No Smoking


▼ 20-2/4

 医療棟のベッドで目覚めてからほぼ丸一日が経過した。三日間寝込んでいたとはいえ怪我となると腕の火傷と頭のかすり傷程度だし、すぐに帰宅できるだろう……と思っていたのだが、検査やら聴取やらがあるためにわたしはもう暫くの間本部でご厄介にならなくてはならないらしい。そんなわけで、本日もわたしはこの病室でだらだらと暇を持て余しているのである。

 聞いた話では先日たしぎ姉さんが顔を出してくれたあと、わたしが目を覚ましたという報せは瞬く間に広まったそうなのだが、混乱するだろうからと皆さんそっとしておいてくれたようだ。特に見舞いらしい見舞いもなく、結局昨日わたしが顔を合わせたのはおつるさんとたしぎ姉さん、様子を見にきてくれたヒナさんの3人のみであった。
 たしぎ姉さんはあれからずっとわたしに付き添ってくれていたのだが、昨日のツケが溜まっている分お仕事が忙しいようで、今日はまだ顔を見せていない。しかし話相手もいないと流石に暇だなあ、と思い始めたところで現れたのが、おそらく仕事をサボって訪れてくれた、このだらけきったおっさんなのである。


「――ナマエちゃん」


 クザンさんが億劫そうにお見舞いのリンゴを剥きつつわたしの名前を呼んだ。窓際のサイドテーブルにでかい体を折り曲げながらゆるりと腰を下ろし、皮が途切れないように小さな果物ナイフを動かしている。おおクザンさん、意外と器用だ。

「はい、なんですか」
「いや、なに……さっきからぼーっとしてんじゃない、お前さん。あれなら、寝ちまってもいいんだぞ」
「いや、これはぼーっとする以外にやることないだけですよ。睡眠は取りすぎたってくらい取ったので、しばらくはいいんです」

そうか……、とクザンさん。再び手元に視線を戻し、スルスルと紅い皮を解いていく。それを眺めつつ、気遣わしげなこのおっさんをどうしたものか、と考えるわたし。なにせさっきからずっと、クザンさんはこんな薄気味悪い感じなのだ。

 実はもてなしにリンゴを剥くと言い出したのもわたしなのだが、ちらりとわたしの左手を見たかと思うと、なぜか「おれがやるからお前さんはゆっくりしてなさい」とナイフを取り上げられてしまったのだ。気遣いは有難いのだが、ここまで腫れ物扱いされるとさすがに落ち着かない。というのも、わたしが眠っていた間、事態は相当に深刻扱いをされていたらしいのである。

 いや、分からなくはないのだ。確かに、保護対象であるわたしを全然保護できなかったのは海軍のプライド的にはよろしくないのだろうとか、三日も寝てるとなると精神的な原因によるものと捉えられたのかもとか、ナマエちゃんファンのみんなにとってこの玉体を損ねてしまったのは相当に悩ましいのだろうとか(笑うところである)、それに冗談抜きで、ものすごく心配させてしまったんだろうとか――まあ色々察することはできるのだが、それにしたって。……お通夜かこの空気は!


「……クザンさん」

 今度はわたしがクザンさんを呼ぶ番だった。彼は珍しくさっと顔を上げると、ほぼ丸裸のリンゴ片手に眉をひそめてみせる。

「どうしたのよ、どっか痛むか?」

……いや、なんでそうなるんだ。いくらなんでも心配しすぎだろう、それに腕の火傷は慢性的に痛いのでいちいちお知らせしたりしないぞ。というツッコミを飲み込み、わたしはクザンさんの手元を指差した。

「ではなくて。それ、ちゃんとウサギにしてくださいね。わたしウサギ型リンゴしか食べれない症候群なんです」
「言うのが遅ェよナマエちゃん……もう剥いちまったじゃないの」
「そりゃだって、今思いついたんですもん」
「そうか……そりゃ仕方ねェ」

反応薄く返事をし、クザンさんは丸いリンゴを手際よく八つ切りにすると、サイドテーブルの端に置いてあるボウル状の器に盛り付ける。そのまますいっと差し出されたので受け取ろうと腕を伸ばせば、クザンさんは逃れるように少し手を引き、真面目くさった顔で口を開いた。

「すまん、……リクエストに応えられなかった詫びだ」
「……?」

謎のセリフに首を傾げる。一体何が詫びなんだろう。リンゴ、は別にクザンさんの持ってきたやつではないし、剥いたってのも違うだろうし、ううん? よく分からないままに、今度こそ器へ触れる、と――。

「冷たっ」

皮膚を突き刺す氷に触れたような鈍い痛み。一瞬のうちに陶器に張り付いた指の腹を引き剥がし、パッと手を引っ込める。これは……。顔を上げると、やはり真面目くさった顔のままのクザンさんと視線が合った。

「……」

 ……なるほど、そういうことか。

 促されるようにリンゴを直接手で掴むと、案の定氷のようにひんやりと――いや正に凍りついている。フローズンである。そのまま口元に引き寄せてかぶりつけば、歯にキンと響く冷たさと固すぎる食感がリンゴの果汁とともに押し寄せてきた。ざくざくと噛み砕き、口の中で溶かすように転がしてから、酸味のある果肉をごくりと飲み込む。美味しい。わたしはそそくさと二個目のリンゴに手をつけつつ、どことなく面白そうにこちらを眺めるクザンさんを見つめ返した。

「……クザンさん」
「んん?」
「次はそこに置いてあるパイナップルをお願いします。大きめに切って竹串を突き刺して昔懐かし屋台スタイルにしましょう。そのあとは学校給食お馴染みのデザート、冷凍みかんを所望します」

 きょとん、と気の抜けたような顔をするクザンさん。しかし構うものか、なにしろお見舞いの品は花の量もやばいのだが、フルーツの量は輪をかけてやばいのだ。病室の棚の上とか、うっかり果物屋にいるのかと勘違いしちゃうくらいよりどりみどりだし。果物ばかり食べるのも何だしなあと、今後の消費に頭を悩ませていたところなんだけど……いやはや流石は一家に一台三大将、洗濯機、白黒テレビと並ぶ三種の神器の一角クザンさん。確かに凍らせるとなると一味違う。せっかくだし食べれるだけ凍らしてもらおう。

「うーん、やっぱ瞬間冷凍は美味しいですね。あ、そういやリンゴは冷凍してから常温で解凍すると甘みが増してコンポートみたいになるんですよ。折角だし残りのも凍らしといてください。クザンさんも一緒に消費しましょう、海兵の皆さんもあまり種類は被らないようにしてくれたので――」

しゃべくりながら三つ目のリンゴに手を伸ばす。するとすす、と逃げる器。なにしてくれんだと顔を上げると、クザンさんは緊張していた相好を崩し……見慣れたいつもの表情で、柔らかく目を細めていた。

「フ、……そう通常運転だと、安心すんなァ」

くつくつ笑って肩を揺らすクザンさん。なんだか微妙に貶されたような気がするが、ここんところのわたしは心が広いので深追いしないでおこう。まあ、クザンさんがいつも通りに戻ってくれたようで何よりだ。


「あァ……そうそう、追加注文に応える前に、ナマエちゃんに返すもんがあってな」

 ようやく肩の力が抜けたらしいクザンさんは、ふと思い出したようにリンゴ入りの器をこちらに渡し、机の端に引っ掛けてあるジャケットをまさぐった。一体なんなんだろう。借りパク常習犯のクザンさんに物を貸すなんて愚行を働いた覚えはないのだが。
 そうしているうちに目当てのものを探り当てたようで、クザンさんはゆっくりと面を上げた。

「ホラお前さん、落としたでしょ……」
「――あ」

 彼のジャケットから取り出されたのは、見覚えのあるシルエット、緊張感に欠ける間抜け面、ぐるぐると包帯を巻きつけられた円い殻――手のひらサイズの小型電伝虫、そう、愛しのナマエツムリちゃんである。

「わ、電伝虫! ありがとうございます」

右手を伸ばして受け取った。あのとき残酷にも殻ごと踏み潰されたとばかり思っていた可哀想な電伝虫。巻きつけられた包帯を見るに、どうやら手当までしてもらったらしい。ぼやっとわたしを眺めている覇気のない表情がどことなく再会を喜んでいるように見えるのは、わたしの勘違いではないだろう。

「ちゃんと拾ってくれてたんですね。死んじゃったかもって心配してたんです」
「案外、電伝虫は生き汚ねェからな……殻潰されたくらいで死にゃしねェさ。ナマエちゃんより元気なくらいよ」
「元気一杯って風には見えないですけどね。でもほんと、よかったです」

 なにしろこの子にはなんだかんだ愛着もあるし、頂き物だし、特に先日の件に関しては命の恩ツムリなのだ。また今度、ご褒美にいいものを買ってあげよう。


「あとはこれも……だな」

 続いてクザンさんが低い声で呟きつつ、ナマエツムリとの再会を喜ぶわたしに差し出したのは、銀色のチェーンに吊るされた楕円状の二枚の金属板……わたしのタグだった。それと合鍵。

 ……そういえば、このことを完全に忘れてた。クザンさんの声色的に、これは少しまずい気がする。

「あ、ええと、……ありがとうございます」

 そう、わたしは電話の直後、あの賊たちに拾われないことを祈って、これを咄嗟に放り捨てたのだ。クザンさんが持っているということは、わたしの期待通りになったのは確かだが……しかし、怒られるような予感がする。いや、クザンさんにというよりは、今ここにいないあの人に、だ。
 ひとまずこちらも受け取って、チェーンをそのまま首に引っ掛ける。このタグは首やら手首やら足首やらに日ごと回し着けていくことにしているのだが、やはりずっと身につけているせいか、どことなく安心する重さだった。


「なァ、ひとつ聞いていいか……ナマエちゃん」


 そっと口を開くクザンさん。あまり聞いて欲しくないのだけど、そういうわけにもいかないだろう。どうぞと返事をすると、彼は思案げに問いの続きを口にした。

「お前さんは……尋問を受けた際、海軍との繋がりを黙秘したそうだが――あの電話の時点で、そうすることを決めていたのか?」
「あれ……クザンさん、わたしが電話したこと知ってるんですか?」
「ちょうどあのときその場にいたのよ。おつるさんとこの姉ちゃんを保護したのもおれだ」
「そうだったんですか、……」

うーん、怒られるかな。怒られるだろうなあ。スモーカーさんは別にいつも身につけてなくてもいいとかなんとか言っていたけど、投げ捨てていいとも言われてないし、そもそもそういう問題じゃないもんなあ、これ。

「いえ、流石にそんなつもりはなかったんです。ただ、あれはあまりにも個人情報がバレバレすぎるので、情報社会で生きてきた人間としては不審者に見つかるのはなあと思いまして。結果的にわたしの立場を示す証拠が無くなったから、あのときはラッキーだと思いましたけど」
「……そうか。その判断にいちいち小言は言わねェが、お前さん……スモーカーに相当絞られるぞ」
「だと思います」

クザンさんも言うくらいなのだし、きっと間違いなく怒られるのだろう。だって多分、このタグはわたしを証明できる唯一のもので、これがなければわたしがどこで野垂れ死のうと誰にも伝わらないのだ。そう思うと、保護してもらっている立場としてはかなり悪いことをした気分になる。小言言わないと言いつつ実際ちょっと不満げだもんな、クザンさん。

「というか何なのよ、情報社会ってのは」
「うまく説明できる気がしないので流してください」

 訝しげに問うてくるクザンさんを適当に流しておく。いや、隠すことではないのだけど、この辺は今話すにはめんどくさい話だし。彼は少し眉を寄せたが、すぐに表情を取りなし、いつもの動作で頭を掻いた。

「まァなんだ……今回の件、思うところはあるが……とにかく、お前さんがいつも通りでよかった。また快復したら仕事急かしに来てくれ……ナマエちゃんがいねェと結構寂しいのよ」
「はい、その……色々すいませんでした。感謝してます。いろんな人に世話かけたみたいで」
「あららら、お前がしおらしいなんて珍しいじゃないの。……ま、気にかかることがあればなんでも言ってくれや……」

彼は緊張感のない声のまま微笑んだ。クザンさん、てっきり半分は聴取に来たのかと思っていたんだけど、本当に質問はさっきの一つだけらしい。何か言っておくにしても、気にかかることなんて――

「――あ」
「どうかしたか?」
「一つ思い出したんですよ。そんな大したことじゃないんですけど、わたしが拐われたとき、あの男の人たちがボスのことを妙なあだ名で呼んでたんです。会話が怪しかったので気になってて」

 要領を得ないわたしの言葉ではあったが、クザンさんはにわかに真面目な顔になり、それで、と続きを促した。

「えっと、"ジョーカー"って言ってたと思います。クザンさん、知ってます?」
「――"ジョーカー"?」

彼の顔が少しだけ曇る。なにやら思うところがありそうな表情だった。わたしの質問に答えているのか、独り言なのか判然としないまま、クザンさんは呻くようにぽつりぽつりと呟いていく。

「そりゃ有名な……闇ブローカーの名前だ。そうか……奴ら、尋問の際も何か隠してると思ってたが、絡んでんのか。……しかし、そりゃァ……」

 と、クザンさんが言葉を濁した、そのとき。いきなり外から足音が聞こえたかと思うと、病室のドアが勢いよく開かれ――


「ナマエはおるか! おるな! 生きとるか!」

 飛び出してきたその声は、元気溢れる大柄なじいちゃん、ことガープさんのものである。さしものクザンさんもぎょっとしたようで、僅かに椅子から腰が浮いた。おお、すごい、腰の重さには定評のあるクザンさんだというのに。

「ガ、……ガープさん……?」
「おお、クザン! お前いかんじゃろ、病み上がりのナマエを突っついたりしちゃァ……」
「病み上がりってわけじゃねェと思うんですがね……」
「喧しい! 生還者に対しては、まずは喜ぶところから始めるもんじゃ。のォナマエ!」
「おっふ」

ずかずかと部屋の中へ進み、ぐわしぐわしとわたしの頭を押し潰さんばかりに撫でやるガープさん。変な声が出た上に包帯がちょっとずれた。いつもながら台風のような人ではあるが、しかし安心する手のひらの感触だ。

「ちょっとちょっと、ナマエちゃんが潰れちまうでしょう」

脇の方で珍しく振り回されてるクザンさん。ガープさんにかかれば海軍大将も若造扱い、それに加えてクザンさんはめっぽうガープさんに弱いのだ。聞いた話では昔世話になった恩人だとかなんとか、とにかく頭が上がらないらしい。

 そんな混乱の中、ガープさんよりはいくらか静粛に、しかし慌てて入ってきたのは、案の定丸メガネにカモメ帽子、明言するまでもなく元帥ことセンゴクさんである。これまた見るまでもなく立腹のご様子。

「おい、ガープ! 勝手について来たかと思えば、何故真っ先に飛び出して行くんだ! ナマエとの話は私の仕事、貴様も少しは穴埋めに働けと……!」

そんなことを言いつつ部屋に入ってくるや否や、センゴクさんは呆気にとられて言葉を失った。だいたいクザンさんがいるのから彼の予想外だったらしい。そりゃそうだ、どう見てもクザンさんはサボりである。

「クザン……お前、仕事はどうした?」
「あー……少し休憩をと思いまして……」
「その休憩は四日前からか? 貴様はもう少し、大将としての自覚というものをだな……」

お説教タイムに入りかけたセンゴクさんだが、本腰が入る前に自身の多忙さを思い出したようだ。諦めたようにため息をつき、わたしに向き直る彼の顔は、いつにもましてお疲れのご様子である。

「止めてやれ、ガープ。……すまんナマエ、そのままで構わない。少し時間を取らせるのだが……」
「わたしは全然平気なんですけど、こちらこそすいません、センゴクさんお忙しいのに手間取らせて」
「いや、君を保護対象にしたのは私の一存だ。今回の件はこちらの不手際、これくらいのことはする」

真面目な顔でこちらこそすいません、いえいえこちらこそ……みたいな会話をするわたしたち。センゴクさんがなんの話をするつもりかはわからないが、しかし見たところ、そんなに深刻な話題では無いのだろう。

「とりあえず、貴様らはさっさと仕事に……」
「あ、せっかくですし、皆さんでフルーツでも消費しつつお話ししましょう。お願いしていいですか、クザンさん」

 しかしここでクザンさんを追い返されてしまっては果物消費が遠くなると先手を打っておくわたし。それに対して「ナマエ……」と眉間を抑えるセンゴクさんと、センゴクさんに逆らってわたしの頭を撫でまくってくるガープさんと、「え? あァ、そう、そうだったな……」と完全に気の抜けてるクザンさん。

 ようやくいつも通りの騒々しさを取り戻してきた部屋で、わたしは思わず頬を緩めた。どうやら、しばらく退屈することはなさそうだ。

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