ローレライに口付を
3
※視点変更
初めて彼の歌を聞いた瞬間、雷に打たれた様な衝撃を受けた。
だから、その後に起きたことは些末なことだ。
どこかの会社だったか、それとも画廊からの頼みだったか、それとも出版社関係の何かだったのか、正直興味が無いし思い出せない。
兎に角、付き合いのつまらないパーティーだった。
けれど、余興として彼が歌い始めた瞬間、世界が変わったのだ。
技巧的には、巧いとは言えないものなのだろう。
参加者たちはすぐに彼の歌に興味をなくして視線を移してしまっていた。
ああ、こんなに美しいものの価値がここにいる誰にも分からないのかと思った。
一生分のインスピレーションをこの瞬間、彼から貰ったのだ。
踊り出したい気分だ。と普通は言うのだろうか。
別に一生踊りたいとは思わないので分からない。
けれど、無性に絵が描きたくなった。
運命だと思える彼の歌は数分で終わってしまうだろう。
何曲でも歌えばいいのに、と思った時だった。
非常ベルが鳴って彼の声がかき消されてしまう。
その直後、目の前が暗転する。
非常用の灯りが灯ったことでそれが停電によるものだとようやく分かる。
会場内はざわめいている。
けれど、様子を見ようと会場の外に出た、スタッフの怒号が何かひっ迫した事態になっていることを悟る。
すぐに何が起こっているのかは予想できるようになった。
開けられたドアから入ってきているのは煙だ。
恐らくこの建物は火事になっている。
ああ、終わったと思った。それであればあの美しい歌声の彼だけでも助けようと思った。
パニックになりかかっている会場の人並をかき分けて彼の元へ向かう。
「大丈夫ですか!!」
声をかけると驚かれる。
ホテルスタッフが甲高い声で避難順路を指示している。
外にはすでに消防車も駆けつけているらしかった。
「さあ、一緒に逃げましょう。」
俺の言葉に何故か彼は一歩後ずさる。
騒然とする室内は誰も俺と彼の事を気にしていない。
「俺は……、あなたたちの事を殺そうとしたんですよ。」
「殺すって――」
冗談にしても物騒だなと返そうとした時だった。
「俺の歌を聞くと、皆死んでしまうんですよ。」
そんな非科学的なという言葉は出てこなかった。だって、もし本当であれば、彼の歌に運命的な何かを感じた自分は正しかったということになる。
それに、現時点で死にかけてる訳で、彼の言っていることもあながち間違いではない。
先ほどとは別の意味で雷打たれたような気分になる。
運命なのだろう。
彼がもし死神の歌を唄えるのであればもう一度、俺のために歌って欲しいと思った。
無理矢理手を引いて外へと逃げる。
途中でのことはあまり多くは覚えてはいない。
ただ、彼をかばった時に負った火傷がケロイドになっているだけだ。
見た目の割に日常生活にさほど不都合はなかった。
◆
部活中真白の視線に気が付いて筆を止める。
「どうした?」
俺が聞くと、真白は視線を逸らす。
それからメモ帳に『その傷、まだ痛いですか?』と書いて見せた。
あの時の事を、真白は酷く気にしている様に見える。
「別に、日常生活に支障はないし問題ないよ。」
それよりも、俺は彼の声が聞けなくなってしまった事の方が悲しい。
「君の声は、あの火事で?」
熱風で喉が焼けただれてしまったのかもしれない。そう思って聞くと、真白は首を横に振る。
泣きそうな顔で、どうにかしてやりたいと思う。
「また、歌える様にしてあげるから、大丈夫だよ。俺のローレライ。」
そう言うと、真白はさらに泣きそうな顔になってしまう。
彼の声が聞きたいのにどうしたらいいのか分からない。
だって、運命だったのだ。
多分、あの日が俺にとっての運命の日だった。
何もかもを投げうってもいいものを見つけてしまった時、きっと人は変わるのだ。
「愛してるのに。」
なんでそんな顔をさせてしまうのだろう。
俺がそう言うと真白は困り果てた顔をしてしまった。
仕方が無く、俺はまた絵筆を持って続きを描き始めた。
3話了
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