美しい海はエメラルドに形容されることが多いけど、私はそれをアクアマリンのようだと思った。空は清々しく晴れ渡り、海はきらきらと眩しく太陽の光を反射している。果てなく続く水平線の彼方には何があるのか、なんて幼い妄想を膨らませるには私は少し現実に近づきすぎている。しかしそんな私でさえも雄大なこの景色には神々しさすら感じられる。潮風に吹かれる私の髪はくるくるとカールしていて頬をくすぐっている。広がる髪を押さえながら振り返ると陽気な街の風景が広がっている。軒を連ねる店先に続く絶え間ない人波はまさに先程まで眺めていた海のようだった。暖かく包んでくれるような優しさを持ちながらも、気を緩めると波に飲まれてしまいそう……。それも喧騒を避け遠巻きに見れば、ひとつの額縁に入れた風景画のように美しいものに見えてしまう。 「相変わらず綺麗だな」 ブロンドの髪をなびかせて微笑むディーノ。街中で真っ黒なスーツを着ているととても目立つ。いい意味でも、悪い意味でも。綺麗なのはあなた。口に出せば機嫌を損ねてしまうとわかっているから言わないけれど。 「久しぶり」 「元気だったか?」 「見ての通り」 「そっか」 そう言って視線を海に向ける。 「この景色、本当に好きなんだな」 「うん、きれいだから」 「同感。魔法みたいだ」 「ふふ」 「……実は、たまに来てる」 「うん、知ってる」 「!、一度見たら、忘れられないというか、その」 「そうね、引き寄せられちゃう」 「…………お前のことも、忘れられなくて、」 彼と私では住む世界が全く違う。 「私たち、綺麗さっぱり別れたでしょ」 「、あれはお前が無理矢理、」 「他人だよ」 「俺、認めてないから」 「やだ、何行ってるの」 「さっきも言ったけど、俺時々ここでお前見るけど、どんどん痩せて心配なんだ」 「じゃあ見ないで」 心にもないことを口にして目頭が熱くなる。潤んだ瞳で見つめるとディーノは一瞬たじろいだ。何もかもが違いすぎるのだ。身分、境遇、財力。挙げるときりがない。付き合い始めた頃は視界を埋め尽くすきらびやかな世界に心を弾ませていた。異世界に来た気分で浮かれて、毎日がとても楽しかった。想像はしていたけど、私の素性が明らかになるにつれ、周りの反応は冷たくなっていった。両親の残した小さな花屋を細々と経営している貧しい私と大規模マフィアのボスのあなた。あなたが許してくれてもファミリーは許してくれなかった。気がつけば私は別れを切り出していた。周りの圧力に心が押し潰されそうだったから。その頃にはディーノも、周りから再三の説得にあっていて渋々受け入れてくれた。幻のような日々から目を覚ました私は再び元の生活を始めた。でも所詮は花屋。彼が身につけている美しい宝石なんて手が出せないからこうやって景色を宝石に見立てて満足するように言い聞かせている。 「…どうしたら前みたいに、」 「やっぱり一般人のわたしじゃついていけない」 「そんなの今さらだろ」 「ねえ、このやり取り前もやったじゃない」 「だって俺、諦めきれねぇ」 「…お願い。私のこと全部忘れて」 逃げるようにその場を後にした。今更振り向くことも出来なかった。家に駆け込むなり涙が溢れる。ディーノにあんな顔させたくないけれど、もう関わることも出来ない。ディーノと別れた一週間後、私の花屋はマフィアに買い取られた。本当はマフィアと関わった女など消し去られるところだが、全てを手放すことで許しを得た。手元に残った僅かなお金で部屋を借りて、チラシを配ったり喫茶店で働いて生計を立てている。本音を言えば言い切れない、けど、言えない。彼は優しいから。これ以上、彼の足を引っ張るわけにはいかなかった。 あの景色が本当に好きで何度も足を運んでいた。ディーノを連れていったこともあった。待ち合わせ場所に使ったこともあった。今日だってあの場所に行くと会えると思ったから。私が行かない日、あそこで日が暮れるまで海を眺めているあなたを見かける度に胸が張り裂けそうだった。ディーノだけでも、幸せになってよ。お願い。おまじないのように呟いて期待を振り払い、硬いベッドに横になった。 慈しみ深き愛の調べ title by 知絵莉 ×
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