ごめん、もう好きじゃない
おれは今、この船唯一の女部屋の前に立っている。さっき2度目の溜息を吐き終えたところだ。
「おい、いい加減扉を開けろ。おれも自分の船を壊したくはない」
これで3度目の交渉だ。
一発、傷がつかないギリギリの力加減で扉を叩けば、やっとのことで内側から開いた。おれを部屋の外で待たせるなんて真似ができるのは、この船でこいつだけだ。
「まだ拗ねてるのか」
部屋に入ってみれば、寝間着姿で、今の今まで入っていただろうベッドの上で膝を抱えて座っていた。典型的な拗ねの姿勢だ。
「今回はお前が悪い」
「でも……上陸したかったです」
「ベッドから起き上がれない奴を、おれが船から出すと思うか」
「思いません。……けど」
おれの船はちょうど3日前まで、ある島に滞在していた。滞在と言ってもログが溜まる2日だけだ。
こいつ――ナマエは、5日ほど前に高熱を出し、上陸を決めた日になっても熱が退かなかった為におれが島への上陸を許可しなかった。前述したとおり、ベッドから起き上がれる状態じゃなかったからだ。 しかもだ、高熱になったのは、クルーと馬鹿騒ぎをして、酒が入った身体で夜の海に飛び込んだのが原因ときた。灸を据えたくもなる。
だが、ナマエが拗ねる理由がわからないわけでもない。
今回の上陸はひと月以上ぶりだった。上陸をしては服屋やら雑貨屋やらを見て回り、島ごとの流行を知るのがこいつの楽しみらしい。特に開けたわけでもなく、珍しいものはあの島にはなかったが、楽しみが当分先延ばしになったのだ。拗ねたくもなるんだろう。
だからと言って部屋にこもるのは感心できないが。
「まぁいい。これをやるからさっさと部屋から出てこい」
「これって……チョコレートですか?」
「それ以外に見えるか」
「いえ。でもこれ」
「あの島にしかないらしい。お前島に降りては買い漁ってただろ」
「…………すみません、チョコもう好きじゃないんです」
「は?」
一つ付け加えておく。ナマエは船の中で無類のチョコ好きで、上陸した島々で特産のチョコを買い漁るのが、ある種趣味みたいなものだ。これはこの船に乗っていれば誰もが知っていることだ。
――だが、もう好きじゃないとはどういうことだ。おれが血糖値を心配するほどのチョコ好きが。ついこの間まで、ひと欠片を一日かけて大事そうに食べていたはずだ。
「なんだか今チョコを見たら胸やけが……熱出して嗜好変わっちゃったんですかね? なので、それ船長にあげます」
「いらねェ。おれが甘いもん食わないのは知ってるだろ」
「……すみません」
「いや、いい。ベポにでもやる。お前は謝罪の気持ちがあるならとにかく部屋から出ろ。それでもう二度と酒飲んで夜の海に飛び込むな。いいな」
「はい」
「わかったならさっさと着替えて食堂に来い。全員お前に土産を渡したくて痺れを切らしてるんだ」
「……はい!!」
辛気臭さがようやく取れた顔を確認して、おれは部屋を出た。後ろからタンスを忙しなく開閉する音が聞こえてきた。もう十分元気らしい。
おれは嫌われたチョコを片手に、これを一口で胃に収めてしまう白クマの元へ向かうことにした。まあ、どうせ食堂にいるだろう。
企画「マイスーパーヒーロー」提出作品
2010.1019