猫は煽り彼女はおれに待てと言う



 最後の句点を打ち上書き保存をクリックする。反射的に首を右へ左へ回すとミシミシと嫌な音が鳴る。が、それももう当たり前のことになってしまった。液晶画面の明るさを遮るように瞼に力を込める。仰ぎ見た天井は入居した時から変わらない、なんの変哲もない白。解放感を虚無感に変える白だ。

 手を伸ばしたマグカップ。淹れたばかりだと思っていたコーヒーは冷たく、レンジで温めるかと思うほどだ。一口も飲まずにいた自分の集中力に呆れる。
 集中が切れると途端に音が耳に入って来る。隣人の携帯のバイブ音や、真上の住人が水道を使う音。それから、に゛ゃーだかシャーだか鳴き合っている猫の声。ここのところ毎夜毎夜に゛ゃーに゛ゃーフシャーフシャーと、聞かされているこちらの身のことなど露ほども知らないだろう。お盛んなことだ。

 はて、自分の最後はいつだったろうか。

 疲労と関係があると言う話を聞くが、気づいてしまうと笑ってしまうほど正直に反応してしまうこれも男の性[さが]だろう。
 長い付き合いの彼女だ、互いの仕事を把握しているがゆえに連絡をこまめにとるということもしない。携帯電話の履歴を開いてみれば着信も発信も仕事関係で埋め尽くされている。彼女専用にと振り分けたメールの受信ボックスも、先頭にあるのは10日以上前のもの。
 どうするか。アドレス帳の彼女のページをひと睨みする。そこへニャァという野良猫の鳴き声がおれの親指を後押しした。

「もしもし?」
「よう。なんか声がするが、いま平気かい」
「ああ、テレビよ。なんか淋しいからつけてるだけ」

 「淋しい」という一言に敏感になるのは、おれがそれだけナマエに惚れてるからだろうか。学生の時分そこそこの付き合いをしていた女に言われた時は、「それがどうした」とまぁ冷たい返答をしたものだ。かと言って、ナマエに「おれに電話すりゃいいだろ」と言えるわけではない。

「どうかしたの」
「どうってこたァないんだが、仕事の区切りがついてね」
「うん」
「猫がよ、ここんとこうるさくてな」
「猫が?」
「ああ、発情期らしい」

 「ふはっ」と受話口から息がかかる。それからナマエは大いに引き笑いをした。数十秒の間ナマエの息づかいでおれの鼓膜は振動し、携帯電話を握る手に力がこもる。
「木曜日にはひと段落つくと思うよ」

 ひとしきり笑ったあと呼吸を整えながら仕事の見通しを告げられる。今日は何曜日だったかと、一瞬携帯電話を耳から話して確認する。右上に小さく「Fri」の文字。

「あと1週間じゃねぇかよい」
「そうね。たった1週間よ」

 おれの心境も現状も見越したうえで笑いながら言ってのけるナマエ。おれは、ああこの会話録音しときゃあ良かった、などと考えているあたり相当猫にあてられていると思う。
 「じゃあね」「仕事頑張れよ」と交わして通話を切ったが、あと1週間頑張らなければいけないのはおれの方だろう。ひとまず、明日は耳栓を買いにいこう。


2011.1204
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