No Smoking


▼ 29-1/3

「うーん、晴天!」

 うららかな風が吹く海軍本部の午後。在地は木立に区切られていてあまり人目につかないものの、日当たりの良い中庭の一角。振り仰げば雲一つない抜けるような青空と、燦々と照る太陽と、群れをなすニュース・クーの影が見える――
 うむ、まさしく洗濯日和、こんな晴れた日は外干しに限る。わたし的洗濯指数は最大値、ベスト・コンディションだ。というわけで、わたしは洗濯カゴを抱え、物干し場で呑気に空を仰ぎつつ、でかいひとり言を溢しているわけである。

「いやまったく良い天気で――お、ぅわ」

 ひゅう、と一陣の風がわたしの髪を巻き上げてきた。洗濯カゴの重みでよろけないよう気をつけつつ、顔に纏わりついてくる前髪を払い落とす。やれやれ、すっかりボサボサになってしまった。まあ髪は今更だからいいとしても、今日はちょっと風が強いので洗濯物が飛ばないよう念入りに留めとかなくては。

「……」

 ……。まあ、"あれ"はとりあえずいいか。

 洗濯カゴを置き、早速仕事に取り掛かった。ぱん、とはたいて皺を伸ばしつつ、ゆったりと張られたロープへ湿り気のある衣類を挟んでいく。量も量なのでハンガーなどは無いのだが、しかし洗濯バサミ足りるのかなあこれ。無くなったら取りに戻らなくちゃ。
 一応、こういう本部内の雑務は、本来三等兵以下雑用の方の仕事である。わたしが彼らの仕事を拝借してる形だが、とはいえ担当はおつるさんとこのお姉さん方の分……つまり女性ものの制服なので、まあ適度に分業になってたりする。わたしが来る前までは能力者であるおつるさん自身がこなしていたようだし――大参謀とも呼ばれるベテランがそんなことをというツッコミは今更である――ともあれ、そんな事情もあって、干す場所はこうして別に指定されてるというわけだ。

「…………」

 この頃、現代人にとっては馴染みのないタライと洗濯板の使いこなしもずいぶん様になってきた。その点は我が師匠からもお墨付きをいただいている。今のわたしの実力というと驚くなかれ、なんと具体的にはコーヒーのシミを3秒で消せたりする。ふっ、今のわたしに消せない汚れなどない……シミ抜きマスターのナマエちゃんと呼んでくれ。消臭にせよ洗濯にせよすべての道はローマに通ず、色々応用していきたいものだ。

「………………」

 さて、洗濯物も残り半分ほど。実に順調である。カゴに残ってるのは細々したものばかりなので、あとはもう黙々と手を進めれば良いだけの話だ。なのだが、……ところで、だ。実はわたし、先ほど空を仰いだ時からひとつ、気になっていることがある。

 ――というのも。

 ちらりと視線を右斜め上に運んでみる。

「……………………」

 先ほどから無言で大人しくしてるのはわたしではない。わたしはむしろ、ちょっと鼻歌歌ってみたりとかこれ見よがしにため息ついたりとかしてるのでわりと騒がしい方だ。つまり、今この場には、わたし以外にもう一人居る。
 そう、角ばった顔、動揺を誘うキュートな帽子、肉球模様のついた可愛らしい服をはち切れそうに着込んだ上半身と、その手に抱えられた分厚い本。そこに居るのは先ほどから一言も発さず、黙り込んだままでいる大男。

 さて、中庭の木影でじっと突っ立っているあのお兄さんは、一体何者なのだろうか。


 ……いや、実を言えば悠長に洗濯物を干していたわたしも、ここへ来た瞬間はだいぶ動揺したのだ。なんと言っても彼、本当にでかいのである。どれくらいかってナナちゃん人形くらいのでかさだ。信じられないと思うが上背だけでクザンさんの倍くらい……つまりわたし四人分程度の高さはある。大体木陰で、とか言ったけどどう見ても木より背が高いので、頭の方とか完全に日向ぼっこ状態だ。あれこそモノホンの巨人に違いない。何だかんだ初めて見た。クザンさんと見たあの椅子に座るにはやや小さいような気がするが、そんなのは些事だ。きっと巨人は大きさもピンキリなのだ。
 とにかく、そんなのが中庭に何をするでもなくじっと佇んでいる状況、さすがのわたしも恐ろしくない訳がない。しかし向こうはあまりこちらに興味がないみたいだし、一応お天気の話題をわざとらしく振ってみたものの反応ないし、なんかよくわからないので無視して洗濯物を干すことにしたわけである。

 そもそもあの人、わたしに気付いてるのやら、いないのやら。さすがに気付いてないってこたないはずだが、なんせ彼が深々と被った例の可愛らしい帽子(なにか丸っこい耳とかついてる)のお陰で目元がよく見えないのだ。胸元に聖書らしきものを抱えているため、多分ある程度は理知的な方だとは思うけど……うーんしかし、海兵って感じには見えないし……。

 なんて悩んでいるうちにうっかり洗濯物を終えてしまった。うぐぐ、自分の仕事の早さが憎い。どうしよう、何も見なかったことにしてこのまま立ち去るか、はたまた怖いもの見たさで話しかけてみるか……。彼、そんなに悪い人には見えないんだけど、ここまでのくだりで不干渉だったとなると今更といいますか。
 まあいいや、悩んでてもしょうがないし悶々してるくらいなら声かけてしまおう。なんと言っても一発目で挨拶をかませなかったのが失態だったなあ。わたしがルンルンで洗濯物を干し始めたから向こうもちょっと気まずかったのかもしれない。うん、悪いことをした。ここは謝罪も兼ねて協力を申し入れるとしよう。

 そこでわたしは意を決し、空になった洗濯カゴを抱えて話題の大男に歩み寄ったわけである。

「あのう、そこのお兄さん」
「……」

 相変わらず目線は見えないものの、わずかに彼の首がわたしの方に傾いた、気がする。うーん……あれ、こっち見てるんだろうか。わからん。一向に返事は返ってこないけども。

「えっとー、何か用事があるなら取り継ぎますけど」
「……」
「見たところ海兵の方じゃないですよね? もしかして政府の役人さんとかですか?」
「……」
「誰かに会いに来たんですか? あ、もしかして海軍本部広いから迷子になったとか」
「……」

聞いてるのかいないのか、やはり無言に徹するお兄さん。なんかでかい置物に語りかけてるような気分になってきた。しかし参ったな、無言を決め込まれるとなるともう大人しく退散するほかないのだが。

「わたし時間あるので、目的地さえ教えてくれたら案内しますけど」
「…………いや、問題ない」

 うぅわなんつう爽やかボイス……。

 じゃなくて、ようやく返事してくれたこのお方。どうやら目を開けたまま眠っていたとかいうわけではなさそうなのでほっと一安心だが、それにしてもびっくりした。顔つきと巨体に見合わぬなんとも優しげな声をしていらっしゃる。なかなかにギャップがすごい。肉球模様とかクマ耳とかで可愛いアピールしてきてるしこれは只者じゃなさそうだ。負けてらんない。

 などと、ふざけた思考を巡らせていたそのときである。

「――海軍本部保護対象、"無香のナマエ"だな」
「はっ?」

 思いがけぬ発言に一瞬思考が止まる。自慢じゃないがほぼマリンフォードに引きこもりっぱな、交友関係が狭すぎるこのわたしのことを知ってるだと……。というかその冗談みたいな通り名って本気で普及してたのか。
 ってそんなことより、いやいや待てよ。そうだ、わたしはこのマリンフォードから禄に出たこともないんだぞ。海兵の方ならまだしも、わたしのことを外部の人間が知ってるはずがない、のでは……?

「センゴク元帥直々の任命、管轄は"白猟のスモーカー"。保護されたのはつい最近のこと、海軍本部へ頻繁に出入りしており、大将や中将とも少なからず交流がある……判明している情報はこれだけか」
「ちょ、ちょ、待ってください」

 な、なんか、めちゃくちゃ詳しいのだが。

 淡々と語られる声に思わず頬が引きつる。こんな巨大な人影に気付かないわけがないのでストーカーとかではないと思うけど、だとしても普通に怖い。まさか調べられたのだろうか。なぜだ、わたしなんてなんの害も益もない一般小市民だぞ。一体どんな理由があってそんなしょうもない情報収集をしたというのだ。何がしたいんだこの人は。

「お兄さん、海兵って顔には見えませんけど」
「情報の閲覧は許可されている」
「許可……?」

 許可って、一体誰からの許可だ。いよいよわからなくなってきた。こんな本部のど真ん中に居るくらいだ、発言を見るに敵ではなさそうだが、となるとほんとに何者なのか分からない。そもそもこのお兄さん、初めからわたしと接触するのが目的だったとかじゃなかろうな。いやまさか……と思いたいけど、仮にそうだとすればこれ、もしかしてまずい状況なのでは。なにせわたしの情報は、あの誘拐事件の関連で一部の界隈に洩れているわけで、万に一つ、その関係者であるならば――

「!」

 突如、大きなお兄さんが柱のような脚を折り、地面に膝をついた。……と思いきや、ゴゴゴと巨大な影が頭上から迫ってくる。悲鳴を飲んで顔をあげれば、ものすごい厳ついうえ角ばった、わたしの腕ひと抱えほどもある顔面が、じっとこちらを見下ろしてきていた。で、でかすぎる、正直わたしのような小粒など一口で丸呑みにされてもおかしくない。彼にとっちゃわたしなんて遊園地に売ってる骨つき肉程度のもんだ。それほどの差だ。

「あの、わたし食べても美味しくな」
「"無香のナマエ"」
「その呼び方なんとかなりませんか?」
「……参考までに一つ聞いておこう」

 スルーされた。こんな近距離で聞こえないわけないので絶対あえてである。意外とお茶目さんだ。しかし親しみは全く湧いてこない。
 彼はややパニクるわたしを無視して、腰を落としたまま手元の聖書を静かに開く。……お気に入りの一節でも見ているのだろうか。わたしはわりと不心得者なので、そういった質問をされたとしても多分答えられないのだが。この人だって信心深そうには見えないけど、この世界の宗教のことはよく知らないしなあ。異端審問的なあれなら色々と諦めるしかないぞ。

 と、そんなわたしの不安をよそに、彼は相変わらず淡々とした様子で、本がめくりづらかったのか付けていた手袋を抜き取り――

「ん……?」

彼の手のひら、一瞬だけ見えた人間の手にあるはずのないそれ。あれは、一体。と、わたしが思わず上げた当惑の声を遮り、そこでふと、彼が紙面から顔をあげ、ゆっくりとわたしの方を見た。

「――旅行をするなら、どこへ行きたい?」

 男の静かな声が、無情にその台詞を告げた。

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