夜中に響く奇声



「あ、消費期限切れてる」

 たまの休日に張り切ってカツでも揚げようと買ったちょっとお高いトンカツ用のロース肉。なぜかそういうときに限って友人から飲みの誘いはあるもので、翌日から残業残業で今日まで来てしまった。そして今日は揚げ物気分ではない。適当に焼いて、作り置きのひじきと、ネギと乾燥わかめで味噌汁。それで十分か。
 肉たたきでストレス発散しようと発砲トレーに被ったラップを剥がしていると、視界の端をなにかが横切った。ついこの間も同じようなことがあったばかりだ。

 まさかそんなはずは……。

 祈るような思いで私は後ろを振り返った。

「ひっっ」

 このあとの行動パターンはもうお決まりになりつつある。

「後藤さん助けて!また出た!早く開けて!」
「あんまり大声出さないでって」
「もー嫌、今度あのママに会ったらゴミのこと絶対言ってやる。キッチン借りるね。今日は豚肉とひじき持ってきたから。あーもうホント信じられない。ひと月で3回とか信じられない。しかも一回り大きかった、なにあのサイズこの世のものじゃない。あ、中見ないでよ」
「見ないよ」

 着替えを入れた袋を持ってくれた後藤さんに一言。ちょっと前の後藤さんなら顔を赤くして「そ、そんなこと」とか言って可愛かったのに、今ではすっかり呆れ顔で返してくるからおもしろくない。
 我が物顔で部屋にあがって勝手にまな板と包丁を出し豚肉の下準備をする。3回目ともなるとキッチンのどこになにが置いてあるのか把握済みだ。冷蔵庫も勝手に開ける。後藤さんは洗い物係なのでこの間に部屋の片づけをしている。

『ボクサー派なんだ』

 初めて泊めてもらったときに偶然見つけてしまい、特に意味もなく呟いたこの一言は彼にとって大きな意味があったらしい。あのあと動きがおかしかった。黒地に赤ゴム。シンプルでカッコイイ、という感想は、ヘタに突っ込んで宿を失うわけにはいかなかったので封印した。

「はーいできあがり―。いただきまーす」
「早いな……いただきます」

 乾燥わかめがなく、とろろ昆布を見つけたので味噌汁の具がちょっと変更されたけどほぼ予定通りのメニューだ。肉の良い匂いが食欲をそそり、さっと食卓を整えて家主よりも先に箸を伸ばした。作ったのは私だから良いだろう。

「うまい」
「でしょ。やっぱり値が張ると違うわ」

 それからも「うまい」「でしょ」というやり取りと、今日仕事でどうだったかという会話をぽつぽつ交えて30分ほどで完食した。
 テレビをつけてリモコンのチャンネルボタンを1から順に押して、無難なニュース番組で止める。キッチンでは後藤さんが洗い物をしている。嫌な顔せず洗い物してくれるなんて、良い彼氏もしくは旦那になるだろうに相手がいないなんてもったいない。とは、余計なお世話か。私も言われたくないことだ。

「え、なに」
「んー、あの赤ゴムのパンツどうしたのかなって」

 あのパンツは彼の地雷なんだろうか。動揺で食器を落としそうになるという、漫画ちっくな行動を見せてくれた。そんなに動揺されるとつついてみたくなる性分なもので、弟の部屋でAVを探す姉の気分で捜索に出る。

「ちょっと、なにしてんの!」
「まあまあ落ち着いて。悪いようにはしないから」
「この状況で落ち着けないって。わ、そこダメっ」

 たんすの下から2番目の引き出しにかけた手が後藤さんの手に掴まれた。背中には冬ならばありがたい人の温もり。これまた漫画にありそうな光景だなと、冷静に思ってしまうあたり歳をとった気がする。20代ならドキドキしてたろうに。背中の人は固まっているのか動く気配がない。

「後藤さん、私のこと襲う気ですか」
「や、そんなつもりは、全然」
「全然って言われるのもなんだかなー」
「ごめん……って、だからダメだってば!」

 隙を見て開けた引き出しは2,3センチ隙間が開いた所で押し戻されてしまった。

「今更隠さなくたって……あ、でも私だけ見るって言うのも不公平か」
「見せなくて良いから!部屋漁るなら泊めてあげないぞ」
「そっちがそうなら……後藤さんの勝負パンツが黒地の赤ゴムボクサーだって言いふらす」
「それはズルイだろ。それに勝負パンツじゃない」
「そう言ったほうが箔が付くでしょ。さーて着替えてこよ」

 たんすを守っている後藤さんを背に着替えを持って洗面所へ。
 肩ひもの所にリボンをつけたこのデザインはどうなのか、と思いながら手触りがよく綿100%というところが気に入って買った紺色のワンピース型のルームウェア。ブラを外してこれを頭からかぶるだけ、というところで私は見つけてしまった。

 蓋の空いた洗濯機の中に、黒地に赤ゴムのボクサーパンツを1枚。

 いやでもこれは後藤さんが悪いよね、と決め込んだ時、部屋の短い廊下を走る音がした。そして、勢いのままに扉が開いた。

「ミョウジさん洗たく、き」
「…………」
「……わ、あ、ごめ、ごめん!ごめんおれぇえええ」

 勢いのままに扉が閉じた。
 私はブラを外してワンピースをかぶり脱いだ衣類をまとめて袋に詰めた。

 事故だ事故。これでお互いの下着を見た仲だ、公平だ。でも後藤さんは下着で私は下着姿だから私の方がサービスしてるぞ、なんだ、不公平か。
 そんな、第三者がいれば「もっと突っ込むところがあるだろ」と突っ込まれそうなことを考えてリビング兼寝室へ戻る。そこには本日3度目の漫画にありそうな光景があった。壁に向かって体育座りして、見るからに落ち込んでいる後藤さんの姿だ。

「後藤さん」
「ゴメン、ほんっとに、覗くつもりなんて全然……いやミョウジさんは魅力的な人だと思ってるけど、ってそうじゃなくておお俺なに言ってんだ」

 これだけ慌ててもらえるとこちらは冷静になれるので助かるもんだ。
 とりあえず、夜も遅いしテンパってる後藤さんの喚き声はお隣の山崎さんに迷惑なので、

「寝ましょ。話は明日起きてからで」

 勝手に布団を敷いて眠りの体制に入ってから、朝いちでバルサン臭を換気しに戻らなければいけないことを思い出した。そして家主なのに置いてかれた存在の後藤さんが「えええ」とまた喚いた。


「Pèse la perte」提出
2011.1219サイト掲載
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