No Smoking


▼ 35-1/2

 ――驚かないで聞いてほしい。

 いや、これまでの異世界人生、ありとあらゆるハプニングを経験し尽くしてきたわたしである。気づくと海王類の頭の上に居たりだとか、葉巻二本咥えたやばい男に遭遇したりだとか、凍ったり燃えたり光ったりするおじさんたちに絡まれたりだとか、果ては恐怖の鳥男に拉致されるなど、衝撃的な出来事を挙げれば枚挙にいとまがない。もはやちょっとやそっとのことで驚かれるナマエちゃんではないのだ。そのはずだ。

 そう。

 例え今、ひらひらのヘッドドレスを頭に装着し、白と黒で構成されたロング丈のエプロンドレスを身に纏い、ゼイゼイはあはあ息を切らしているわたしが、仰向けにひっくり返ったまま唖然としているスモーカーさん――当然一般的にいう喫煙者の意味ではなく、間違いなく固有名詞のスモーカーさんである――に馬乗りに跨りながら、

「ご、……ご主人さま」

などと宣ったとしても、実に些細なことである。




 時は数時間前に遡る。

 この下りは省略しちゃってもよさそうなものだが、まあ念のため供述しておくと、わたしはいつも通り昼過ぎに本部を訪れてのらりくらりとクザンさんのお手伝いをしてたわけである。ところで定期召集以来ちょっとばかしシリアスムードが続いているクザンさんは、この頃ずいぶん大人しく仕事をこなしていたもので、わたしときたらすっかり気を揉んでしまっていた。パターン的にこのだらけきったおっさんが大人しくしてる時ほど碌でもない反動が待ち構えてるのだが、そんな経験則はすっぽり頭から抜け落ちて、熱々のお茶をお渡ししながら「少し休まれたらどうですか」などと甘やかす始末。そして痛恨のミスが次の会話だ。

「ドフラミンゴの件で色々と手を回して下さってると聞きました。最近書類仕事もきっちりこなして頂いてますし、なんか無理されてるんじゃないかと」
「んん……まァ、ここんとこまともに昼寝もできねェのは確かだが……おれがやりたくてやってるだけだ。ナマエちゃんが気に病むこたァねェのよ」
「ありがとうございます。手間をおかけしてる身で無理しないでくださいとは言えないんですが……お手伝いできることあれば何でも仰ってくださいね」
「そうか……それなら一つ、やって欲しいことがあるんだけどよ」
「全然いいですよ、なんですか?」

 そう、後から思うとこれが軽率だった。

「よしきた」
「え」

 次の瞬間、クザンさんはおもむろに椅子を引いて立ち上がり、右手を高く掲げ、やたらかっこいいポーズでパチンと指を鳴らした。その瞬間、開かれたのは両サイドの襖。舞台袖から姿を見せる役者さながらに現れたのは、百点満点の胡散臭さ、サングラスの奥の目が鋭い伊達男ボルサリーノおじさん! そして360度どこから見ても極道もん、首元チラ見せの和彫りがチャームポイントのサカズキおやっさん! である。強面に耐性のあるわたしじゃなければ危うく恐怖に咽び泣いてるところだ。

「い……一体何事ですか、これは」

 ここで冷静さを忘れなかった己を褒め称えたい。

 三大将がものの見事に雁首を揃えたこの執務室、客観的に見ればかなりの異常事態だが、一応わたしには現状を推察する手掛かりがあった。というのは、ボルサリーノさんが手に提げている紙袋――よもやわたしにとってのパンドラの箱――にものすごく見覚えがあったからだ。ていうか嫌な予感しかしない。案の定、彼は実務机の近くに立つなりずずいとそのブツを突き出した。そう、これはまさしく。

「ジャ〜ン、ナマエお待ちかねの制服第三弾が仕上がったんで持ってきたんだァ〜。今回は前に増して手塩にかけた自信作だよォ」

 虫の知らせは的中。思わず頭を抱えたくなった。

 これも今更振り返る必要もないかもしれないが、あえて言わせていただくと、わたしはこのおっさんたちが手掛けた制服に対していい思い出がまるでない。元を辿ればこの制服、わたしが未だに海兵さんからよく言われる「無関係の方はお引き取りください」への対策であったはずが、現状単に心労を増やされてるだけという見事な本末転倒なのだ。今回こそは、と期待できるものならしたいが、楽しげなおっさんたちの姿を見てるとどうしたって懐疑的にもなる。

「そんなことだろうと思いましたけど、三大将揃って何でこんなしょうもない演出を……おふたりはまだしもサカズキさんまで」

 ちらりと見遣るも、サカズキさんは明後日の方向を見たまま視線を合わせてくれない。この時既に、わたしの胸には一抹の不安が兆していたと言えよう。

「ククク、着ないとは言わせねェぞナマエちゃん……さっき何でもするって言ったよな?」

 サカズキさんとボルサリーノさんを両脇に、執務机に座り直したクザンさん。組んだ両手に顎を置き、悪役じみた笑みを浮かべている。

「なにいきなり元気になってんですか……あと別に何でもするとは言ってないですからね」
「だとしても『全然いいですよ』って了承してくれたじゃねェの」
「それは……まあ言いましたけど、ちょっとベクトルが思ってたのと違うといいますか、わたしはこう、仕事の範囲でのお手伝いの話をですね」
「おれァなんだ、お前さんが制服を着ておれを応援してくれたら仕事が捗ると思うのよ」
「業務内容外です。というか別に、ちゃんとした制服を作ってくださったんであればこんな回りくどいことなさらなくても普通に着て差し上げますよ」
「あーそうかそうか、なら大丈夫だ……"ちゃんとした制服"って意味じゃ間違いねェから安心しなさい。今回は色合いも地味だし、露出も控えめってか殆どねェし……何と言ってもサカズキの許可も下りてるしな」

 ふむ。クザンさんの偏見に塗れた説明を真に受ける気はハナからなかったが、この場にサカズキさんが居るということは、彼が目を通してくれたのは間違いなく事実。前回似たような流れでナース服を見せてきたお二方に信頼はないが、堅物と真面目を絵に描いたようなサカズキさんであれば。そう、わたしは彼の海軍の風紀を乱すべからず、という熱い信念を信じた。かく言う本人は、キャップのつばの下でどこか遠い目をしていたが。

「ってェわけで、早速着てみてちょうだいよォ〜」

 問答無用で手渡されるずしりとした紙袋。急かすようなグラサン越しの視線。なんだかなあ。とは思いはすれど……まあ、見る前にうだうだ言ったところでしょうがない。わたしは覚悟を決めた。

 ふう……よしいくぞ。

 出し渋る必要もなかろうと、袋の中目掛けて思い切り両手を突っ込んだ。手に当たるのは柔らかい布の感触。しっかりした肩の縫い目を探り当て、わたしは重量のある衣装をぶわさと勢いよく掲げた――



 無言。唖然。諦めも半分。

「……」

 試しにくるりと裏返してみる。背中で結ぶでかいリボンが見えた。正面に戻す。3人のおじさんが、固唾を飲んでこちらを見守っている。

「…………」

 掲げていた腕を、肩の高さまで下ろしてみる。床ギリギリまで垂れ下がった黒地の裾。ちょうど地面に引きずらない程度の丈だ。

「……………………」

 ――ああ、もう。

 このパターンもすでに三度目、もはや皆まで言う必要もなくお察しの通りだ。大体まともな制服なら、いくら乗り気でないわたしでも、とっくのとうに「おお」とか「わあ」とか言ってる筈なのだ。しかし目前にあるのは、わたしの想像とは大きくかけ離れた、裾がふんわり広がるロングドレス。ぴっちりした詰襟と長袖、肩に大きなフリルがついた純白のエプロンに、そして袋の底にちらっと見えるホワイトブリム――


 それはいわゆる――メイド服というやつだった。


「――説明してください、サカズキさん」

 手にした布をズボッと袋の中へ勢い任せに押し込んで、実務机に叩きつけるわたし。えー? みたいな顔をしているおっさんとおじさんを無視してこの場で唯一の常識人――のはずだった――サカズキさんに詰め寄ると、彼はようやく渋い顔でわたしの方を見た。

「……面目ない。やはり間違えちょるか」
「冷静に考えてください、あなたがたはわたしに毎日メイド服を着て本部に通えと仰るんですか! わたしはあくまで海軍の保護対象であって、そりゃ普段から雑用とか洗濯とかしてますけど、別に使用人ってわけじゃないですからね」
「しかしのう……」
「いやいや、君たちこそ考えても見なよォ〜? わっしらとしてもねェ、真剣に考えた訳だよォ。一目で下級兵との見分けが付いて、厳粛かつ機能性があり、制服としての体裁もある衣装……そう、それは正にメイド服以外ねェんじゃないかとォ〜……。異論があるなら代案を出して貰わにゃならんでしょう」
「とボルサリーノが言いよるけェ……」
「どう考えても詭弁です、結局んところ単にメイド服を着せたかっただけでしょうこれ!」
「脚を出さないことと華美な装飾を極力減らすようには言うておいたんじゃが」
「そこはありがとうございます、ほんとメイド服でさえなければ完璧なアドバイザーでした」

 わたしの盲点、つまり結構サカズキさんはボルサリーノさんに弱い。むしろボルサリーノさんがサカズキさんの扱いを心得ていると言うべきか。サカズキさんはクザンさんに物申せてもボルサリーノさんを論破できるほど器用ではなかったのだ。くっ、まじで前々から思ってたけどボルサリーノさんさえ居なければ……!

「でだ、ナマエちゃん。制服として採用するかはさておき……とりあえず着てはくれるよな?」
「100%不採用です。着る必要はないかと」

 ばっさり言い捨てると、あからさまにショックを受けるクザンさんとボルサリーノさ……ってサカズキさんまでなんでちょっと残念そうな顔してんだ。

「そりゃねェよお前さん……おれァ今回サカズキにも納得してもらえるよう手を尽くして……」
「サカズキさんの前にわたしが納得できるものを作っていただきたいんですけど」
「分からねえ……ナマエちゃんは一体どうしたら納得してくれんのよ……」
「だから、わたしに作らせてくださいって以前から散々言ってますよね?」

 そうすれば全て丸く収まるものを、なんだってこのおっさんは頑なにわたしを関わらせてくれないんだ。どうせわたしに都合よくコスプレをさせたいからなんだろうけどさ。正直なところを言えば別にこのメイド服を着るくらいは別に構わないのだが、毎度押し切られるせいで今回こそはという意地もあった。……それに加えて。

「あと最近殊勝なクザンさんを気遣ってたので聞きそびれてたんですけど、もしかしなくてもこれまでのわたしの制服姿を盗撮してたそうですね」
「なんじゃと」
「あ、いや、あれはアタっちゃんが勝手に……」
「だから誰ですかそれは。その挙句、スモーカー さんとこの海兵さんに横流ししたとか」
「あららら……口止めしといた筈だが、まさかもうスモーカーにバレたのか?」
「わたしもそれが怖いんですよ! とにかく余計なことしないでください、わたしはこれ以上リスクもネガも増やすのは御免です」

 ギロリと渾身の力で睨む。まさしく窮鼠、三大将に面と向かってこれほどまでに反抗心を撒き散らす一般人は、今後わたし以外現れないであろう。

 そしてしばしの沈黙。クザンさんはポリポリ頭を掻くと、腹立たしくも余裕ありげにため息をついた。

「フウ……この手は使いたくなかったが、仕方ねェか」

 まずい、また何か始まった。

 わたしが身構えるより早く身を屈め、彼は引き出しから何かを取り出して、ことりと机の上に置いた。わたしの頭に浮かんだのは疑問符だ。そう、それは……やたら大きいこと以外はなんの変哲もない、至って普通の巻貝だったからだ。

「……あの、なんですかそれ」
「これは"ダイアル"ってもんでな。"偉大なる航路グランドライン"じゃたまに獲れる貴重品だ。船乗りの間じゃ空にある島から降ってくるなんざ言われてるが……ま、それはさておき」
「こいつは種類によって……音とか風とか、貝殻にため込んで吐き出せるって代物でねェ〜。こう、殻頂を押すと起動するって仕組みなんだけどォ〜」
「……? それが一体なんだっていうんです」
「こいつの種類は"匂貝フレイバーダイアル"って言ってな。つまりは香りを溜める貝で……お香みてェな使い方をするんだが、匂いに限らずガスなんかも溜められるって話だ」
「な」

 な、な、なんだそれ。

「普通は科学班に持ってって利用するもんなんだが、こいつにはあんまり使い道が無くてな。いらねェってんでおれのポケットマネーで買い取った訳だが……」

 クザンさんの発言が全然頭に入ってこない。ていうかそんなものの存在自体が青天の霹靂だったので、もはやわたしは冷静さを完全に失っていた。匂いを記憶できるって、それってシンプルにすごくないか? 別の匂いを重ねて記憶とかもできるのだろうか? 上手いことやって消臭に活用できないだろうか? なんでもいい、とにかく実験したい。幼少期、海の匂いを閉じ込めたくって、拾った空き瓶を振り回していた記憶が思い起こされる。そして自宅で開封した時のガッカリ感も。日本現代の科学技術では匂いのみを保管することは不可能だった。しかしこれさえあればあの夢が叶うのだ。まんまとハメられている自覚はあったが、わたしの目は執務机に転がる貝殻に釘付けである。くっ、悔しい。

「あー……欲しいか? ナマエちゃん」

 ニヤリと笑うクザンさん。大変癪だが欲しいに決まっていた。


「――わ、わたしになにをしろと?」
「本当はこれが欲しかったらメイド服を……って言おうと思ってたんだけどよ」
「それが海軍本部大将のやることか」
「ってサカズキに怒られちまったんで、賭けってことにしようかと」
「えっ、賭けならいいんですか?」
「まァ海兵なら賭博のひとつやふたつ」
「構わんじゃろう」
「わっしもよくやるよォ〜チンチロ」

 基準がわからん。

「ってわけでゲームするぞナマエちゃん。お前さんが勝ったらメイド服は着なくていい、替わりにこの"匂貝"が貰える。……ってのはどうよ」
「か……勝たないといけないんですか」
「そりゃァな。あー、でもルールはナマエちゃんが決めていいぞ」
「……わかりました、やります」

 なんとしてもあの"匂貝"は欲しい。メイド服などもはや一時の恥、撮影さえされないよう立ち回れば大した問題ではない。しかし三大将がルールをあんまり知らなそう、かつ勝てそうなゲーム……ババ抜きとか大富豪とかじゃ勝てないかな……。と、顎に手を当てて考え込んでいると。

「じゃあおれが勝ったらナマエちゃん、メイド服プラスこの猫耳カチューシャをつけてもらうぞ」

「――は?」

 わたしの動揺などどこ吹く風、どこからとも無く取り出した猫耳カチューシャをスチャラカと構えるクザンさん。わ、……わけがわからない。なんでオプションが増えてんだ。準備が良すぎるし。

「サ、サカズキさん! これいいんですか?! 明らかにわたしだけ損してるというか、そもそも賭けってこういうものじゃないような」
「別に構わんじゃろう。貴様にゃあルールの決定権もある上、勝った場合は制服を着ない権利に加え"匂貝"と、二つ得しちょるわけじゃけェ」
「え!?」
「じゃあわっしが勝ったらメイド服プラス今日一日皆を『ご主人様』呼びってことでェ〜」
「は……、ちょっ、や、約束が違」
「お前どうする、サカズキ」
「いや、わしは……」
「いやいや、やっぱ賭けは平等じゃねェと」
「ううむ……では茶を一杯淹れてもらおう」

 なんでこのおっさんたちは酒と博打が絡むと急にガバガバになるんだ!? 大体わたしの着ない権利とかいうけどそれ得じゃ無くてマイナスを取り戻しただけだし、サカズキさんちゃっかりわたしがメイド服着るの大前提で提案してるし、ていうかわたしへの集中砲火が酷すぎる、これじゃもう3vs1ではないか!

「さァ〜ナマエ」
「ゲームルールはお前さん持ちだ……」
「さっさと始めんかい」

 ノリノリの三大将にこんなにむかつくことがあるだろうか。あらゆる点において納得はいかない。が、いずれにせよ勝たなくては"匂貝"は手に入らない。

 わたしは拳に滲んだ手汗を拭った。


 ……さて、この時本当に勝てる見込みがあったのかどうか、全てが済んだ今となっては考えても詮無きことだろう。冒頭のあの大惨事で既にオチは見えているので引き延ばしは控えておく。結論を言えばわたしは負けた。そして勝者は、ボルサリーノさんであった。

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