ローレライに口付を
5-2
彼の家は思ったよりも郊外にあった。
けれど、玄関のドアを赤羽が開けて一歩入った瞬間理由が分かった気がした。
彼の家は、美術室と同じ香りがする。
塗りこめられた様な油絵具用の油の匂いが充満して一瞬ここがどこだか分からなくなる。
「ああ、こっちだよ。
俺だって、お茶位入れられるんだよ。」
にこやかに笑う赤羽は、友達を家に招いて嬉しそうと言われれば信じてしまいそうな笑みを浮かべている。
リビング、だったであろう部屋にはキャンバスが散乱していて床には固まった油絵具らしきものが何か所か落ちている。
それでも、革張りのソファーとローテーブルは綺麗に見えた。
腰をかけていいか聞こうにも筆談用のメモもペンも持っていない。
赤羽はそれらを用意してくれる気は無い様なので諦めて座る。
声を出すのは、何か赤羽の期待に応えてしまう様で恐ろしかった。
出されたものは洋風なティーカップに入った緑茶でそれがこだわりなのか、無頓着の結果なのかはよく分からなかった。
赤羽はここで一人暮らしをしている様だった。
油の匂いがたちこめる位ずっと一人でここで絵を描いているのか。それは俺の歌を聞く前から変わらない事なのか。
今の俺には聞くすべもない。
「ねえ、ずっと声も出さないつもりなのかい?」
目を細めて赤羽が聞く。
首を振る。彼が意図したのが、今日会話をするつもりが無いことを聞くものなのか、これからずっとという意味だったのかは知らない。
けれど、どちらにせよ今自分が選べることは声をなるべく出さない事だけだった。
もう誰も不幸に巻き込まない事だけだった。
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