首から彩る
2月14日。毎年この日はいつもより30分は早く出社する。
地下駐車場の警備員に社員証を見せて、最上階直通のエレベーターに乗り込む。すると通勤ラッシュにまぎれた女性社員からの攻撃――彼女たちにその気はないだろう――にあわずに済むのだ。そういう事態になるのは学生までだと思っていた。芸能人やアイドルではないと言うのに。
いまの役職に就いてからはこうして回避できるようになったが、それまでは少々大変だった。昇進するごとに不純な気持ちが混ざったものをもらうようになったり、一部からは僻[ひが]まれるようになったり、――いまでもサッチだけは煩い――と。毎年どことなく気が重い日だった。
それでも今年からは楽しみができるようになり、おれにとって嬉しい変化だ。
「おはようございます」
親父が出社し、一息つき終えた頃合いを見計らって社長室を訪れると、今日もミョウジさんから朝の挨拶をもらった。
「おはようさん」
まず親父に、次に彼女に。最近はこの時間がコーヒーを飲むよりも目覚めにいいと感じるようになった。
「今日は早朝出勤だったらしいなァ。毎年毎年ご苦労なこった」
「もう慣れたよい。それじゃ、親父の顔も見たしおれは戻るよい」
「ああ。ナマエお前も下がっていいぞ」
「はい」
「それと、こいつはありがたくもらっとく」
彼女に、というよりはおれに掛けた言葉だった。
親父が手にしていたのは小さな薄い箱。薄ら笑っている親父を見て、いつもの言葉を掛け忘れていることに気付いたが、いまからでは間が悪い気がするのでやめておく。
「親父に渡したやつ、」
「万年筆ですよ。先日壊してしまったと仰っていたので。以前のとは比べ物にならない安物ですが」
「そうかい。それで、おれには?」
彼女と階段までの短い道のりを共にして仕事に戻る、これが最近のパターンだ。ただし今日はここでお別れというわけにはいかない。社長だから仕方ないとはいえ、ほかの男に先を越されたのは少々悔しい。
「副社長用じゃなくて、彼氏用が希望なんだが」
「あの、部屋に」
「じゃあ取りに行くよい」
「い、いま取ってきますからここで待っていてください」
階段を駆け降りていく彼女。その後ろ姿に頬が緩む、そんな自分に笑ってしまう。だが所詮おれも男なのだ、仕方がない。
程無くして彼女が階段を上ってきた。両手で細長く薄い箱を持って。
「どうぞ」
たいしたものではないと前置きに渡された箱。見慣れない包装紙から察するに、彼女が包み直したのだろう。親父の持っていた箱もまた、違う包装紙だった。
紙を傷つけないようにゆっくりとテープをめくる。現れた白無地の箱を開けると、黒地に銀糸でなにか描かれているネクタイが収まっていた。
「柄はカジュアルですけど、似合うと思って」
言われてよく見ると、描かれていたのは車のホイールだった。彼女が自分のために選んでくれたというだけで相当の価値があるのだが、無難なストライプばかり身に付けていたこともあり、かなり新鮮だ。
「副社長?」
礼を言って、いま自分の首元を飾っているなんの面白みもないネクタイに手を掛け、解き、床に落とした。
「今日はこのネクタイにするよい」
彼女にもらったネクタイを首から下げた。手触りがいい、良いネクタイだ。
「だから、結んでくれ」
ネクタイの両端を彼女の両手に握らせた。
我ながら人が来ないとはいえ、会社の中でなにをやっているんだと思うが仕方ないのだ。彼女がネクタイをプレゼントしてきたのがいけない。
「あの、自分で結んだ方が」
「結ぶまでがプレゼント、だろ?」
Happy Valentine 2011
2011.0215