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▼ 無自覚と疑惑の話

 ――現在休憩時間。にも関わらず、この部屋に居る海兵たちは、かつてない団結力を発揮している。

 菓子とコーヒーカップ片手に何気なく駄弁っている海兵たち然り。相当終わりが見えないらしく、休憩時間ですら書類仕事に励む海兵も然り。眠気に耐えかねたのか、書類の上に突っ伏して眠っている海兵すら然り。そして、ひっそりと皆が注目している部屋の一点に、最も近い特等席で素知らぬ顔をしている自分、然りだ。

「そういえばたしぎ姉さん」
「はい、なんでしょうか?」
「じゃがりこ作ってみたんですけど、食べます?」

 じゃがりこ。

 その聞き覚えのない単語に、全海兵の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。だが、けしてその疑問を顔に出してはいけない。まるで何事もないかのように我々は寝たふりをし、手を動かし、雑談を続け――って、おいこらあの新兵、雑談続けるふりして「じゃがりこって聞いたことあります?」とか話題を振るんじゃない! 聞き耳を立てていることがバレたらどうしてくれるんだ。周りの海兵が慌てて話を逸らしたからいいものの、ああいうヤツが団結を乱すのである。

「なんですか? じゃがりこ、というのは」
「簡単にいうと、ポテトサラダを棒状にして揚げたものです。まあわたしの手作りなので、本物のじゃがりこには到底及ばないんですけど……あ、これです」
「わあ、美味しそうですね! ぜひ頂きたいです」

ほのぼのとした女子二人のそんな会話。彼女たちが自然に過ごせるように協力して日常を演出しつつ、噂好きの我々は皆一様に耳を傾けているのである。

 休憩時間になると時折、差し入れや新商品を抱えてこの部屋を訪れてくれるナマエの存在は、我々に与えられる限られた癒しの一つだ。彼女はしばらく前に海で遭難しているところを海軍に助けられた一人の少女なのだが、あの船旅がずいぶん前のことに思える今となっても、我々海兵は快適な生活を提供してくれた彼女への恩を忘れてはいない。本部に来てナマエと会う機会は減ったものの、たしぎ曹長と彼女がここの連中にとっての二大アイドルであることには変わりないのである。そしてナマエや曹長が気兼ねなく過ごせるよう、このようにしてあたかも普段通りであるかのように振る舞うことが、我々の暗黙の了解となっているのだ。

 自分の割り当てられた席がたしぎ曹長の斜め前の席だった偶然には、常々喜ばざるを得ない。しかしそんな日常の一コマの中に、彼女らのファンを自称する我々海兵にとって、抜き差しならぬ問題も存在する。

「スモーカーさんもいりますか」

 身を乗り出し、顔を傾けたナマエの視線の先にいるのは我らが上司、ことスモーカー大佐だ。彼は咥えた葉巻をくゆらせながら、呆れ声で白い息を吐く。

「……そいつをおれにどれだけ食わせる気だ」
「あー……、さすがに飽きました?」
「お前の研究心は尊敬するが、限度ってもんがあるだろう」

 さて、問題というのはつまり、これだ。

 我々海兵もそろそろ疑わしく思っていることがある。つまり、スモーカー大佐とナマエの、妙な親しさについてだ。初めは微笑ましく見守っていた我々であるが、徐々にそれは疑念に変わる。
 ナマエ本人は隠しているつもりのようであるが、一人の海兵が広めたことにより、あの船旅で彼女が大佐の部屋に寝泊まりしていたのは我々の共通認識となっている。説の一つとしては、現在も同居しているのではという線が濃厚だ。他にも、大佐はナマエを養子に取ったのではとか、むしろすでにデキているだとか、大佐はロリコンだとか、それに対して大佐が外見なんぞを問題にするような男に見えるのかという反論だとか、まあ何か色々な推察があるのだが。とにかく、この二人の関係性が我ら海兵にとって注目の的であるのは間違いないのである。

 二人の会話を聞いて不思議に思ったのか、たしぎ曹長はおや、と小首を傾げ、じゃがりことやらの入ったコップを手にしたままのナマエ越しにスモーカー大佐へ視線を移した。

「どうしてスモーカーさんは頂かないんですか?」
「実はですね、ここんとこ暫く試作をしすぎたぶんをこの人に散々消費してもらってたんですよ」
「わあ、それは……役得ですね」
「馬鹿言え、お前の食ってるそれが試作の何号目だと思ってんだ」

辟易した様子で呟く大佐の言葉はやはり聞き捨てならない。その口ぶりからして試作を口にしていたのは事実なのだろうが、ナマエが大佐のもとへ毎度毎度持ってきていたわけでもなし、となると同居説はほぼ確定だろう。……やはり大佐は役得だ。
 背の低いナマエは、椅子に座っている大佐ともそう頭の高さが変わらない。彼女は気まずそうに頬をかいてから、コップを机に置いてそろりとスモーカー大佐を覗き見た。

「でも、まずくはなかったですよね」
「お前の作ったもんを不味いと思ったこたねェよ」
「あれま、珍しく素直じゃないですか」

 書き物をしているふりをしていた海兵が、動揺したのかペンをとり落す音が聞こえた。致し方あるまい、不意打ちで訪れた大佐の惚気としか聞こえない台詞と、口では不遜なことを言いつつもどこか嬉しそうなナマエのコンボは確かにキツかった。というかこの二人、同居を隠す気が本当にあるのだろうか。
 さしものたしぎ曹長も、今の短いやりとりには思うところがあったようで、ぱちぱちと目を瞬かせつつ「なんだか……」と口を開く。

「お二人って、やっぱり仲良いですよね」
「うぐ……最近は否定しづらくなってきました」
「素直に認めりゃいいだろうが」
「スモーカーさんが禁煙してくれたら考えます」

つんとすましながらつれないことを言うナマエ。スモーカー大佐に対して生意気にこんなことを言ってしまえるのは彼女くらいのものだろう。かくいう大佐も慣れからか気を悪くした様子もなく、しばし逡巡してから薄く煙を吐いた――と、思われたところで。

「……」

 彼はふと、二本の葉巻を指の間に挟み込んで、するりと口から抜き取り。理解が追いつかない様子の彼女たちの目の前でその手を下ろし。スモーカー大佐はそのまま、じゅう、と葉巻を灰皿に押し付けた。

 燻る細い煙が、灰皿からふた筋立ち上る。

「……満足か?」

余裕ありげに口角を上げる大佐に対し、絶句するたしぎ曹長と、意表を突かれたようなナマエ。コーヒーを飲んでいた海兵が激しく噎せる音がどこからか聞こえてきたが、それもまた仕方のないことだろう。スモーカー大佐が吸いかけの葉巻を放棄するなんて驚天動地の大事件であるし、そうでなくても彼は、他人の要求をやすやすと受け入れる性格ではないはずだ。その大佐がまさか……からかっている様子だとはいえ、ナマエの言葉一つで、葉巻を置くだなんて。一体どうなっているのか、あの二人の関係は。
 しかしナマエときたらその重大性を気に留める様子もなく、普段なだらかな眉毛を不満げにぐいと吊り上げたかと思うと、指を突きつけつつ大佐へ詰め寄った。無論、可愛らしい仕草が微笑ましくはあるが、迫力は欠片もない。

「満足なわけないじゃないですか。わたしが言ってんのはそういうことじゃありません」
「ならなにが不満だ」
「あのですね、禁煙って言うのは一朝一夕で済む話じゃないんですよ。今だけちょっと止めたって意味……」
「ス、ス、ス、スモーカーさん、正気ですか!」
「え」

たしぎ曹長ががば、とナマエを押しやるような勢いで腰を上げた。ナマエは不思議そうに瞼を瞬かせたあと、いやいやそんなと苦笑するが、とはいえ我々海兵もたしぎ曹長に全面同意である。

「そんなたしぎ姉さん、おおげさな」
「大袈裟でもなんでもありませんよ! ちょ、ちょっと待ってください、スモーカーさんがまだ燃え尽きていない葉巻を置かれるなんて、い、一体……!?」
「あのな……お前はおれが四六時中、寝る間も惜しんで葉巻吸ってるとでも思ってんのか」
「は。い、いえ、そんなことはありませんけど……」

動揺しすぎたのかたしぎ曹長は一度否定したあと、「あれ? でもやっぱり……」とかなんとか呟きつつ、狼狽えたように首を傾げる。頑張ってくれ曹長、我々部下から見てもスモーカー大佐は寝る間も惜しんで葉巻を吸ってるタイプの人間だ。曹長は間違ってはいない……勿論そんなことを進言する勇気はないが。


「――それで?」

 大佐は混乱するたしぎ曹長など素知らぬふりでナマエに視線を移し、どこかからかうような調子で口を開く。ナマエは呆れ顔でため息をついた。

「それでもなにも……」
「どうしてやったら納得すんだ、お前は」
「なんでそんな偉そうなんですか」

大佐は何をする気なのだろう。ナマエの意識を会話に誘導しつつ、なにやら企んでいるように見えるのは気のせいだろうか――と邪推しはじめたところで、スモーカー大佐はふと、それも随分と慣れた様子で、ナマエの小さな手を取った。

「あのですね、スモーカーさんがわたしに歩み寄ってくれる気があるなら……」

え、と思わず声を上げそうになった。どうしてナマエは大佐の手を振りほどかないのだろう。混乱する自分を押しとどめているうちに、スモーカー大佐はナマエの腰にもう片方の手を添える。当然のように口を動かし続ける彼女に、やはり抵抗の気配はない。

「せめてもう少し、時と場所を選んでですね」

そのまま大佐は自らの方へ、しゃべくる少女の細腰を引き寄せる。おかしい、なぜナマエは反応しないのだ。彼女は素直にスモーカー大佐のエスコートに従い、一、二歩と彼に近づいたあと――

「もっとこう、分煙の意識を持っていただかないと」


ナマエはごく自然に、スモーカー大佐の膝へ、すとんと腰を下ろした。


 いや、……いやいや。なんだこれは。

 動揺しすぎて頭が痛い。どこかで眠ったふりをしていた海兵が椅子から転げ落ち、ある海兵はコーヒーを噴き出し、どこかでペン立てがひっくり返り、部屋全体がなんとなくざわつくが、それもまあ仕方のないこと、というか自然の摂理だろう。しかしやはりナマエだけは当然のような顔で、つらつらと言葉を続けていく。

「まあさっきのは冗談というか、はじめからスモーカーさんに禁煙なんてできるわけないのは知ってるんです。葉巻はスモーカーさんのアイデンティティみたいなとこありますし」
「あァ」
「けど一応最近は、なんか……いや、それはいいです。とにかく、スモーカーさんがスモーカーさんである以上、わたしと解り合うのは諦めてもらうしか――」
「あ、あのう、ナマエさん?」

さすがたしぎ曹長。どうにもおかしいこの状況にメスを入れられるのは曹長しかいない。ナマエはやはり自分の状況に違和感を得る様子もなく、きょとんとたしぎ曹長の方を見た。

「はい、なんですかたしぎ姉さん」
「すみません、ええと、その体勢は一体……」


 沈黙が降りる。

 ナマエはやおらにたしぎ曹長から視線を外し、握った大佐の革手袋と、腰に回されたもう片方の手を見やり、自分の座っている場所を改めて確認し。そして最後に、したり顔で見下ろす大佐の顔を仰いだ、かと思うと。

「あ、……」

ナマエの顔が、ぶわりと音がつきそうなほど、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。驚いた。あ、あのいつもしれっとした、どちらかといえば無愛想なナマエが、よもやあんな表情をするなんて。
 珍しくもしどろもどろになったナマエは言葉にならない声を二、三言発したかと思うと、面白いくらい慌てたままたしぎ曹長のほうへと振り返り、これまた焦った様子で弁明を口にする。が、今更、もう多分あまり意味がないと思う。

「ち、ちが、違うんですこれは」
「なにが違うって?」
「つ、つい、癖で、じゃなくてスモーカーさんわざとやったんでしょう!」
「心当たりがねェな」
「んな、ああもう、このあとまだおつるさんとこ行かなきゃなのに、葉巻臭が……!」

あんなに楽しそうな大佐を見ることもそうそう無いが、いや……しかし我々は一体何を見せられているのか。付き合ってる疑惑だのはともかくとして、あれをいちゃついてると解釈してもバチは当たるまい。

 そんなこんなでナマエは落ち着きなく体をばたつかせ、腰に回された大佐の手を身をよじって振りほどく。慌てて立ち上がった彼女はポケットから取り出した小瓶を構え、震える声で呟いた。

「こ、これにてドロンさせていただきます」

床に叩きつけられた瓶から勢いよく白い靄が立ち上り、それに紛れるようにしてナマエの影は脱兎のごとく駆け出していく。自分含め、近くにいた海兵がゴホゴホと咳き込んで白靄を払うも、すでに匂いとナマエは消えていた。……さすがに居た堪れなかったのだろうか、大佐の手のひらで転がされるナマエには同情する。

「忍者かあいつは……」

 スモーカー大佐は呆れたように呟いて、背凭れにぎいと体重をかけた。たしぎ曹長は半開きのままの扉を見たあと小さく微笑んで、はたと手元に視線を戻す。

「ナマエさん、じゃがりことコップ、置いていってしまいました」
「気にすんな、おれから返しておく」
「あ、そっか、そうですね……」
「欲しけりゃ残りのぶん食い終わっとけ」

ショックの抜け切らない様子で、大佐の指示通りにしずしずと菓子を手に取り、ポリポリ齧るたしぎ曹長。胸元から新しい葉巻を取り出した大佐に向かって、彼女はどこか悔しげな眼差しを向けた。

「うう……やっぱり最近、前より仲良くなりましたよね、お二人……」
「……さァな」

スモーカー大佐は含みのある口調でそう言って、負け惜しみのようなナマエの消臭を気にも止めず、新しい葉巻に火をつけるのだった。




「それと……お前ら、盗み聞きもほどほどにしろよ」
「え?」

 やれやれ、と肩の力を抜いたところで訪れた大佐の不意打ち。疑問符を浮かべるたしぎ曹長と、ギクリと身を強張らせる我々。……バレていたらしい。さすが大佐、というか、まあ、あれでバレない方がおかしいか。

 ……。あとで、全員で謝罪、しにいこう。



アマトリチャーナ様より『スモーカーさんと本部で無自覚にイチャイチャするお話』兼、赤井様より『スモーカーと主人公がくっつき疑惑のようなギリギリのイチャイチャっぷり』のリクエスト、ありがとうございました! 第三者目線久々ですね。イチャイチャってこんなんでいいのだろうか…と悩みつつ書きました。楽しんでいただけたら何よりです。


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