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▼ スモーカーさんが料理する話

 普段わたしが使用している小ぶりな三徳包丁は、意外にも彼の無骨な手に馴染んでいるように思う。

 滑らかに刃先を滑り込ませ、ストン、とこれまた思いのほか軽い音でまな板を叩き、ぱかりと根菜を切り分ける。断面を上にして倒れたじゃがいもは、わたしが手に取ったときよりもいくらか小さく見える気がする。

「スモーカーさんって、料理できたんですね」
「簡単なもんならな」

 衒いもなくそう言って、スモーカーさんは手慣れた様子でやや大きめに野菜を切り分けていく。この人が何かにつけて器用なのは承知のところであるんだけど、それでもこういった――細々とした作業をしている姿には、妙に意表を突かれてしまう。そりゃ、似合わない、とまでは言わないけども。

「ふうん……」

 スモーカーさんの手元へまじまじと視線を注いでいた。肘まで捲り上げた彼の袖から覗くのは、当然のことながら筋肉質な素手だ。大抵分厚い皮手袋に覆われている彼の手が、こうしてつまびらかに晒されているのは思いのほか物珍しく、そのせいか野菜を抑える節くれ立った指のかたちとか、存外短く切り揃えられた爪だとか、手の甲に浮かんで見える血管の色だとか――そういう変に細かいところに気がついてしまうのが不思議だった。

「体調はまだ優れねェのか?」
「二日目ですからね……明日からはもう少しマシになると思うんですけど」
「あまり怠いようなら寝てろ。そう警戒しなくても、お前の縄張りを荒らしたりはしねェよ」
「いえ、別にそういう心配はしてないですよ。ただなんとなく、見てたいだけなので」
「……そうか」

 ダイニングの席からはちょうどキッチンの作業場が見えるので、こうして座ったままでも調理の様子が伺える。無理な体勢をしてるわけではないからか、スモーカーさんもそれ以上のことは言わず、どうやらこのまま好きに眺めさせてくれるらしかった。

 切り終えたじゃがいもをボウルに移し、ずいと奥――つまりわたしの方に置きやるスモーカーさん。にんじんを切り始めた彼から視線を外してボウルを覗き込むと、大きめに切り揃えられたじゃがいもの平らな断面が見て取れた。薄く削ぎ落とされた皮はわずかに残る程度で、包丁を使ったにしては芽を刳り貫いた凸凹も大きすぎず、雑すぎず……。

「あれですね、意外と丁寧に剥いてあるんですね」
「そうしねェと可食部が減るだろう」

スモーカーさんのこういう判断はいちいち合理的だ。その辺わたしの感覚とはちょっと違う。例えば食材に失礼だからとか、単純に勿体無いからとか、そういう無意味に情緒的な考え方を、この人はあまりしないのかもしれない。
 それにしてもこれ、何を作ってるんだろう。じゃがいも、にんじん、そして脇に置いてあるタマネギ――とくれば、やはりカレーだろうか。いやでも冷蔵庫の中身を思い起こすにルーやらスパイスやら福神漬けやらはなかったはずだし、ここはずばり。

「肉じゃがですか、今日の夕飯は」
「あァ、よく分かったな」

よっし当たった。……それにしても、肉じゃがかあ。

「また意外なものを作るんですね」
「そうでもねェ。海兵にとっちゃカレーと並んで定番の献立だぜ」
「そうなんですか?」

へえ、横須賀海軍カレーとかなら以前から知ってたのだが、肉じゃがも海軍関連だとは知らなかった。不思議なことに、この世界においてもその辺の文化は日本と似たり寄ったりなところがあるので、実際の日本でも肉じゃがは海軍ルーツだというのも十分あり得る。まあ、その辺りは今のわたしには調べようもないんだけど。

「根菜は日持ちするからな、船旅では重宝される食材だから海軍発の調理法も多い。甘煮は貴重な真水を使わずに済む料理ってのもあって……」
「え? 肉じゃがに水使わないんですか」
「あァ、そうだな。それに出汁も要らねェ」
「あ、だし汁作るのにもお水が要るからですか! なるほど、すごい、徹底してますね。となると味付けはしょうゆと砂糖だけですか?」
「酒もありゃ尚良いがな」

スモーカーさんはわたしをちらりと見やってから、少し可笑しそうに口にする。う、ちょっと食いつきが良すぎたか。けど実際、わたしは料理本とかに載ってるオーソドックスな肉じゃがのレシピしか知らないし、こういうのは結構新鮮なのだ。なにせここには主婦……じゃなかった、家政婦の味方、クックパッドもありゃしないし。
 にんじんを切り終え、次いで彼が着手した玉ねぎ特有の匂いがつんと鼻を刺激する。昨日今日と食欲がなかったのだが、いい匂いにつられてだんだんお腹も空いてきた。ちなみに葉巻を咥えたまま料理をするなと強く主張した結果折れてくれたので、穏やかな気持ちで見守っていられるというのもある。

「……そういやァ、お前が作ったことはねェよな」

 涙腺にくる玉ねぎに目を瞬かせていると、ふとそんなことを口にしたスモーカーさん。肉じゃがをですか、と確認すると、短い肯定の返事が返ってくる。

「まあ、そうですね。なんとなく避けてるんです」
「……? なんでまた」
「んーとですね、わたしの故郷では肉じゃがといえばおふくろの味なんですよ。それでなくても家庭の味ってありますし、わたしが作るのもなんだかなあと」

 まあ、わたし自身、別に肉じゃがへ特に思い入れがあるわけでもないのだが。けど、実家で食べていたあの味と、自分で作る料理はやはりどこか違っていて、そういう意味の郷愁は多少あるのかもしれない。

「妙なことを気にすんだな、てめェは」
「スモーカーさんは気にならないんですか」
「そいつが気になるようなら、端からお前の飯は食えねェだろう。それに、元よりおれにゃ懐かしさを感じる味なんてもんはねェよ」
「それはちょっと寂しいですね」
「……どうだろうな」

 こういうとき、ちょっとだけ、スモーカーさんの過去が気になることがある。多分、だけど……血縁のある両親の元で普通に育ったわけではないのだろうな、というのを、彼の言い回しから感じたりしてしまって。勿論それを突っ込んで聞きに行くほどわたしはデリカシーのない人間じゃないから、結局はただの妄想に過ぎないのだが。


「あァ、でも近頃は……」
「?」
「お前の言う感覚も、分からなくはねェ」

 一瞬話の流れを把握できなくて疑問符を浮かべる。ええと……ああそうだ、おふくろの味についての話だった。そうか、となるとさしものスモーカーさんでも、そういうセンチメンタルは分からんでもないらしい。

「へえ、なにか懐かしい味でも思い出したんですか」
「いいや」
「え、違うんですか」

近頃というんだからそれしかないと思うんだけど。最近食べたものを懐かしむなんてことはないはずだし、……うーん、スモーカーさんの言うことは毎度のことながらよく分からない。

「――つまり、お前の飯は美味ェって話さ」

再び全く話の流れが読めなかったが、今回は完全にスモーカーさんのせいだろう。てかまったく「つまり」じゃないし。めんどくさくなって適当なことを言ったんじゃないか、と思ってみるも、スモーカーさんの態度は別に投げやりなわけでもない。……やはり謎だ。とはいえ褒められたのは素直に嬉しいので、首を傾げつつお礼を言っておいた。



 さて。目の前には、ほかほかと湯気を立てる肉じゃがが、わたしとスモーカーさんのふた皿分。

 お腹がぐう、と鳴る。ごくりと唾を飲む。鼻腔を満たすのは甘みとコクのある醤油の匂い。だしを使ってないにも関わらず、たっぷりの牛肉と野菜が効いているのか、ダイニングに漂うのは深みのある芳ばしい香りだ。食べる前から分かる、これ絶対おいしい。
 ダイニングテーブルに並べられた皿の前で、スモーカーさんを待ちきれずに箸を掴んだままそわそわしていると、先に食えとの言葉が呆れっぽく飛んできた。こういうことをするから子供っぽいだの何だのと言われてしまうのはわかっているのだが、今はそういう体裁とかは忘れてお言葉に甘えてしまおう。

「いただきます」

 いそいそと手を伸ばし、箸でじゃがいもを切り分けると、ふわっと上がった湯気が一層かぐわしさを増して漂ってくる。うーんしかし、水を使っていないにも関わらずそれなりに汁気があるのがすごい。水で茹でたときにみたいにどろっとしてないのもいい。これが全部野菜から出てる水分なのか……と感心しつつ、皿の底に溜まっている醤油味の汁に絡め、糸蒟蒻と玉ねぎとともに口に運び――

「んんっ……」

ほくほくのじゃがいもととろける玉ねぎの風味、濃縮された野菜の旨味が広がる。舌を満たすのは砂糖の甘さと醤油の辛さのマリアージュ。その熱にはふはふ言いながら奥歯で噛み締め、じゅわじゅわ染み出す素材の味を堪能する。
 うぅん、ほんとに久々に食べたけど、肉じゃがってやっぱ最高だなあ。特にこの味わい、輪をかけてご飯が進む。食欲ないとか言ったのはもはや嘘だ。は〜、おいしい、多幸感がいっぱいある、おいしいご飯は生きる糧……。

「ナマエ。聞かなくても分かるが、美味いか」

 ハッとして見ると、いつの間にやらわたしの向かいに立っていたスモーカーさんが、椅子を引きながら面白そうに尋ねてくる。口にしていた料理をもぐもぐ咀嚼し、ごくんと飲み込んでから、わたしはもはや言うまでもない返答を口にした。

「悔しいくらいおいしいです」
「そりゃ何よりだ」
「うう、これはレシピが優秀すぎますよ」

むしろ元祖がこれなら改変する必要なかったんじゃないかと思うんだけどな。まあ普通の肉じゃがも煮物らしい上品さとかがあって、あれはあれでおいしい。そちらもそのうち食べたいところだ。
 まあでもあれだ、スモーカーさん意外と料理できることが判明したし、今後暇そうなときには手伝ってもらうのもありかもしれない。わたしてっきり、この人はもっとざっくりした作り方をするんだろうと思ってたんだけど、見た感じそうでもなかったし。

「ったく、幸せそうに食うもんだな」
「だっておいしいんですよ」

 あっという間に空になっていく皿と満ち足りていくお腹。同様に向かいで黙々と食べ進めるスモーカーさんに、「あの」と声をかける。こちらを見た彼に、わたしは自然と笑顔を向けていた。

「また、作ってくださいね」
「あんだけ見てたんだから、手順は覚えただろう」
「人に作ってもらうのがいいんですよ」
「……気が向いたらな」

満更でもなさそうに呟いて、スモーカーさんは皿の上で箸を繰る。 どうせ他にも何かしらレパートリーもあるのだろうし、ぜひとも全制覇させてもらいたいところだ。こみ上げた笑いをそのまま吐き出して、わたしは再三告げたお礼の言葉をまたも口にするのだった。




さくらフラペチーノ様から、『スモーカーさんが料理するのを夢主ちゃんが見ているところ』のリクエストでした! こういうちょっとちぐはぐで穏やかなシチュエーション好きです。ご期待に添えたかは分かりませんが、企画へのご協力ありがとうございました。


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