アスパラガス



 キッチンと風呂、トイレ、リビング兼寝室の空間がひとつ。小さなアパートの一室とも思える一軒家。自慢は八百屋代わりの菜園。民家の集落より外れた、そんな我が家の扉がたたかれたのはついさきほどの話。

「海賊船がきたよ」

 海を指差して、それだけ告げて帰ったのはお世話になっている魚屋の奥さんだった。

 人だかりにまぎれて海原を望めば、よく知るフィギュアヘッドがこちらを向いていた。望遠鏡を覗いている子どもにはその海賊旗がはっきりと見えているようだ。
 あの速度なら小一時間もしないで島に着く。集落をさらに奥へと進んだ島の反対側なら彼らを迎え入れるだけの街があるし、そう知っていてやってくるのだろう。そう思いながら人だかりから外れた。





 昼を過ぎ、洗濯物を取り込むころには集落にも人がいなくなったようだ。土と風の震えを肌が微[かすか]に感じている。街が祭りのときに感じたのはもっと微細な震えだったが、規模の違いか。

「こんな小さな家にはなにもないよ」
「ここにいい女がいるって聞いてなァ」
「一昔前の姿だったらそうだったかもね」

 背後に感じる“男”に声を掛けた。後ろを取られた感覚を懐かしく思ってしまう自分がいた。

「花見でもしねェか」

 ずしんと音がして、瞬きの間にふわりと身体が宙に浮いた。
 一息ついてから男の方に振り返った。

「見れるほどの花は咲いてないよ」
「そうでもねェさ。随分ときれいに咲いてるじゃねェか」

 鼓膜をゆする寂声[さびごえ]に感じた歳月は、遠くにおいてきたはずの月日を手元まで運んできた。

「もうとっくの昔に見頃は終わっててね」
「花弁の一つも落ちちゃいねェよ」
「耄碌[もうろく]じじいがよく言うよ」

 悪態をついてやればこの男は暢気[のんき]に笑った。顔を走る皺の一筋ひとすじに視線は持っていかれた。
 
「座れ」

 一つ、木の幹のような太腿をたたいて男は呼んだ。むかし、あたしの椅子だったそこを前にして、あたしは胡坐[あぐら]を掻いた。

「ここに咲いてる花を持って帰りてェんだが」
「もっといいやつがそこいらに咲いてるだろ」
「ここの花よりきれいなのは見たことがなくてなァ」
「もうここにだいぶ根付いてるんだよ」
「良い土ならうちにもある」
「……そういう問題じゃない」

 どれだけ根を傷つけずに掘り返し、質の良い土に埋め直しても、十分すぎる水と陽を注いでも肥料を与えても無理だ。「それでも欲しいのなら引っこ抜いて持って行けばいい」と言えば、「それはできない」と返された。引っこ抜かれたが最後、花が枯れることを男もわかっている。
 それから、花の話は止めだと言ったが、諦めがついたという感じはしなかった。諦めの悪さは変わっていないらしい。

「おめェ、白ひげって海賊知ってるか」
「白ひげ? さァね」
「そうか。名の知れてるやつだと思ったんだがな」
「知ってたとして、あたしには関係ない話だ」
「ナマエ」
「あんたは、まだ海賊やってるらしいね」
「…………まァな」

 口端を吊り上げて、手提げの酒瓶を呷[あお]る。宝よりも欲しいものがあると言っていた、あの時の男とは違った。

「宝に興味なんかないって言ってたわりには」
「あんだ?」

 街の方から「おやじー」と野太い呼び声がした。声の数からして片手で足りそうだが、大男ひとりの出迎えにしては仰々しい。

「随分と、大事にしてるようだね」

 男が笑うと土も風も震えた。それを肌で感じる中、あたしの頭を占領したのは、食器が落ちやしないかという心配事だった。

「そろそろ戻りな」

 男の眉間に新しく2本の皺が走った。
 ひよっこなら腰を抜かすだろうけど、そんな顔したって怯むあたしじゃないさ。

「どうせ黙って出てきたんだろ」

 あたしが立っても視線は上を向いたままだ。もう少しゆっくりさせろとぼやきながら男は重い腰を上げた。比べる背はこいつの腰ほどもなく、あたしの背はあれから微塵も伸びていないようで、むしろ少し縮んでいるのかこいつがデカくなったのか。

「また花見にくる」
「そのころには枯れてるかもね」
「それならおれァ花咲じじいになるしかねェな」
「…………阿呆」
「ナマエ」

 いつからそんな冗談を言う男になったのか。射抜くような視線は相変わらずだ。まったく、笑えない冗談だよ。

「さっさと行きな、船員を困らせるんじゃないよ」

 互いに睨み合っているつもりはないのに、こうしていると周りから「火花が飛んでいる」とよく言われたものだ。
 あの日も……。

「あんときに、勝っとくべきだったなァ」
「なんべんやってもあんたには負けないよ」

 土と風が震えた。
 呼び声が大きくなってきた。仕方ない、今回はあたしが見送ってやろう。



「キザな台詞なんか似合わないんだよ、ニューゲート」

 なかなか小さくならない背中に吐き捨てた。


アスパラガス
 花言葉:私が勝つ、何も変わらない

2011.0920再掲
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