ご指名相手は俺ではありません

2

「お水を一杯いただけるかい?」

ここのところ以前より店に訪れる回数の増えた堺は時々こうやって、俺に水を頼んでくる。
実は酒に弱いのかと思った事もあったが、けろっとしたまま帰る日もあるのだ。

ただ、そうやってただ帰る日はひたすら店が混んでいて、堺の細かい動きを追えていない日が多い。
まさか。とは思っている。

堺に対して自分が気持ちを持ってしまったから、こんな風に思ってしまうのだろう。

メッセージについて自分から言うつもりは無いのだから、俺はいない人間と一緒だ。

「はい。ただいま。」

一杯水を渡す。
水割り用の氷も水も、テーブルにあるのだ。わざわざここに来て頼む必要はない。

一言そう伝えればいいのにそれができない。

「そういえば、お勧めされたクリームパン俺も食べてみたよ。」
「あ、はい。クリームが美味しいですよね、あそこ。」

案外営業メールというものは難しい。
他の人間とデートに行っている様なものは使えないし、家の近くの写真も万が一のことを考えて使えない。
特に堺とのやり取りは、寂しいのとかそういうものはことごとくビジネスメールが返ってきて来てしまう。

金を落とす様になった堺は、店にとっても大切な客だ。
くれぐれもよろしく頼むと店長から言われている手前、というのは完全に言い訳だ。

そっと問題なさそうな写真をメッセージに添えることがあったが、妙に堺という男の反応が良かったので度々上げていた。

これでは、茶飲み友達同士の会話じゃないかと思わないでもないが、堺がそれを楽しんでいることは伝わってきていた。

だから、それが日常になってしまっていたのがいけなかった。

思わず答えてしまったパンの感想を、俺に聞くのはおかしいと気が付いたが後の祭りだ。

それなのに、堺はツッコミもせず怒りもせず、まるで当たり前の様に話を変えてしまう。今回はさすがに気が付けたけれど、こういう事がもしかしたら何度もあったのかもしれない。

「そういえば、今日は虹を見たよ。」

いきなり話が変わることに驚く。

「写真は上手く撮れなかったけど、一応見るかい?」

スマートフォンを取り出しながら堺は言う。

「はい。ありがとうございます。」

本来こういうことはアオイとやるべきなのだ。
俺がこの人とやっても意味が無いことなのに、堺との時間が終わってしまうのが惜しくて、つい画面の覗きこむ。


そこに写っていたのはビルの間から見える虹だった。
隙間に少しだけ見える虹は写りがわるく、写真としては駄目な部類なのかもしれない。

けれど、その風景が堺らしくて、思わず微笑む。

「ああ、よかった。君に見せたかったんだ。」

堺がまるで女の子に伝えるみたいに俺に言う。
それでようやく、何もかもがおかしいと気が付く。

堺は間違えてパンの話をしてしまって、気が付かなかった訳では無いのだ。

何て答えたらいいのか分からなくなって思わずまじまじと堺を見る。

堺はただ困ったように笑っているだけだった。



[ 66/250 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]
[main]