それは忘れたい自分



 島に着いたと誰かが声を張って知らせれば、たちまち甲板は野郎で埋め尽くされる。海に惚れてオヤジに惚れてこの船に乗っていても、陸と女に恋慕の情が湧かないということでもない。比較的年齢が若いやつ、乗船から間もないやつに多いが、陸には陸の楽しみがあると、どいつもこいつも浮かれている様を見るのはそれで楽しいもんだ。

 もう何年も前に立ち寄ったことのあるこの島は当時よりも活気が増していた。薄暗く汚れていた路地裏はそこを好む輩の領地のようだったが、誰が掃除しているのか、ゴミひとつ見当たらないほど綺麗になり、壁画が施されてひとつの観光名所になっていた。治安が良くなったのかと思えば、そこで商売をしていた女達が構えたのか、酒場の隣や上階はそういう店が増えている。
 なにがどうしてこうなったのかは知らないが、この島なりに共存を計っているのが窺えた。

「昼間っから盛んなやつらだ」

 “そういう店”に入っていく兄弟を半ば呆れ顔で見送る。上階の窓から顔を出し手招きをしているのは“そういう女”。軒下で今にもおっぱじめそうな絡み合いをしてるやつまでいやがる。節操のない島になったなと思ったが、海賊の、ましてやおれの言葉じゃねェか、と思い直した。

「イゾウは女に興味ねェのか」

 昔に比べれば減ったが、今もたまに言われる。おれが店にまったく足を運ばないことを心配しているらしい。おれもまだ若い頃、海賊成り立てぐらいの頃は遊びも覚えとけと問答無用に女のいる部屋に放りこまれ、何もしないわけにもいかず一通りのことは済ませていたが、心持ちが良かったことなど一度もない。部屋を出た後はいつも吐いていた。

 問いの答えを口にすることはなかった。正直なところよくわからない。生理現象程度にそういう気が起きないというわけではなし、積極的にそういう気が起きるというわけでもない。
 ただ、“ああいう女”には全く興味がない。世の中から爪弾きにされる海賊をビジネスとしてでも快く受け入れてくれる貴重な存在だとは思う。中には家族のためと泣く泣く商売しているのもいるだろうが、あの真っ赤な紅を見ると未だに同族嫌悪を引き起こす。同じように、商売にしていなくとも安っぽく誘われても喜んで夜を明かすような女にも興味がない。
 かと言って、純真無垢、天真爛漫、清廉潔白、そんな言葉が似合いそうな女も自分とは真逆すぎて食指が動くことはない。汚すだ染めるだが楽しいというやつもいるが、ああそうかと聞き流す。

――汚されるのも染められるのもおれァ御免だ

 引き上げられた記憶を振り落とし、地面を蹴る足には力がこもり足早になる。今日船を降りたのは失敗だったかもしれない。

 適当に歩き回り、気まぐれに腰をおろし、また歩き回る。どの道を進んでも一軒はあるその店に、うっかり宿も取れないと思い船で過ごす算段をつけた。
 日が落ち始め、歩き通しの空きっ腹を慰めてやろうと視界に入った店に足を向ける。入ってすぐにはずれを引いたと舌打ちしたが、エースのように早食いすれば済む話だと空席を探した。

「お兄さん、綺麗な口紅つけてるのね」

 今日の勘の働き具合はすこぶる悪いようだ。占いでもすれば最悪の結果が出たに違いない。断りもなく酒瓶とグラスを持って着席をした女に他を探せと言ったが、聞く耳はないようで持参したグラスとおれの空いたグラスに酒を注ぎ始めた。

「乾杯」
「……あんたの客にはならねェよ」

 一方的な乾杯をし、女は喉を鳴らして酒を飲み干した。とても客とりを目論む女の飲み方とは思えないが、改めて断りを入れた。

「飲んだら気が変わるわ」
「触んな」

 向かってくる指先を視線で制す。拒まれたことがないのか、女は目を丸くし動きを止めた。それでもすぐに「つれない人」といじけて見せる。サッチはこういう仕草に弱かったな。マルコは、面倒臭ェとよく言ってたか。

「海賊にもお兄さんみたいな人がいるのね」

 女の手管は分かり易く、それがおれには可笑しかった。髪を掻きあげ項[うなじ]を見せつけたり、開いた胸元に派手なマニキュアを塗った指をのせ目線を誘ってみたり、艶を出しているつもりらしい。
 色欲と金銭欲に塗[まみ]れた女の目に微かに映る自分。その姿に吐き気がした。

「あんた、なんでこの商売やってんだ」
「良い男と愉しいことしてお金がもらえるなんて素敵じゃない。玉の輿に乗れるかもしれないし」

 声を掛けたことでその気になったと勘違いしたのか、女はそう言った。気取らず飾らずがこの女のスタイルなのかもしれないがおれには逆効果だ。
 まだしばらく滞在する島で、こんな女にでも世話になっているやつらもいることを思えば面倒を起こすわけにはいかず、テーブルの下に隠れた拳をきつくきつく握り締め、内からせり上がって来るものを押し止めた。

「そんな気楽な商売じゃねェだろ。あんた、ちっと痛い目みといた方が良いんじゃねェか。その紅も男を誘うためだろうが、似合ってねェよ」

 聞き流す余裕くらい残っていると思っていたんだがな。
 自尊心が強いのかよほど穏やかな客しか相手したことがなかったのか、おれの押し殺した声と反対に、女は目元をきつくして声を荒げた。

「調子に乗らないでよ!!だいたい女みたいな格好して、あんた本当は男娼なんじゃないの!?」

 女の言葉に押し止めたものが溢れかえりそうになり、握り締めた左手に爪を食いこませる。この島が昔来た時のようにもう少し荒れていたら構わず手を出していたかもしれない。右手に掴んだグラス。勝手に注がれた酒を女の顔に吹っ掛けて、濡れた唇に噛みついた。

「そうだな。てめェよりは上客がとれるだろうよ」

 女の身体は怒りで震えていた。手の甲で唇を拭う女の目には、未だおれが映っていた。
 さっさと船に戻れ。寝て忘れろ。頭の中で冷たく言うおれがいた。

「軽い気持ちで紅なんざひくんじゃねェ」

 飯代だ、と手持ちの金をその場に残し店を出た。女の声と制止する男の声が聞こえたが、戻れ戻れという声の方が大きく、おれの足を動かした。

 空には月が顔を出していた。その薄明かりの下で、昼間と変わらぬ光景がより鮮明に視界に入る。男と女、だけではないその光景におれの胃は逆流した。


2012.0124
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