胃袋は掴まれていた



 有里ちゃんの発案で開催されたバレンタインデーイベントは予想していたよりも盛況だった。ジーノは期待を裏切らない人気っぷりで、良い意味で期待を裏切ってくれたのが黒田だった。まさかあんな強面の人達から両手いっぱいのプレゼント貰うなんて。中身はタオルとかだったみたいだけど。

「あー後藤さん発見!彼女さんが来てますよ!もう、相手がいないなんて嘘ついて〜。隅に置けませんね、このこの〜!」

 後片付けをしていると、イベントが大成功して相当嬉しいんだろう有里ちゃんがハイテンションで言いたいことだけ言って「それじゃ」と仕事に戻って行った。
 悲しいかな、ここ何年も彼女という存在に覚えがない。そうであってくれたらいいかな、と思う人がいないわけではないけれど。だから有里ちゃんの言う「彼女」に心当たりがまったくないので、訪ねてきてくれたのが誰なのか見当がつかない。
 知り合いではあるんだろうなと、ひとまず有里ちゃんが来た方向に足を向けた。

「ミョウジさん?」
「ごとーさーん」

 待っていたのは予想外の人物で俺は目を疑った。朝ゴミ捨て場で見た時のままのスーツ姿で両手を振って俺を迎えてくれた彼女は、紛れもなくアパートの隣室のミョウジさんだ。

「どうしたの。職場この辺だっけ?」
「違うけど、今日はいろいろあって早く終わったから」
「そうなんだ……。あ、ごめんイベントもう終わっちゃったんだ」
「だろうとは思ったけど、いーよ。選手達のモテっぷりにへこんでいるだろう後藤さんをデートに誘いに来ただけだし」
「……なんかそれ、素直に喜んでいいのかわかんないんだけど」
「まあまあ」

 口ではああ言ったけど、心の内はガッツポーズまでして素直に喜んでいる。
 彼女の性格からしてデートと言ってもそういう気持ちがあるんじゃなくて、ここからアパートまで一緒に帰って俺の部屋で彼女が作った夕飯を食べるだけだと思う。お隣さんというよりはもう友達の感覚だろうとわかっているけど、彼女のことをそれ以上に思ってる俺とすれば嬉しいお誘いだ。
 ちょっと待っててと告げてクラブハウスへ戻ると、有里ちゃんが気を回してくれたのか会長からもう帰っていいと言われた。まだ片付けをしているみんなを背にするのは気が引けたけど、ミョウジさんを待たすのも申し訳ないし、明日からまた頑張るということでいつぶりか思い出せないぐらいの定時帰宅をさせてもらった。

* * *


「チョコレートと鶏肉が合うなんて知らなかったよ」
「私も半信半疑だったんだけどね。雑誌に載ってたから作ってみた」

 ミョウジさんはバレンタイン特集記事にあったという鶏肉のソテーチョコレートソースがけを振舞ってくれた。一口目は恐る恐るだったけど、口にした瞬間美味しさと意外性に体が震えた。

 ミョウジさんと時間の合う時は夕飯を一緒に食べるようになってから半年ほどになる。彼女は手際が良いし料理の味ももちろん良い。料理上手だねと言えば、ひとり暮らしが長いからだと言うけど、バランスはもちろん彩りや季節感、食べる時間のことまで考えて作る彼女はやっぱり料理上手なんだと思う。
 そんな彼女を見て「いい奥さんになるな」というよりは「こういう奥さんがいいな」と思う。彼女には悪いけど、今日こうして俺といるということは一緒に過ごす相手がいないということで、それを嬉しいと感じているのも、俺がそれなりの歳で、そういう気持ちを彼女に持っているからだと思う。

「そう言えば今日後藤さんを呼んでくれた子に凝視されてさ、その後すっごくニヤニヤされたんだけど、私なんかおかしかった?」
「有里ちゃん顔に出やすいからなァ。たぶんミョウジさんを俺の彼女だと勘違いしてたから、それかな」
「ああ、後藤さんを訪ねてくるような人いないから」
「だからさ、そういうこともうちょっとオブラートに包んでよ」

 彼女が淹れてくれたお茶を飲みながらの食後のひと息。構図だけなら完全に夫婦だよな、なんて思うのは今日に限ったことではなく。剥き出しの言葉にも笑ってしまえる。

「ね、後藤さん」

 ああでも勘違いって所に反応して欲しかったかな、なんて笑いながら思っていると一緒に笑っていたミョウジさんはぴたりと笑いを止めて、穏やかな笑みを浮かべて俺を呼んだ。その表情にドキッとしたのは、言うまでもない。

「後藤さん私のこと料理上手だって言ってくれたよね」
「うん。お世辞じゃなくそう思うよ」
「それってさ、後藤さんの胃袋掴んだって思っても良いの?」

 俺を見るミョウジさんの耳が心なしか赤くなっている気がして、今日は飲んでないよな……あ、照れてるのか。なんて、言葉の意味にも気づいてしまえば俺も平然としていられるわけがない。

「えっと……うん。掴まれた、かな」
「ほんと!?じゃあ、恋人から始めよう」

 そう言った彼女の顔を、俺は一生忘れないと思う。

「普通そこは『友達から』だろ」
「だってもう友達だし、恋人『から』がスタートでしょ」

 当然のように言われた言葉に、もうこのままゴールしちゃっても良いんじゃないかと思った。
 それから「今日泊まるから」と言った彼女はにやりといった笑顔で、俺は遠くない将来彼女の尻に敷かれてる自分を想像せずにはいられなかった。

2012.0221
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