明けの明星、宵の明星

3

「授業中触ってたペンも、さっき持ってたハンカチもあれお前んじゃないだろ。」

言われた瞬間は何を言われたか理解できず、鞄の中を確認して安藤の言っていることをが正しいことが分かった。
半ば無意識だった。

「それ、巣作り衝動ってやつだろ。他のオメガの匂いでも誘発する場合もあるらしいからホント気をつけろよ。」

安藤に言われ、ようやく彼が何を心配しているか分かった。
番同士がコミュニティの様なものを形成しているのは知っているし、フェロモンの影響でヒートが誘発されることも知っている。
でも、俺は周りの人間からオメガであると認識されない存在で、番のフェロモンの匂いすらまともに分からないのだ。

「俺は、あんな風に周りから羨ましいって思われるアルファとオメガみたいにはなれないから。」

美しい番。選ばれたものというより選ばれるべき人間としての振る舞いなのだろうか。
そんなもの俺には無い。

それを便利に使っている立場だからそんなものだとしか思えない。

「抑制剤ちゃんと持ち歩いてるか?」
「ああ。錠剤も自己注射キットも持ち歩いてるよ。」

いざという時は安藤は頼れない、それをお互いに知っているのでこんな話しになっている事は理解している。

「ほら、無意識に触ってる。」

面白そうに、けれど優し気に笑われて自分の手を見ると、先程指摘されたペン、あの人の万年筆を撫でている事に気が付いて思わず頭を抱えたくなった。



「済みませんでした。」

家に帰って夕食の時、都竹さんにハンカチと万年筆を返す。

俺と返されたものを確認して都竹さんは「なんだこれは?」と聞く。

「あの、間違えて持って行ってしまって……。」

巣作りですとは言えなかった。けれど、直ぐに気が付かれてしまった様で溜息をつかれた。
面倒だろうなと思う。自分自身で面倒だと思うのだ。

「きちんと薬を飲んでいるから大丈夫ですよ?」

おずおずと切り出すとすぐに「そうじゃない。」と言われる。

「お前はアルファの事を何もわかっていない。」

目の奥に浮かんだのは今日見た美しい番の事で、慌てて考えるのを止める。
この人といるときは他の人間の事を考えたくは無かった。

「無意識に俺の匂いがするものを集めてるんだろ?それがどれだけこっちの気持ちを満たしてるのか分かって無いだろう。」

そう言われて、この人が何を言わんとしているか分かって思わず赤くなって俯く。

「もし、外出先でヒートの兆候があったら必ず連絡をしろ。」

必ずの部分を強調されて言われる。

「仕事だってありますよね?」
「その程度なんとか出来ない能力だと思っているなら心外だな。」

都竹さんはそれだけ言うと、それきりなにも言わなかった。

「そもそも、あなたの匂い以外碌に知覚できないんですからなにかあるとしてもこのうちでですよ。」

言ってしまってから、まるで誘いの様だと気が付く。

「今のは……。」

言い訳をしようとしたけれど上手く言葉が出ない。
都竹さんはチラリと時計を見た後、「明日の講義は?」と聞いた。

ここで明日大事な講義がと言ってしまえばそれで何事も無かった様に都竹さんは振る舞うだろう。それが分かっているのに、いや、分かっているからこそ首を振ってしまった。

「明日は特に……。」
「そうか。」

都竹さんが席を立つ。

俺を見下ろしている顔はすでに情欲にでゆらりと揺れていて思わず唾を飲みこむ。
自分も無言で立ち上がる。今自分は期待に満ちた目で都竹さんの事を見ていることだろう。
それがいたたまれなくて思わず都竹さんのシャツを掴むと「行くぞ。」と短く言われ頷いた。



[ 131/250 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]
[main]