糖分増量化計画
この間、彼女なんていたことない野郎に
「女には優しさだ! 特にたまに見せる優しさに女はキュンってすんだよ」
と、鼻高々に言われた。最近はやりのギャップらしいが、発言者が発言者なだけに説得力は皆無だった。
おれは好きな女はいじめるタイプだ。
ガキ臭いと言われようが、困らせたり泣かせたり怒らせたりが楽しくてしょうがない。だから優しさなんて見せたことがない。
しかし最近は残念なことに少々ネタ切れで、どうしようかと思っていた所だった。ちょうど良いから、そのギャップとやらを試してみようかと、おれはあいつの行動から計画を練り、実行することにした。
計画その1 早朝にげた箱で待ち伏せ
あいつは特に部活に入っているわけでもないが、登校時間が早い。何もないのに七時半には来ている。
おれはギリギリか、早くても十分前ぐらいに登校するのが常だったが、今日は一時間以上も早い。おれがその気になればこのくらいどうということはないが、いかんせん不慣れなせいか身体はだるい。
おれがげた箱を背に考え事をしていると、ローファーがコンクリートを踏む音が聞こえてきた。「あれ、トラファルガー? おはよう、今日は早いね」
「お前を待ってた」
一緒に行くぞ、とおれは立ち上がり、靴を履き替えるように促す。
初めて履いた時の白さなんてとうに忘れた上履きには、規則通りにミョウジと油性マジックで書かれていた。
「待ってたって、なんかあったっけ」
「いや。ただおれがそうしたかった」
せっかくなのだし会話をしようと思うのだが、口は頭よりも眠りから覚めていないようでそれはできなかった。人がいない校舎は余計な音がなく、おれとミョウジの足音だけが響いた。
教室が二階な為に上らなければいけない階段。さっさと抜けてしまいたくて一段飛ばして上るのだが、今日は一段一段ゆっくり上る。この速度がミョウジには普通らしい。コンパスの違いか。
心の中でいつものごとく笑ってやれば、見慣れた扉に辿り着いた。階段がもう少し長ければ、などと思ったのは今日が初めてだ。
計画その2 宿題を見せる
ガラリと扉を開けると、見事に誰もいなかった。灯りがついていなかったのだから当然と言えば当然のことだ。
クラスの半分ぐらいは朝練に出ているのだろうし、帰宅部でこんな早くに来るのはやはりミョウジぐらいか。
「あ」
鞄から教科書やらノートやらをとり出していると、前方でポツリと声がした。
「数学宿題出てたんだった」
「見せてやろうか?」
「え、いいの?」
「お前が宿題忘れることは予想済みだからな」
「うわっひどっ」
「自力で頑張るか?」
「ゴメンナサイ」
おれはノートを持ってミョウジの方へ足を向けた。近場の席から椅子を拝借し、肩が触れるぐらいの距離に位置付ける。一瞬近すぎやしないかと顔をしかめられたが、助けを借りている手前かそれ以上の反応はなかった。
シャーペンの芯がノートと擦れる音以外は無音。ミョウジの頭はおれのノートと自分のノートを忙しなく行き来する。
することもないおれは、暇つぶしにミョウジの後ろ髪をいじってやった。こうして触れるのは意外にも初めてで、案外柔らかく驚いた。
どうにも集中を殺がれるらしいが、三番目に扉を開けるヤツが来るまで、「ゴミがついてる」と誤魔化しながらいじることを止められなかった。
計画その3 購買でフルーツサンドを買う
「今日も負けた……」
昼休み早々、購買では争奪戦が繰り広げられる。
購買には近所のパン屋が来ていて、総菜パン菓子パンなど多くが並んでいるが、育ち盛りな上に部活をやっている奴が多い為に、供給量が明らかに足りていない。
そんな戦地から、ミョウジはたまごサンドとベーコンレタスサンドを手に帰還した。顔は敗北により悔しさがにじみ出てる。
その手に欲しかったのは女子一番人気のフルーツサンド。それは販売数が他のパンより極端に少ないため、毎日激戦となっている。ちなみに参加者は女子のみ。男子はその剣幕に圧されて引いてしまう。
「やる」
差し出したのは件のそれ。あるはずがないものを目の当たりにし、その目は大きく開かれた。
「いいの?」
「おれは食わねェからな」
瞳にフルーツサンドだけを映して、滅多に手に入らないそれを丁寧に袋から取り出し、ひとかじり。
「おーいしーィ」
満面の笑みが浮かぶ。
おれがスッと手を伸ばすと、取られると思ったのかサンドイッチを遠ざけた。安心しろ、おれが欲しいのはそっちじゃない。お約束のごとく口の端についた生クリームを親指で拭ってやり、ぺろりと舐める。ミョウジはサンドイッチに夢中で気付いていない。
二〇〇円でこれなら、女の中で争奪戦に参加する恥ずかしさなど取るに足らない。そもそも争奪戦になる前に奪っているからそんなものはないが。授業終わりの鐘が鳴り終わる前に教室を飛び出れば、おれの脚力で女に負けるはずがない。
計画その4 掃除を手伝う
「もう、誰だよ黒板をこの高さに作った人」
掃除の時間、頑張って背伸びをしてもあと黒板消し一つ分届かない。黒板と格闘しているその姿に、いつもはちびだのもっと飛べだの言ってやるんだが、今日のおれは違う。
「貸せ、やってやる」
ミョウジの手から黒板消しをひったくり、すいすいと拭く。そんなおれをポカンとした表情で見上げるこいつに、ついいつもの悪戯心が疼いてしまった。
「今度からおれが抱き上げてやろうか?」
「なっ……いいし! ちょっとゴミ捨ててくる!!」
いつものごとく怒らせてしまった。まあ怒っているというより、恥ずかしがっているのだろう、耳が少し赤い。
おれの計画だとこのまま教室掃除の手伝いだったのが……ゴミ捨てとはむしろ好都合。おれは黒板消しを置いた。
「半分持つ」
遠慮、というか拒否をするミョウジを無視して、おれは左手を持ち手部分に突っ込んだ。
さっきの発言のせいかミョウジは口を閉ざしてしまい、そのまま特に会話もなくさっさとゴミ捨て場に着いてしまった。
おやじにゴミ処理を任せて、軽くなったゴミ箱をまた二人で持つ。ミョウジがおれより一歩前を歩きだした。口は依然閉ざされたままだ。
「随分おとなしいな」
「……トラファルガーこそ、今日はなんか変」
「変?」
「なんか、優しいっていうか……」
「あァ、惚れたのか」
「ん、なわけないじゃん」
「そうか」
今日の計画はまずまずの結果を残しているようで、帰りまで取っておくつもりだったが、最後の計画に移ることにした。
「なんで優しいか、教えてやろうか?」
計画その5 計画をバラす
「好きな女には、優しくするもんだろ」
階段の真ん中、ミョウジがおれよりも二段上った所で話しかける。
上りかけの足が止まると疑いの視線で見下ろされる。
「相手、間違えてない?」
「間違えてねェな」
「タチの悪いいたずらなら止めてくれる?」
「タチの悪いいたずらじゃないなら止めなくて良いんだな?」
おれは二段、階段を上った。
おれは――
「好きでもない女を朝から待ったりしない」
「好きでもない女に宿題を見せないし、そんな女の髪なんて触らない」
「好きでもない女の為に食べもしないフルーツサンドなんか買わない」
「好きでもない女の掃除を手伝ったりなんかしない」
「好きでもない女にこんなことは言わない」
これが計画の締めくくり。
「ナマエ」
教室戻るぞ。今度はおれが一歩前を歩きだす。
糖分増量化計画これで完了。
あっけない? ありきたり? 知らねェな。少なくともお前はこの計画にはまったはずだ。
これでまだまだ微糖だってんなら、次はミルクでも入れてやろうか。
企画「がっこうへいこう」提出作品
2010.0913