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「太ももの傷な……。」

百目鬼は静かに聞いている。

「後遺症はないし、神経は傷ついてない。
見た目ほど酷い傷って訳じゃない。」

自分に言い聞かせるようにそう言う。

「だけどな――」

そこで言葉が詰まる。

「時々ひきつったみたいになって足が動かない時がある。」

所謂心因性の症状ってやつらしい。
足はきちんと完治している。

普段困ることはない。
ちゃんと戦える。

百目鬼が息を詰める。そりゃそうだ。

そんな状態の足の人間と勝負することはアスリートとしてリスクでしかない。

知ってれば最初の勝負からしてないだろう。
実際、足の不調は一切なかったし、そもそも最近ひきつった様になること自体ほとんど無い。

だけど、多分あの勝負をしてなきゃ俺はこうやって百目鬼の隣にはいない。


自分が馬鹿だっていう自覚はある。

妹が心配してたのも当たり前だ。
それに妹が百目鬼に俺の事なんぞ、碌に話してはいない事も分かってる。

父が道場にしばらく立ち入りを禁止したのだって当たり前だ。

「……許してくれないかもしれないけど。」

次は無いかもしれない。
恋愛の方だって、これで御破算になるかもしれない。

不安だ。怖い。

けれど、弱さを晒してくれた百目鬼にもう嘘は付けなかった。

周りに無関心って訳じゃない。
別にクラスでつるんでるやつもいるし、それなりにやってる。

こんな風に自分の馬鹿さと、弱さを見せられるのが百目鬼ってだけだ。

ざぶん、と湯が跳ねる音がする。

さすがに愛想をつかされたか? と百目鬼を見るとそのまま抱きしめられる。

百目鬼の取った行動の意味が分からなくて固まる。

「なんで、もっと早く言わなかった!!」

吠える様に百目鬼が言う。
そんなのは自明だ。

百目鬼と再戦したかったからだ。配慮して手を抜いて欲しくなかったから。
対等でありたかった。

隠していたかった。


背中をさすられて、心がほどけていく。

「百目鬼の事好きなのも本当だし、再戦を楽しみにしてたのも本当で――」

涙がぼろりとこぼれる。

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