ご指名相手は俺ではありません

自宅編

結局、海にはいかなかった。

早朝もやっているファミレスには行く気にもなれず、自分のぐちゃぐちゃになっているアパートに彼を招くつもりにもなれなかった。

「良かったらうちに来るかい?」

堺は静かに言った。
それが色を含むものの様には見えない。

別にそうであったとして、どうなんだろうか。
よく分からない。
だからとりあえず「車の中で寝てしまったら、すみません。」とだけ返した。



堺の部屋は思いのほか片付いていた。

物が少な目で、けれどやや大きめのソファーとそれから広めのデスクがみえる。
きっと、この人は家にいる事が多いタイプだ。

ソファーに座る様に促されて、言われるままに座る。

シンプルなグラスに入ったお茶を横のサイドテーブルに置いて堺は俺の隣に座る。
二言、三言ぎこちない会話をした。

たどたどしくてぎこちないけれど、この空気は嫌いでは無かった。

ここは堺の家だというのに、妙な居心地の良さに眠くなってしまう。
先ほどまで働いていたのだ。眠くなって当然なのかもしれないけれどさすがにお邪魔した家で寝てしまう訳にはいかない。


「虹の写真を撮ったんですか?」
「写真、撮りましたよ。」

取り出したスマホのアプリから写真を表示する。
堺の写真の事を思い出した。

俺のと似た、虹なんか大して分からない写真だった。

それなのにこの男は、嬉しそうに俺のスマートフォンを覗き込む。

小さく映った虹を見て、それから「この写真も送ってくれればいいのに。」と言った。

「あの、多分気が付いていると思いますが……。」

ずっとメッセージをしていたのは、アオイではなく俺だった。

「はい、さすがに気が付いています。」

ニコニコと笑いながら堺がいう。

「察することが苦手ではあるんですが、さすがに気が付いています。」

嘘だと思った。
多分きっと恐ろしく察しがいいのか頭がいいのか、あるいはその両方なのか。

何となく、堺は俺が代筆をしていたことを全く気にしていないように見えた。
アオイに対して興味が無かったからなのか、別の理由なのかは分からない。

けれど、聞いてしまって何か勘違いだと思われるのが怖かった。

「きっと君はもう気が付いているのかもしれないけれど――」

今日君に会えたのは、別に偶然でもなんでもないんだ。


だから。そう、堺は言った。
別に私はいい人なんかじゃないんだ。

「君の言葉が好きだっただけだよ。」
「でも、俺は、普段あんなしゃべり方はしませんよ。」

堺はとても甘やかに笑う。

「じゃあ、これから少しずつ教えて欲しい。」

堺はそう言った。

「多分きっと、取り留めのないつまらないものですよ。」

いよいよ眠たい。
多分、安心してしまった所為だ。

「少しうちで、寝ていくといい。」

その言葉が優しく響いて、一段と瞼が重くなる。
綴じてしまった瞳の向こうで、堺が堺が笑ったような気がした。

「今度一緒に、虹を見ましょう。」

気の長い話だ。
虹は狙って見れるものでは無い。一緒に偶然でなんてことは、長く一緒にいなければきっと無理だ。

けれど、きっと無理ですよと言う気にはなれず、そのまま睡魔に身を任せた。



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