special


 Kuzan

「おはようございます!」

 パシンと思いっきり襖を開き、元気よく挨拶。しかし返事がない。当のクザンさんはいつものように執務机に長い足を乗っけただらしない姿勢で、椅子の背もたれにぐだっと凭れかかり、アイマスクを目元まで引きずり下ろし、なんと、お休み中のようである。
 現在まだ午前十時、流石に来るのが早すぎたのだろうか。普段わたしは昼過ぎに訪れるので、クザンさんもちゃんと起きててくれるんだけど……いや、普通に考えて、この時間は起きててくれなきゃ困る。甘やかしてはいけないぞ、わたし。

「朝ですよクザンさん。ほらほら起きてください、今日も今日とて元気いっぱい、ナマエちゃんのモーニングコールですよ!」

執務机を迂回してクザンさんの椅子の横に立ち、机の上へ手作りケーキをそれなりに丁寧に包んだ赤い箱を乗せてやる。しかし本日もだらけきったこの残念なおっさんは、うんうんと言葉にならない呻き声を上げつつも目を覚ましてくださらない。だが見たところあと一押しだ。

「クザンさーん」

椅子の肘置きによいしょとよじ登り、彼の肩に手をひっかけ、アイマスクをべっと取り払う。クザンさんは眩しげに顔をしかめたあと、薄眼を開き、ものすごく近くにいたわたしを見て少し驚いたような顔をしてみせた。

「あららら……ナマエちゃん、寝込みを襲うたァ、ずいぶん積極的じゃないの」
「ふざけてないでほら、起きてください」
「あーあ、冷てェなァ……」
「ヒエヒエなクザンさんよかずっとホットですよ、わたしは」

眠そうに欠伸する彼を尻目に、そのまま肘置きから滑り降りる。クザンさんは椅子からずり落ちかけていた上体をのそりと正してこちらを見下ろすと、寝ぼけ眼のまま意外そうに片眉を上げた。

「にしても、今日は随分早いな。……それに妙に浮かれてんじゃねェか、お前さん」
「かもしれません。なんでだかわかります?」
「んん……そうだな。おれの見立てでは……」

と、前屈みになってわたしと目線の高さを合わせ、これ見よがしにじっくりと観察してくるクザンさん。至近距離にある柄にもない生真面目な顔つきと、わたしがずらしたせいで微妙に傾いたままのアイマスクがどことなく間抜けである。

「ナマエちゃんの今日の服装は赤いシャツに白セーター、緑の靴下。……でもって、机の上にはいい匂いのするプレゼント・ボックス。極め付けはお前さんがこの部屋に来る前に、廊下から聞こえてきた『赤鼻のトナカイ』の鼻歌――」
「ちょっと、なにちゃっかり聞いてんですか。よもやさっきまでのは狸寝入りだったとか言いませんよね」
「あー、なんだ……夢の中にまで聞こえちまってたみてェだな。まァそれはさておき……」

失言を雑な言い訳で誤魔化して、彼はそのままドヤ顔で口角を上げた。

「つまり、クリスマスだから浮かれてんでしょ」
「……ま、ご明察ですね。メリークリスマスです、クザンさん」

 クザンさんの誤魔化しに素直に乗せられとくことにして、わたしはふっと頬を緩めた。まあ折角の日だし、余計な小言は無粋だろう。無事正解した褒美にアイマスクを整えて差し上げると、彼はいくらか嬉しそうに「どうも」と礼を告げてくれた。

「それでこれ、わたしからクザンさんへのプレゼントです。いつもお世話になってるお礼も兼ねて」
「お……そりゃ嬉しいな。菓子でも焼いたのか?」
「はい、焼きたてのケーキですよ。舌に合うか分かんないんですけど、日持ちしないと思うんで早めに食べてください」
「あァ、わかった。ありがとな」

クザンさんは鷹揚に頷きつつ、机の上の箱を手に取ってくるくると眺めている。保冷剤は添えてあるとはいえ人肌で温まってしまうんではないかと一瞬思ったものの、そういや氷人間クザンさん相手には杞憂だったと思い直した。

「こりゃまた、包装まで器用にしたもんだな。しかしこいつは生花か?」

 クザンさんが指し示しているのは箱に飾られた花飾り。そう、クリスマスプレゼントにしてはなんとなく味気なかったので、せっかくだからとカランコエを一房だけ括り付けておいたのだ。花弁四つの小さな花がいくつもついたカランコエは、箱の赤色によく映える抜けるような純白である。

「はい、お花屋さんで冬にも出回ってる花を見繕ってきたんです。わたしのフィーリングで皆さんに似合いそうな花を選んでみました。ちなみにクザンさんには白のカランコエです」
「おれに似合うか?これ」
「クザンさんぽいです。なんかこの多肉植物っぽい恰幅とか、図太い感じとか、厚かましい感じとか」
「……あんま褒めてねェでしょ、お前さん」
「そんなこともないですよ。店員さんに花言葉とか聞いたんですけどなかなか素敵な意味でしたし、それに結構しっくりきたので選んでますし」
「へェ、ちなみにこりゃなんて意味なのよ」

興味ありげに箱からこちらに視線を移すクザンさん。とはいえなんというか、自分で話題に出したものの花言葉の解説というのは地味に気恥ずかしいものなのだ。頭に浮かんだ綺麗な花言葉を口に出すかほんの少し悩んだものの、わたしは結局喉の奥へ引っ込めることにした。

「んー、まあわたしが教えるのもなんなので、気になったらご自分で調べてください」

まあこのだらけきったおっさんのことだし、確実に調べるのは横着するんだろうけど。と分かりきった上で意地の悪いことを言えば、クザンさんは「お預けたァ酷いじゃねェの」と朗らかに笑ってくれたのだった。


「それじゃ、わたしこのあと色々予定あるんで一旦出ますね。また仕事のお手伝いに戻ってくるつもりですけど、多少遅れちゃったらすいません」

 クリスマスだから、というのを抜きにしても、なぜか今日は色んな人に呼び出しを食らっているわたしである。午前中に用事が済めばいいのだが、と考えつつ帰り支度のために踵を返そうとすると、肩に置かれたクザンさんの手に引き止められてしまった。

「あー……ちょっと待った、少し聞きてェんだが」
「? はい、なんですか」
「ここんとこずっと思ってたが……お前さんその格好、今の季節には寒いんじゃねェの」

 ……。いきなりなんの話だ。そりゃ確かに、この頃は気温も低いし、重ね着してるとはいえシャツとセーター姿のわたしはいくらか寒そうに見えるのかもしれないけど、今指摘されてもどうもできないので困る。

「なんの前振りなんですか、その話題」
「まァまァ……とりあえずどうなのよ。上着もねェとやっぱ寒いでしょ」
「うーん、そうですね。コートとか防寒具とか買わなきゃとは思ってるんですが、案の定なかなかいいサイズのがなくて」
「そうかそうか。そいつァよかった」
「別になにもよかないですよ」
「いや、いいさ。……おれにゃ寒さは判らんが、これからますます冷えるらしいしな。んん、確か一番下の引き出しに……」

わたしの肩から手を離し、身を屈めてごそごそと机下の引き出しを漁り出すクザンさん。というかわたし、こないだ引き出し整理しといたはずなのだが、知らん間にまた散らかしなすったらしい。全く酷い雇い主である。
 とかなんとか考えているといきなり、引き出しから引っ張り出されたブツをクザンさんにどさりと投げ渡された。取り落とさないように手に取って見やると、そこにあるのはわたしの腕ひと抱え分ほどの大きさのあるラッピング袋である。

「おわ、なんですかこれ」
「おれからのクリスマスプレゼントだ」
「プレゼント……って」
「あァ、出来るだけナマエちゃんが気に入りそうなのを選んだが、好みじゃなかったらわりィな」
「え――、え、まじですか、わざわざ用意してくださったんですかこれ……うわあ、 ありがとうございます、こんな……」

 やった、本気で嬉しい。それに意外だ、まさかクザンさんが予めプレゼントを用意してくれてたとは。クザンさんのずぼらな性格的にもそうだが、正直今日はわたしが勝手にケーキを渡すだけの日のつもりだったので、貰える側になるとは思ってなかったのだ。思わぬサプライズに柄にもなく感動してしまう。
 というか中身はなんなんだろう。クザンさんの前振りからして防寒具なのは間違いないと思うけど。きつく結わえられた開け口からは中身が見えていないが、ずしりとした重みと厚手の布らしき柔らかさからして、コート……とかだろうか。

「フフ……そう喜んでもらえると用意した甲斐もあるってもんだ」
「中身が何でもだいぶ嬉しいですよほんと……あこれ、開けてみていいですか?」
「あァ、勿論」

クザンさんが機嫌よく頷いたので、一旦袋を執務机の上に置き、わくわくしながらリボンを解いていく。プレゼントを早く手にしたくて逸るこの感覚は、幾つになっても変わらないものだ。そうしてしばらくごそごそしたあと袋の中身から現れたのは、ほぼ白に近いグレーの可愛らしいコートだった。クザンさんらしからぬセレクトというか、緩やかなシルエットと広めの袖口が実にわたし好みである。

「わ、クザンさんが選んだと聞いて一抹の不安がありましたけど、普通に可愛くてびっくりしました」
「歯に衣着せねェじゃない、ナマエちゃん」
「前科があるから仕方ないです。ほんと、この調子で制服の方も頼みますよ」
「いやァ……今回はナマエちゃんが喜んでくれるように選んだが、あっちはおれの趣味だからなあ」

サラッと趣味に走ってることを認めたぞこのセクハラおっさん。だいたいあの制服の趣向って、もともとそういうんじゃなかったはずなのだが。眉を寄せて疑ぐりの眼差しを送ってみるも、明後日の方向を向きつつ素知らぬ顔をされた。はあ、これは次も期待できない。

「……ま折角だ、それも着てみせてくれや。サイズは合わせたが、多少大きめかもしれねェしな」

 クザンさんは悪びれもせず笑顔を浮かべ、机に置いてあったコートを両手に取って広げると、やんわりとわたしの方に押し出してくる。とはいえわたしも試着してみたいのは山々だ。肌触りも形状も好みだし、なにより防寒性が高そうなのがいい。
 そうします、と素直に受け取って、さっと袖を通してみる。大きめのボタンを掛け合わせて、服の裾を整え――うん、いい感じだ。

「あったかいですね。サイズもちょうどいいです」
「そりゃいい、こっち向いてよく見せてくれ」
「あはは、なんか孫に服買い与えたおじいちゃんみたいなセリフですねえ」

と笑いつつ、リクエストに応えてクザンさんの方に向き直った。彼は自身の膝に肘をついてわたしを覗き込むような姿勢になると、先ほど観察してきたときとはどこか違う、柔らかい視線でじっとこちらを見つめてくる。
 暫し、黙り込んだまま見つめ合った。というか今更ながら、改めて見るとクザンさんってこう、昔の俳優みたいな整った顔立ちをしてるんだよなあ。つまるところいい感じに男前なのだ。相当モテるんだろうなあ、外見を除いてもなんてったって優しいし。すぐセクハラしてくるのは問題だと思うけど、人によってはそれもアリなのかもしれない――というかこのにらめっこはいつまで続くんだ。妙なことを考えてしまったせいか、この人に黙って見つめられるって状況が……なんか、落ち着かなくなってきた。

「……なんですか?」

痺れを切らして問いかける。視線を逸らしたせいでわたしの気まずさを察せられてしまったらしく、クザンさんはからかうように目を眇めた。

「いや……やっぱりナマエちゃんは可愛いなと思ったのよ。おれがあと20歳若けりゃ真剣にアタックしたんだが」
「お上手ですね、クザンさん」

本気にしてねェな、と返されたが、逆に本気にすると思ったのだろうか。しかし彼も罪な男だ、この軟派な口車でいろんな女の子を落としてきたに違いない。

「口説くってんなら今晩ディナーに誘いてェとこだが……さすがに先約があるか」
「あはは、すみません。先約なんて大層なものじゃないですけど、今日は慎ましくお手製料理を作る予定なんです。折角ケーキも作りましたし」
「意外だな、……スモーカーからは何も?」
「スモーカーさんですか?」

 いきなり話題に上がったスモーカーさんの名前に首を傾げる。逆になんでスモーカーさんと何かあると思ったんだろう。そりゃ一緒に住んではいるが、わたしたちってクリスマスを一緒に過ごすような仲睦まじい関係ではないぞ、断じて。

「まあなんか外食は軽く提案されましたけど……さすがにクリスマスにお義理で外食ってのは辛いじゃないですか。周りカップルだらけで気まずいのも嫌ですし。お互い過ごす相手がいないから、必然的に家で一緒に食卓を囲むことにはなりましたけどね」

一応わたしも、あわよくば恋人が欲しいという欲はないでもないが――はっきり言ってこの世界でわたしを好きになるような男にろくな奴はいないと思う。つまりロリコンとは付き合いたくないということだ。この二律背反、ああ、悲しい気持ちになってきた。しかしとにかく、勝手にスモーカーさんとの関係を邪推されても困るのである。
 わたしが渋い顔をしているのを見て、クザンさんは憐れむような遠い目をしてため息をついた。

「はァ、なんだ……あいつも可哀想なやつだよな」
「そうですね、三十路過ぎにもなって恋人の一人もいないとなると」
「いや、そうじゃなくてだな……まァそれでも、お前さんと過ごせるだけおれより幸せもんか、あいつは」

ふう、と自嘲気味に息を吐くクザンさん。しかしこの人の場合、別に女性に困ってるわけではなかろうに。

「そうはおっしゃいますけど、クザンさんだってデートの約束とかあるでしょう。いい仲の女性とかいらっしゃりそうですし、さすがにぼっちなんてことはないと思うんで」
「あ、あァ、まァ……」
「今日は、恋人もいないし特に予定もない、哀れなスモーカーさんに付き合ってあげますよ」

 それにわたしだって、一人のクリスマスは寂しいのだ。せっかくのクリスマスだ、スモーカーさんにもいつもよりは豪勢な食事を振る舞うとしよう。

「それじゃ、そろそろ」
「お……着たまま行くのか?」
「ええ、やっぱ寒いですしね、外」

 と手を振りつつ話を切り上げて、今度こそ立ち去ろうと踵を返す。次はクザンさんも引き止めたりはせず、黙ってわたしを見送ってくれた。部屋を出る前にもう一度コートについてお礼と挨拶を告げると、クザンさんはにこやかに返事を返してくれる。……なんか引きつったような笑顔に見えるのは気にしないでおこう。そうして襖を開けて敷居をまたいだわたしの背に、

「ハァ……そうだよなァ……クリスマスに一人ってのは……ねェわなァ…………」

と理由はよくわからないが妙に沈んだクザンさんのため息が聞こえてきたような気はしたものの、わたしは次の約束を済ませるべく彼の執務室を後にしたのだった。


白のカランコエ――『おおらかな心』



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