バレンタイン・デイ


 evening

「見てくださいスモーカーさん。ほらこれ、マリンフォード東町二丁目のおばあさまから『道案内のお礼』だそうですよ。これも、これも……」

 選り分けられた菓子の包みが、ダイニングテーブルの上に並べられていく。色とりどりの包装が並んだ食卓はまるで店屋の菓子売り場のようだ。売り子の如く振る舞うのは、朝と変わらず浮かれた様子の我が同居人、ことナマエである。

「あっ、この小さなお菓子、『おかあさんのところにつれてってくれてありがとう』って書いてあります。微笑ましいですね、迷子の案内でもしたんですか」
「……」

無言を返すもナマエは構わず物色を続ける。普段より幾分か控えめな夕食後、彼女が広げ始めたのは今日おれに届いたチョコレート菓子の類だった。ナマエが食べるだろうと持ち帰り、出迎えた彼女に手渡した物なのだが……どうやら送り手が何者かくらいは確認せよとのお達しらしい。感想を聞かれるわけでもなし、受け取る義理は果たしているのだからそこまで付き合う必要は無いだろう、とは思うものの――。

「ふーん、本命っぽいのもちらほらありますし……スモーカーさんってモテるんですねえ。やっぱ顔でしょうか、それとも雰囲気がなんとなくイケてるから? あと優しいですしねスモーカーさんは」

ご覧の通り、ナマエがやたらご機嫌なので、とりあえず構わないかと黙って付き合っている。……一体何がそんなに楽しいのやら。彼女の雑な講釈を聞き流していると、やがて気が済んだのか、ナマエは何処からともなく小振りなホールケーキを取り出した。

「はい、というわけでチョコレートパーティーですよスモーカーさん!」

 今朝、自分には直接関わりがない――などと楽観視していたのは判断ミスだったらしい。今日一日、まんまと思考をバレンタインに支配されたことを思うと苦々しい気分にもなる。とはいえ彼女も無理強いをする性格ではない。胸焼けしそうなほどの菓子の量にはやや気が滅入るが、おそらく大凡はナマエの胃に収まってくれるのだろう。
 取り皿とフォーク、ケーキを切り分けるためのナイフをすぐそこのキッチン台――予め積んでおいたらしい――から手を伸ばして取り、ナマエは相変わらずの調子でテーブルに乗せていく。

「今日のデザートはどどんとチョコレートケーキを作りました。スモーカーさんも要ります? あ、貰い物の方を先に頂くなら明日に取っときますが」
「……いや、山になってる菓子は後回しでいい。お前のは日持ちしねェだろう、先に食う」
「んふふ了解です、自信作ですよ。あ、でもこれ自分用なんで。お裾分けはしますがスモーカーさんのではないですんで、その辺りよろしくお願いします」
「なんでそこまで必死なんだお前は……」

ナマエはやはり説明を返すことはせず、そのくせお裾分けと言いつつまるっきり半分を切り分けてこちらに寄越してくる。やはりおれに渡さないというのは体裁だけの話のようで、彼女自身に感情面での拘りがあるわけではないらしい。

「スモーカーさん甘いもの苦手ってわけではないと思いますが、糖分過多になるとあれですしちょっとビターな風味にしてみました。爽やかさを意識してオレンジマーマレードも使ってあります」

……やはりおれに食わせるつもりで作っている。隠す気があるのかないのか、ナマエは「舌に合うといいんですが」などと悠長なことを言って指先に付いたチョコレートを舐めた。
 そうして賑やかな机の上をあらかた片付け、ナマエがいただきますと食べ始めたのに倣い、おれも彼女手製のケーキを口にした。もともと心配はしていなかったが、やはりこいつはそれなりに料理が上手い。技術面が卓越しているという訳ではないが、気が利いている……というのか。彼女の言の通り、しつこ過ぎない菓子の味は素直に舌に馴染んだ。

「美味しいですか、スモーカーさん」

同意すると、ナマエは嬉しそうに笑う。毎晩のやり取りだ。しかし彼女は飽きもせずにいつも、おれの反応を確認するかのようにそう尋ねてくる。絆されそうになる自身に辟易して、しかしそういえばますますナマエを喜ばせるネタを用意してしまったのだと、改めてそんなことを思い出した。
 少し待てと席を立ち、入り口すぐの棚に置いておいた荷物を持って引き返す。ナマエは自分には無関係だとでも思っているのか、黙々とケーキを食いつつおもむろにおれを見上げた。……その仕草はやはり小動物の如きそれだ。

「ほら」
「え」
「寄越せっつったのはお前だろう」

 手の平大の小さな紙包みを差し出すと、ナマエは驚いたように目を瞬かせる。直ぐに合点がいったのだろう、彼女はみるみる喜色満面になり、フォークを置いて受け取りつつその声を弾ませた。

「うわ、ほんとに用意してくれたんですか! 正直くれると思ってなかったです、急な話でしたし。ありがとうございます、え、開けてもいいですか?」

おれが相槌を返すや否や、ナマエは早速包みの紐に手をかけた。律儀にも包装紙を破くのすら嫌なようで、いそいそと丁寧に接着を剥がしていく。椅子を引いて腰を落ち着けつつ様子を眺めていると、やがて彼女の手によって品のいい木箱が取り出された。中身の予想が付かないためかナマエは慎重に蓋を開き――そして中身に目を通すなり、おやと小さく眉をひそめた。

「……葉巻?」

箱の中にはコロナ・サイズの葉巻が五本。金字で綴られたシガーリングは如何にも上等なそれで、デザイン性の高さや見目の華やかさだけでも十分賞翫に値する――との高評価を得ている型だ。おれの好みからは外れるが香りも良く、偶に吸うには悪くないフレーバラスな味わいを醸している。
 が、勿論これは良く出来た模倣品だ。違和感を覚えたのだろう、ナマエは箱を手の上で回転させつつしげしげと観察したのち、ぱっと顔を上げておれを見た。

「じゃ、ないですね。いい匂いします、チョコレートですかこれ」
「あァ」
「うわー、センス良いですねえ! こんなのどこに売ってるんですか? てかこれスモーカーさんがたまに吸ってるお高そうな葉巻と同じ銘柄じゃないですか」

分かりやすく目を輝かせ、ナマエは嬉しそうに身を乗り出した。日頃あれだけおれの喫煙に苦言を呈しておいて素直に喜ぶのがこいつの可愛いところである。

「良い葉巻を仕入れてる店があってな。この期間だけ姉妹店のパティシエと共同してそいつを出してるそうだ。葉巻と合うってんで評判はいいらしいが」
「へええ、ほんとにめちゃめちゃ洒落てるじゃないですか。それならスモーカーさんも一緒に食べましょうよ。今くらいは食事中の喫煙許して差し上げるので、そのいい葉巻取ってきてください」
「もう持ってる」
「お、準備がいいですね」

取り出した葉巻の吸い口を切り落とし、マッチで炙って火を付ける。火口が烟り出すのを待って口に運ぶと、悪戯っぽい顔をしたナマエにもう一本、チョコレート仕立ての葉巻を手渡された。いつも通り二本吸えとの意図だろうか。おれの反応を待たず、彼女は「それじゃいただきます」と断ってチョコレート菓子に齧り付いた。

「うわ、超美味しいです。うっすいチョコをミルフィーユ状にしてる感じですかね、めっちゃ舌触りが軽いです。あとちょっとお酒も入ってます」

彼女の解説を耳にしながら同じく菓子を口にする。売り手に謳われている通り、煙に混ざるようなチョコレートの芳香は心地よく鼻孔を満たした。期待するような目でおれを見て、ナマエは感想を問う。

「どうですか、葉巻のお味は」
「悪くねェ」
「ふふ、わたしのも悪かないです」

にこにこと笑いながら美味そうに葉巻擬きを咥えるナマエ。その姿はやはり不格好というか全く様になっておらず、どうにも間抜けだ。微笑ましいような面白可笑しいような気分で、彼女が手にしているそれと同じ形をした葉巻を指の合間で燻らせた。

「火は要るか?」
「まじで要らないです。シガレットより格段に勿体無いので絶対にやめてくださいよ……あ」

言うなり、ナマエははっとして声を下げる。

「てかこれ、幾らしました? どう考えても値が張りますよね、限定品ですし」
「無粋なことを聞くもんじゃねェよ」
「あはは、すいません。あんまり高かったらちょっとプレッシャーなので……もちろん相応のものを用意できるように頑張りますが」
「……なんの話だ」
「あ、いえ、なんでもないです。そうだ、チョコレートばかりで全体的に濃いめなんで紅茶でもいかがです? アールグレイにしましょうか」

口を滑らせたのを白々しく取り繕って、ナマエはおれの追求を遮ろうとするかのように腰を上げた。テーブルを回ってキッチンの方へ向かい、早速湯を沸かしつつ茶葉の用意をし始める。
 忙しなく行き来するふわふわした少女の頭を眺めつつ、誤魔化すにしてももっとやり方があるのではないかと呆れて葉巻の煙を吹かせた。今回の件も、果たして素直に説明してくれるのかどうか。あっという間に溶けた葉巻の片方を飲み込んで、一先ず食べかけていたナマエのケーキに手を付けることにした。



「……それで?」
「え?」

 ふわりと香る紅茶の匂い。位置的にやりやすいのかおれの横に立ったまま、二つ並べたティーカップへ交互に注ぎ口を向けつつ、ナマエは何の話かと首を傾げた。その疑問符で煙に巻こうとしているのか、本気で分かっていないのかは定かではない。

「今日のお前の行動はどうにも理屈に合わねェ。結局おれに物を用意させた理由は何だったんだ」
「ああと、それは……秘密です」
「……。おれにだけ渡せねェってのは?」
「それも秘密です。朝言ったでしょう、スモーカーさんの察しが悪いだけで、考えれば分かることですよ」
「言わねェつもりか」
「出来れば分からないままでいて貰いたいですもん」

どこ吹く風でポットから紅茶をついでいくナマエ。

「心配ご無用ですよ、近いうちにちゃんと説明しますから。期待はしないで欲しいですが、今日のところは勝手にもやもやしてるがよろしいです」

と、そこで何か妙案を考えついたのか、彼女はポットを置いてひょいとこちらを覗き込んだ。小さな顔ににまりとこれ見よがしな笑みが浮かぶ。

「ははーん、さてはスモーカーさん。そんなにわたしのチョコレートが欲しかったんですか?」

的外れなことを言い出したその表情は、はっきり言ってなかなかお目にかかれないナマエとびきりの笑顔だ。短くなってきた一本の葉巻を指に挟んで抜き取り、小悪魔の微笑みを見つめ返す。おれが返事を返さないのを良いことに、彼女は意気揚々としてますます調子付いた。

「そんなことを気にするなんて、スモーカーさんも案外小さいんですね。いいじゃないですかそれくらい、ケーキも……あれは当然わたしのやつですが、一応分けてあげましたし?」
「……」

おれを挑発するナマエのしたり顔ときたら、いつにも増して子供染みたそれだ。優位に立った気になって得意げにしているのがより一層幼くもいじらしい。恥ずかしいことをしている自覚がないのか。このまま言わせておいても愉快ではある、が……。

「残念ですが今日に限っては、スモーカーさんのためのものは何もご用意してませんので――おわ!?」

少し、灸を据えてやるのも一興かと思い、不意をついてナマエの手を掴んで引き込んだ。
 咄嗟に反応できず、前のめりになった彼女の顔が間近に迫る。どうしてやるのがいいか、と特に考えもせずに手を引いたが、その様を見てふと食指が動いた。間髪入れずに首を傾け、ナマエの横顔に口を寄せる。

「――え」

 互いの肌の熱を感じるほどの至近距離。呆けた瞬きの音すら明瞭に聞こえた。

 彼女の頬に唇で触れるなり、想像以上にその肌が柔らかく出来ていることに驚いた。甘ったるく、ほんの少し薫ったカカオの芳香に、まるで口にしたこれが本当に菓子か何かであるような錯覚を覚えて生唾を飲む。歯を立てて齧り付けばどのような味がするのだろう、と脳裏で冗談のようなことを考えた。

「……ふ」

触っただけの唇を離し、瞠目するナマエの瞳を見返して、笑う。たかがこの程度のことで、ありありと現れた動揺の分かりやすさときたら。――全く、馬鹿な奴だ。駆け引きなんぞまるで向いてないというのに。

「……こいつで十分だ」
「な、――」
「有り難く貰っておく」

囁くように嘯いて、甘い香りが遠ざかるのを何処か名残惜しく思いながら、彼女の顔から離れて椅子に掛け直す。おれの反撃が相当効いたのか、ナマエは硬直したまま動けないらしい。素知らぬふりで手にしていた葉巻を咥え直していると、数秒遅れてナマエが真っ赤に逆上せた顔のまましどろもどろに声を震わせた。

「だ、誰もあげるなんて言ってませ」
「あァ、おれが勝手に盗んだだけだ。気にすんな」
「ぬ、盗――ッて、なに言って……」
「ほォ、減るもんじゃねェってか」
「ち、違います、セクハラです、最低です! こんな……わたしのほっぺたになんて事してくれるんですか。しかも葉巻吸ったばっかの口で!」

動揺と羞恥にわななく唇、やはりこいつの切羽詰まった表情は悪くない。面白がられていることが不本意だったのか、ナマエはしばらく何かもだもだと文句を垂れていたものの、やがて無駄だと悟ったのか、熟れた頬を覆って呻きながら口を閉じた。完全に踊らされてくれた彼女に、分かり易く細めた目を向ける。

「いずれ説明するつったな。ならいい、今日のところは引いておく。せいぜい期待しておくさ」

 おれは気の長い方ではないが、偶には乗せられてみるのも悪くはない。いずれ、と言うのがどのような意味を持つのかは判然としないが、ナマエに拠れば遠からずとの事だし、無理に聞き出す利点はそう多くはないだろう。こいつがどこまで意地を張っていられるかも見ものだ。
 完全に面白がる姿勢を示したおれに対し、ナマエはじとりと恨みがましい視線をこちらに投げる。が、当然紅みが差したままの頬では何の凄みも無い。彼女は形のいい眉を下げ、ふう、と諦めたようなため息をついた。

「……期待しないでって言ってんじゃないですか」

根性だけはあるナマエは、やっとの事で絞り出すような捨て台詞を吐いたのだった。


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