No Smoking


▼ 14-1/4

「……だるい」

 ある朝、ベッドの中で目が覚めたわたし。その第一声がこれであった。

 昨日だ。昨日の夜、きてしまったのだ。こちらの世界に来てから初めてのことだったので、気持ちの上では安心した。おそらく遅れていたのは慣れない環境でのストレスによるものだったのだろうが、もしかすると異世界トリップの影響で――とかだったらどうしようかと思っていたのだ。よかった。
 しかしわたしは安心すると同時に辟易した。ただでさえ重いほうだというのに、これだけ遅れていたとなっては反動でめちゃくちゃだるいに決まってる。そして翌朝案の定、だ。下半身が熱を持っているうえ骨盤が軋むので歩行困難なレベルであるし、頭も痛いし、吐き気もあるし、貧血でくらくらする。死ぬ。


 なんとかベッドから這い出して、ずるずると重い体を引きずり、リビングに向かう。朝日の差し込む明るい部屋で、いつもどおり新聞紙を広げていたスモーカーさんは、振り返ってわたしを見るなりぎょっとしたように目を見開いた。

「大丈夫か、ナマエ。酷ェ顔色だが」
「……大丈夫じゃ……ないです…………」
「着替えてもねェのか。……体調不良か?」

スモーカーさんは新聞をテーブルに置いて立ち上がり、満身創痍のわたしをソファに連れってってくれた。この人って普段はわりと傍若無人のくせして、こう言うときやたらめったら優しくて落ち着かない。わたしは促されるままにソファに身を沈め、ふうと小さく息をついた。

 ……しかし男の人にはなんとなく言いにくいよなあ、こういうことって。

「えっと、一応、体調不良……ではあるんですが」
「あァ」
「……その」

 わたしはソファの上で膝を抱え、隣に腰を下ろしたスモーカーさんを見上げつつ、なんとか説明を試みようとする。が、うーん、どう言ったものか。頭が痛くて思考もいまいち捗らない。

 まあほら、スモーカーさんって部下にもたしぎ姉さんという女性がいるし、海軍なんかではそういうの重要って聞くし、こんな話も慣れたもんだろうとは思う。この人意外とデリカシーあるし。要はわたしの気持ちの問題なのだ。
 それにスモーカーさんは歯切れ悪いわたしに苛立つこともなく、黙って話を聞いてくれている。顔は怖いけど、相も変わらずいい人だ。やはりスモーカーさんを信頼して、ここはきちんと言うべきだろう。わたしは意を決して口を開いた。

「同居している上で、いつか言わないといけない話だと思うので、言うのですが」
「……あァ」
「わたし、その……もともと生理が重くて」


 部屋がしんと静まり返った。窓の外でチュンチュン小鳥が鳴いている。そしてスモーカーさんは黙っている。顔をうつ伏せつつ、わたしはもごもごと言葉を続けていく。

「普段周期は安定してるんですけど、こっち来てからずっと遅れてたので、今回はかなり酷くなりそうなんです。その時々にもよるんですが、今後もこういうことがあるかもしれないです」

スモーカーさんは黙っている。

「なのでご迷惑をおかけしますが、今日は家事お休みさせてください。クザンさんには自分で連絡するので大丈夫です。まあそういうもんだから仕方ないので、そこまで気を遣わないでもらえると……」

スモーカーさんはずっと黙っている。……なんだろう、静かすぎないか。不安に思いつつ、彼の顔色を伺うようにそろそろと顔を上げ――わたしは拍子抜けした。

 なんとそこには、無表情で硬直するスモーカーさんの姿が。咥えた葉巻を支えようとしたらしい彼の右手は、行き場を失ったようにピタリと静止して動かない。そのせいで灰皿に持って行き損ねた葉巻から、燃え尽きた灰がふわりと舞い落ちた。うわ、二重の意味で信じられない、スモーカーさんは普段絶対灰なんて落とさないのに……とりあえず掃除は自分でしてもらおう。

 てか待ってこれ、スモーカーさんめちゃくちゃ動揺してないか。えっ普通に意外だ。スモーカーさんはこういうことでは動じないと思い込んでいたんだけど……あまりにも珍しい姿になんだかわたしの方が冷静になってきたぞ。

「……あの、スモーカーさん?」
「あ、あァ……いや、話は分かった……んだが」

 ハッとしたように改めて葉巻を指で支え、スモーカーさんは不自然に視線を泳がせる。眉を寄せて思案する彼の言葉の続きを黙って待つわたし。葉巻の立ち上る煙をぼんやり眺めるが、今日は異常にしんどいので対抗心も湧いてこない。これは相当やばい。

 ん……? しかしこれ、スモーカーさん、動揺しているというか……困惑してると言うのが近いのだろうか。彼の語調に浮かぶのは、どちらかというと戸惑ったような疑問符だ。しかしわたしの話にそんな不思議要素はなかったように思うんだけど……。


「……お前、初経は普通、何歳くらいか分かるか?」

 ようやく口を開いたと思ったら何言ってんだこの人。いきなり訳のわからないこと言い出したぞ。心配になってきた、色々と大丈夫だろうか。

「さあ。12歳くらいじゃないですか?」
「……。安定してくるのは……」
「20歳近くになってからって聞きますけど。それがどうしたんです?」
「いや……。……」

眉間を抑えて黙り込むスモーカーさん。今の問答はなんなんだ。一体なんの意味があったんだ。とりあえずやたら年齢を気にしているのは分かるけど。
 年齢、年齢ねえ……。うーん、年齢といえば、スモーカーさんに具体的に言う機会は今までなんだかんだ無かったんだよな。まあ本気で勘違いされてるってこたないと思うけど、スモーカーさん以外にもとにかくわたしはいつも子供扱いをされ……て……、

 ……ん?



「――あの、まさかとは思うんですが」


 ほんとに、まさかの、まさかだが。


「スモーカーさん……、わたしを初潮もまだきてない年齢だと思ってた、とか言いませんよね」
「……」

 黙。

 尋ねても、反応を示さないまま沈黙するスモーカーさん。流石にないよね、みたいなノリで口にしたのに、相手から否定の言葉は返ってこない。ああ、頼むから嘘だと言ってくれ。必死に訴えかけるような視線を送ると、

「………………」

すっ、と目を逸らされた。わたし知ってる、否定しないってのは、つまり、イコール、肯定の意。

「……」
「…………」
「……………………」

 大声で問い詰める気力もなくて、わたしはがくりとソファの背もたれに身を沈めた。困惑しまくっているスモーカーさんと、唖然とする顔面蒼白のわたし。とても居た堪れない光景、朝から静まり返ったこのリビングはまるで地獄絵図だ。

 いや、前々からおかしいとは思ってたんだよ。けどスモーカーさんは確か33歳、わたしとは殆どひとまわりの年の差だ。それならまあ子供扱いされるのも仕方ないのかなって思うじゃないか。いくらなんでもそこまで幼く見られてたとは思わなかった。確かに日本人が海外に行くと若く見られて子供用切符を買わされたり、お酒を売ってもらえなかったり……とかは聞くけども。てかわたしはスモーカーさんの年齢覚えてんのに、なんでこの人は知らないんだ。

 わたしは脱力したままなんとか重たい口を開く。とにかく、この訳のわからない勘違いをなんとかしなくてはなるまい。

「……一体何歳だと思ってたんですか」
「それこそ12歳前後だと……」
「なんでなんですか?」

 ばっと振り仰げば、気まずそうにスモーカーさんは明後日の方向を見やる。いや、12歳ってそれもう小学生じゃないか、アホなのか。普通に考えてわたしのような小学生がいるわけないだろうに。さすがにその歳の時はここまで消臭に燃えてなかったです。

「確かに立ち振る舞いからもう少し上かとは思ってたんだが、外見はそんなもんだろう」
「ばかにしてるんですか? てかそもそも、タグに生年月日書いてあるじゃないですか」
「……今は海円歴1521年だ。どこの使ってるのか知らねェが、そもそも暦が違う」
「なっ、どうしてそうならそうと言ってくれないんですか、聞かなきゃいけないとこでしょう」
「いざとなりゃ調べられるだろうし、わざわざ過去の話を掘り返す必要はねェだろうと……」

び、微妙に気を使われてしまっている。というかわたしの過去話ってそんなに腫れ物みたいな扱いをされてるのか。確かにときどき謎のスイッチが入って発作を起こしたりはするけど……うん、それは気を使うな。何がきっかけになるか分からないもんな。確かに。
 ていうかセンゴクさんに書かされた個人情報では適当に西暦使っちゃってたけど、そういえばここじゃ通じないんだった、ということに今更気付く。完全に失念してた。この点は自分の落ち度なので反省しておこう。しかし問題はそこじゃない。

「あの、言っときますけどわたし、たしぎ姉さんとそんなに変わりませんからね」
「……お前、たしぎの年齢を知らねェのか?」
「知ってますよ20歳でしょう! あのですね、わたし来年には成人するんですよ」
「はァ……?」

 目を見開いてわたしの頭からつま先までをじろじろと睨め回すスモーカーさん。なんか今過去最大に不躾で失礼な視線を浴びてる気がする。そしてスモーカーさんは目を伏せて、心底憐れむような声色で葉巻の煙をくゆらせた。

「つまりナマエ、お前……一生ガキなのか」
「流石のわたしもキレますよ」
「……すまねェ」

わたしの剣幕に押されたようで、スモーカーさんは素直な謝罪をくれる。正直珍しい気がするけど、今はそんなこたどうでもいい。大体成長期はもう終わってるって何回も言ってるじゃないか。失礼な。

「心外です。そりゃスモーカーさんから見れば比較的子供かもしれませんけど、そんな年齢に見られるほど幼い発言や態度をしたことはないはずです」
「……確かにたしぎより自立して見えるこたァ多い。考え方や生活態度は実年齢相応、というかそれ以上に成熟してるとは思う……が、とにかくお前は反応が幼すぎるんだ」
「一体わたしがいつそんな」
「……菓子ではしゃいだり、煙を欲しがったり、悪夢に怯えたり、撫でられて眠ったり、少しからかわれただけで真っ赤になったり、心細いからと人の寝床に……」
「うわ! ちょっ、やめてくださいよ」

 真顔でわたしの痴態を羅列するスモーカーさん、許されない。出来得る限り徹底的に脳みそから抹消しておきたい記憶まで掘り起こしやがって、張り倒すぞ。慌てて言葉を遮ると、スモーカーさんは呆れたような視線をわたしに寄越してきた。

「そういう反応がガキなんだろうが」
「なっ――」

 ガキじゃなくて純粋だと言ってくれ。わたしは単にピュアでナイーブで乙女なだけだ。それにクザンさん曰くわたしはそんなに照れない方らしいし、やっぱりスモーカーさんがからかってばっかくるのが悪い。

 とにかく反論してやろうと背もたれに預けていた上体を持ち上げてスモーカーさんの方を向くが、血が足りないせいでくらりと目眩に襲われる。同時に鈍く痛む下腹部。思わず呻き声を上げて膝に頭を埋めると、彼は気遣わしげに大丈夫か、と尋ねてきた。

「ぜんぜん大丈夫じゃないです……」
「だろうな。……ひとまず、この件は置いておく」
「……そうしてください」

 ゆるゆると同時にため息をつくスモーカーさんとわたし。わたしの年齢騒動についてはお互いにしばらく頭の整理がつかなさそうだし、一旦打ち止めにしておいた方がよさそうだ。今はこれ以上揉めても仕方がない。ところで一つ、とてもいやな予感が残ってるのだが……今日は忘れておきたいところだ、うん。


「それで、症状は」
「腹痛と腰痛と頭痛と吐き気と貧血です……」
「重症だな……」

 ソファのクッションをわたしの腰と背もたれの間に差し込んでくれるスモーカーさん。手渡された二つめのクッションをお腹と足の間に挟みつつ、この人がどうにも慣れた様子なのを意外に思う。あれかな、やっぱ昔彼女が居たとかだろうか。ぶっちゃけスモーカーさんはヘビースモーカーなことを除けばこれという欠点もないので、今フリーなこと自体がわりと違和感あるのだ。もういい歳なのに……まあそれは、海軍上層部の人全般に言えることなんだけど。

「おれァ出るが、一人で大丈夫なのか」
「まあ一日ゆっくりするだけなので……平気です」
「分かった。食欲無けりゃ食わなくても構わねェが、水分補給だけはしておけよ」
「……はい、ありがとうございます」

 ギシリと揺れたソファと薄らいだ葉巻の匂いから、スモーカーさんが立ち上がったのがわかる。顔を上げて時計を見ると、針はすでに六時半を指していた。いつもなら朝ごはんを作り終えてるはずの時間だ。

「すいません、朝食……」
「ナマエ、おれァ確かに普段から助かっちゃいるが、別に家事全般はお前の義務ってわけじゃねェ。謝る必要はないだろう」
「そうは言いましても……」

わたしが昨日手入れしておいた手袋に指を通しつつ、スモーカーさんは呆れつつもどこか気遣わしげな表情でこちらを見下ろしてくる。

「いいか、休むならキッチリ休んどけ」
「でも、一日サボっただけでも匂いはこびりついてしまうので……」
「休め」
「消臭だけは譲れないです……」

ぐだぐだと力なく渋るわたしに対して、眉をひそめるスモーカーさん。ううん、いつもに増して顔が怖い。わたしの弱気な精神状態によるものだろうか。かといって折れるつもりはないんだけど。
 しかし彼はわりと早い段階で諦めたように息をついた。消臭が関わるとわたしに何を言っても無意味なことは、そろそろスモーカーさんも承知してくれているらしい。

「はァ……好きにしろ。だが無理はするなよ」
「……なんか、やたら過保護ですね?」
「お前のそのツラ見りゃ、誰だってそう言うと思うがな……」

身を屈めたスモーカーさんの、まだ手袋をつけていない方の左手が、酷く柔らかくわたしの頭を撫でたのに、わたしは妙にほっとしていた。わたしの実年齢を知っても子供扱いは変わらないらしいけど、変にぎこちなくならずに済みそうなのは何よりだ。


「……元帥の耳に入れておく。一応、騒ぎになる覚悟はしておけよ」
「ん……? なにがですか」
「年齢の件だ。てめェで勘違いしてた弁明をするわけじゃねェが……おそらく本部の奴らは全員、おれと同じ見解だと思うんでな」
「まさか」

 忘れておきたかったとてもいやな予感――スモーカーさん以外の人たちも、わたしを小学生だと思ってるかもしれないという――それが当たるなんてことは……流石にそれは、ない、よなあ……?

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