鮮やかな命を食せ


「…………サッチ?」

 私はいま4本あるマストの中で、最も船首に近いマストの一番下の見張り台にいる。見張り番でもない私がどうしてここにいるかは、まあどうでもいいことだから割愛する。
 私は船室から出てきて甲板中央まで歩いてくる男を見つけた。私が疑問符をつけてその名を口にしたサッチだ。……と、思う。いいや、あれは紛れもなくサッチなのだ。鬘[かつら]ではなく地毛の茶髪でポマード臭いリーゼントを作り上げ、白いコック服を着て首元に黄色いスカーフを巻いた男。そんな男はこの船でサッチしかいないのだ。だからあれはサッチで間違いがない。間違いがないのだが……

「サッチ?」

 やはり、疑問符を外せない。なにかが違う。
 なにが違うかと言えば、やはりあのリーゼントだろう。まるで今し方まで私の瞳を捕らえて離さなかった水面のようなのだ。太陽光を反射し白く眩しく輝いていた、あの。日々目に入ってくるリーゼントはそのような特段の輝きを持っておらず、私の瞳を捕らえることもない。人の特徴と言うものは、個人を認識するのにかなりの割合を占めているようだ。輝きひとつでサッチが別人に見えてしまうとは。

「おーい、降りてこいよ!」

 サッチと目が合った。私がここにいてサッチが下にいる時、お互いの目が合うときまってサッチは降りてこいと言う。その通りにするか否かは気分次第で、まあ五分と言ったところだが、今日はどうにもあれが気になって仕方がなく、返事の代わりにひと跳びでサッチのもとに降り立った。

「今日は素直だなー。そうだろそうだろう。おれに会いたかったんだろ?」

 勘違いは勝手にさせておけばいいとして、リーゼントを見上げると、やはりポマードの臭いが鼻を突く。けれど輝きは見間違いや勘違いではなく、私を誘った。

「おいしそう」
「……は。え、リーゼントが?いや、これ食いもんじゃねえし。あれか、お前もフランスパンだって言いたいのか!」

 そんなポマード臭いものを胃に入れたら腹を下してしまう。口からこぼれ出た言葉は自分でも予想外だった。しかし、心中の正鵠[せいこく]を射ていた。あの輝きを、体中で欲している。

「おまえ本気で」
「リーゼント。なんかいつもと違う」

 リーゼントと同列に並べられるフランスパンがとても不憫だ。

「なんかいま聞こえたような……まあいいさ。今日は特別だかんな!さすがのおれも気合入れるっての」
「今日、なんかあった?」
「……それ本気で言ってる?」
「冗談を言う性分じゃない」
「マジかよおぉ」

 倒れるようにして座り込むサッチ。
 目下に広がるリーゼントは、やはりおいしそうに見える。不思議だ。私の味覚は一夜にして狂ってしまったのだろうか。

「今日誕生日なんだけど」
「だれの」
「お、れ、の」

 覚えとけと不貞[ふて]るサッチは置いといて、ああそう言うことかと私は納得した。
 1年に1度、新たな命を吹き込まれる日。サッチはそれが今日なのだ。だから、あんなにも輝かしく、私を誘惑するのか。依然として体中はあの輝きを欲している。……ならばその誘惑に、のっかってしまおうか。

「その様子じゃプレゼントなんてきた」
「いただきます」

 私はかぶりついた。大口をあけて、目の前で無防備に晒されているなんともおいしそうなそれに。その輝きをひとつたりともこぼさぬように。
 しかし、目を見開いてサッチは私を押し返す。なんと恨めしいことか。輝きが、遠のく。

「あの……いまの、え?」
「コンソメ」
「……あ?ああ、さっきスープ仕込んでたから。って、や、そうじゃなくて」

 なんとも残念な話だ。あれほどの輝きはどんな味がするのかと、私の心は高ぶりを見せていたと言うのに。味蕾から伝えられたのはなんの変哲もない、飲み慣れたコンソメスープの味だったのだ。ああ、喉が渇く。

「まあ、いいか」
「よくないっての!ちょっと、なに、いまの」
「リーゼントは嫌だし、ひとつも逃したくないから」
「へ」
「ちょっと黙って。口から漏れちゃう」

 私は再びそれにかぶりついた。サッチが暴れようと関係ない。ただ、コンソメの味がするのはやはり残念だ。


企画「逝春」提出
Happy birthday!Thach!!
2011.0403
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