すべては男の内で
「言いたいことがあるなら言え」
「だから、なにもないって言ってるでしょ」
「本当にないんだな。いいか、聞いてやるのはこれが最後だぞ」
ベットの上で膝を抱えて、目には溢れる寸前の涙を溜めた女の台詞には嘘しかない。おれを見ない振りに必死で、それでいておれの動向を探っている。
「そうか」
時間切れだ。
おれは女に背を向けて、つまらないこの空間から出て行くことにした。
「……待ってよ、行かないでよ!」
酷い声だ。
あまりに耳障りだったせいで、おれの足が止まってしまった。
「なにもないんじゃなかったのか」
振り返ってやると、さっきまでの努力が水の泡、化粧が崩れ落ちた可哀想な女になっていた。あれほど安い化粧品を使うなと言ってやったというのに。
「だって、いちいち口出されるの嫌だって言ってたから!ロー、そういうの面倒だって言ってたじゃん!」
「ああ、言ったな」
「だから、だから私我慢してたのに、なんで」
なんで、なんでと女は泣く。一度流してしまえば止める努力はしないようで、顔がどんどん黒くなっていく。
どうして女は「なんで」と泣くんだろうな。
「そうやって、『自分は物わかりが良いから我慢してあげてる。でも本当は嫌なの。気付いて』ってのが、一番面倒なんだよ」
「そ、んな」
「おれはずっとそんなお前を知ってたよ。おれは、お前のことを理解してるからな」
ああそうさ、おれはいつだってお前がなにを考えてなにを思ってるのか、どんなことよりも正確にわかっていた。未来をのぞくことができるやつがいたとしても、お前のことなら誰よりもおれがわかっているんだ。
「だったら、だったら!」
「でもお前はおれを理解しようとしなかっただろ。おれがそんなお前にどう思ってたか考えたことあるのか。『言いたいことがあるなら言え』。そう思ってたことに気付いてなかっただろ」
「そんなの、だって、言ってくれなきゃわかんない」
「おれは言われなくてもわかってた」
「意味、わかんない。口出すなって言っといて、言いたいことは言えって、おかしいよ、ひどい」
わからない、わからない、ひどい。どうして女はそう言うのか。わかろうともしなかったくせに。お前の脳はおれを理解する為に1%でも働いたのか。そんなお前は、ひどくないのか。
「お前、ずっと我慢しててこの先やってけるって本気で思ってんのか」
「だって我慢しなきゃ、ローに嫌われる、」
「なんでも黙って言うこと聞くつまんねェ奴なんかおれが女にするか。おれはな、噛みついてくるぐらいが好みなんだよ。そんなのも知らなかったのか」
女の顔は、下瞼から顎へ幾筋もの黒い線が入っている。下手糞なりに懸命に施しただろう化粧は斬新なものに姿を変えていた。それを拭ってやる気は欠片も起きない。おれの手が汚れるからだ。
「行かないで」
おれはもう一度女に背を向けた。
衣擦れの音と床を踏む音をほぼ同時に耳が捉え、右足を踏み出すタイミングで背中に衝撃受ける。おれを拘束するために2本の腕が回された。顔を拭いたのか所々黒ずんでいる。
「行かせない」
第三か第四胸椎のあたり、服越しに歯を立てられている。
無意味な拘束を外し、歪む口元をそのままにナマエと向き合った。
「そんなんじゃ歯型も残らねェよ」
着ていたTシャツを脱ぎ、心臓の真上にナマエの顔を押し付ける。
さあ、お前のあの鋭い牙を見せてみろ。
2011.1123