癪に障るのよ」
「そっちこそ、客商売なんだから言葉遣いぐらい覚えてきたらどうなの?」





「爪のびすぎだわ」

 左頬のじんじんとした痛みの上に被さるヒリヒリとした痛みの跡をなぞる。名誉の負傷と言えば格好はつくかもしれないけれど、店を訪ねることも女に抗議することも船長に話を通していたわけではない。むしろこれは度を越したお節介で、相手の出方によっては逆に船長の名に傷を付けることになる。
 後悔先に立たずだ。頬の痛みも気にならない頃になって今日の行動は軽率であったと猛省する。視界に入るのは石畳ばかりで、そこに映り込む歩みは鈍い。

「こんなところでなにしてる」

 降りかかる言葉によって、私は道沿いに建てられた銅像の仲間入りをした。

「娘に無視されるたァ、愛想でも尽かされたか」

 冗談めかして笑う船長に、そんなことはないと顔を上げれば厳しい目を向けられていた。

「そいつはどうした」

 左手を添えたままの頬。指の隙間から覗く赤みに船長が気づかないはずがない。けれども、私は目を伏せて「なんでもありません」と答えるしかなかった。

「まあ、だいたいの察しはつく」

 叩かれる……覚悟をして目を堅く瞑ると、予想に反して衝撃は柔らかく、そして頭にではなくお尻にやってきた。次いで全身が石畳から離れていくのを感じてそろそろと目を開くと、船長の右腕に体を預ける格好になっていた。

「お、降ろしてください」
「可愛い娘にそんな顔で街中を歩かせられるか。落ちたくなきゃおとなしくしてろ」

 船へと戻る道すがら、用事があったのではないかと尋ねても、「もう済んだ」と言われるだけだった。だいたいどころかきっと船長には全部わかっているのだと、つくづく敵わないなと思いながら、今の状況を怪我の功名だと、隠れて笑った。



「あの時、船長抱っこしてくれましたよね」
「覚えてねえな。覚えてねえし、してやるつもりもねえぞ」

 あの時のようにという私の浅い考えはお見通しのようで、「して欲しいなんて言ってません」と取り繕ってみても、もう格好はつかなかった。

「ここじゃあ兄弟しか見てねえからな」
「やっぱり覚えてるんじゃないですか」
「……で、今回はなにやったんだ」
「なんでもありません。言いたくありません」

 クルーの遊びに付き合わされて運悪くバケツが当たったなんて、笑い話にしかならないんだもの。今回はひとりおとなしく医務室で手当てしようと、船長の横を通り抜けた。


企画「R50」提出/2011.0507
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