ご指名相手は俺ではありません

2

彼女が約束をした場所は最寄りの駅前だった。

約束の時間はギリギリ。何となくあの人の文面から約束の時間より早くついている気がした。

走ってきたため息は上がっているし首のあたりを汗が伝う。
駅前の広場にいる人間を一人ずつ確認していくと、その人は腕時計を見ながらそこに立っている。

相変わらずオーダーメイドらしいスーツを着ているが、どこか地味な印象に見えた。

慌てて彼のところに駆け寄る。
相変わらず呼吸は乱れていてしょうもない事になっている。

「す、すみません。」

声をかけると、堺はこちらを見た。
息が相変わらず切れたままで次の言葉が出せない。

「あれ?君は確か……。」

堺が相変わらず穏やかな口調で俺に話しかける。
それから笑顔を浮かべて俺の息が整うのを待っていてくれた。

「あの、アオイの件ですが、大変申し訳ございません。本日のお約束にどうしても来れないと言付かっております。」

そもそも店外デートは店は関係ないという建前がある。
だからこんなことをボーイである俺が言うのは違うのだ。

せっかくの色恋気分をぶち壊しにしているかもしれないの分かっていた。

「スマホに連絡入れたんですが……。」
「スマホ?」
「そ、そうアオイが!」

メッセージを入れたのは俺だったので思わず普通にそう言ってしまうと、堺に聞き返される。
慌ててアオイがと付け加えたが逆にあまりにも不自然な言い方になってしまった。

「ああ!スマートフォンの電源を切っていたんだ。」

堺は懐から取り出したスマートフォンのボタンを押して電源を入れていた。
数度、ブー、ブーとバイブレーションが震える音がして堺はスマホに視線を向けている。

「状況が分かったよ。
君はわざわざこの為だけに来てくれたのかい?」

そう確信めいて聞かれて、どういう言葉で返したらいいのか分からない。
息を切らしてここにきてるのだ。何かのついでにたまたまなんて言い訳はきくわけが無い。

「仕事、ですから。」

お気になさらずに。それだけ伝えると、堺は一、二度考え込むように頷くとふわりと笑顔を浮かべた。

「店の方はこのまま行って利用できるのかい?」
「はい。そちらの方は大丈夫です。」

アオイがずっと付けるかは分からないというのを伝えた方がいいのか悩む。

逆に急病だと思っていて店でバッタリとでトラブルになるという考えは何故だかその時、頭には無かった。

「それじゃあ、君に同伴してもらおうかな。」

堺という男が冗談を言うことに、少しばかり驚く。

「さあ、行こうか。
お店についたらお勧めの娘つけてもらおうかな。」

久しぶりに飲みたい気分なんだ。そう堺は俺に言った。

開店時間には少し早い。けれどじゃあ後でと言いにくい雰囲気だった。

「ちょっと店に連絡させてもらっていいですか?」

俺が言うと「勿論」と堺は笑顔を浮かべた。

「電話をしたら、焼肉は匂いついちゃうな……、じゃあ、軽く何かつまめる店にでも行こうか。」

まるで本当の同伴出勤前の店外デートをするみたいに堺は言った。
電話口で事情を説明している最中、予定をすっぽかされた筈なのに堺は妙に上機嫌で店も特例として遅出扱いにしてくれることになった。


その日、堺はいつもより桁違いに散財して店を後にした。

店長からよくやったと褒められたけれど、正直自分でも、なにがなんだか分からなかった。





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