No Smoking


▼ 18-2/3

 軋んだ体の痛みに意識を引き戻された。どうやら両手を拘束されたまま、板張りの床に転がされているらしい。お腹の辺りがずきずき痛い。堪えきれずにう、と呻きながら、薄く目を開いてみる。

 ……真っ暗だ。僅かな明かりで照らされた壁には、ヤンキーが駐車場とかによく描くみたいなやたら上手い落書きと、酒か雨漏りか、はたまた血痕のようなシミが点々と付着している。床には積まれた木箱の山、触っちゃいけない香りがプンプンする。というか、なんか、白い粉みたいなのが見えてる。これってもしや……いや、流石にまさかだろう、あはは。

 しかし、本当にどこだここ。海の上とかじゃないことを祈るけど、確か……拐われたのか、わたしは。

 この現状に至るまでの記憶を辿る。思い起こせば海軍本部からの帰路、いつも通りに海兵のお姉さんと買い物に向かおうとしていたわたしは、いきなり謎の男たちに追っかけられたのだ。人数が思いの外多かったため、食い止めきれないと判断したお姉さんに逃がされて、テンパりまくったままスモーカーさんに電話して、通話してたところを殴られて、それから……、記憶はそこで途切れている。一体あれからどれくらい時間が経ってるのかは不明だが、ともあれ拉致されたのは事実なようだ。

 近頃、スモーカーさんがやたら過保護だった理由はこれだったのだろう。どういう経緯かは不明だが、つまり結構前からわたしが狙われているということを、あの人は知っていたというわけである。話してくれたっていいような気もするけど、海兵なんだし情報の守秘義務とかもあるのだろう。
 それはそれとしても、謎なのはわたしが誘拐される理由である。一体わたしをなんだと思ってるんだ誘拐犯は。身寄りがないから海軍にお世話になってるだけの一般人だぞ。わたし自身にはまじで一ベリーの価値もないぞ。人質にすら……いやまあ、必死で連絡したのだし、あの人たちなら助けに来てくれると信じてるけど……。

 というか。電話したとき、あんまりにも焦ってたせいで自分でも何言ってるのかよくわかんなかったんだけど、記憶が正しければ半泣きになりながら助けてだの何だのと宣った気がするんだよなあ。ああ、めちゃくちゃ恥ずかしいので後生だから忘れて欲しい。悲劇のヒロインかわたしは。スモーカーさん、あとでからかってきたりしないといいんだけど。わたしは思わず溜息をつき――


 ――と、背後で人が動く気配。

「目ェ覚めたか、ガキ」
「う、ぐっ!?」

いきなり、謎の手に乱暴に襟を掴まれ、真上に引きずり上げられた。どうやら気絶している間も見張られていたらしい。自分でも悲痛だと分かるほど物凄い呻き声が喉から飛び出したというのに、男は気にかける様子もなくわたしの体を吊り上げてくる。地面を離れたわたしの脚がぷらんと宙に浮いた。

「手間掛けさせてくれやがって、それなりの見返りはあんだろうなァ、オイ?」

ざらついて、ドスの効いた、聞き覚えのある声……おそらくわたしを殴った人だ。確実にご期待には添えないと思うんだけど、それ言ったらまじで殺されそうなので口にはしないでおく。わたしを誘拐したときの乱暴なやり口からして、この連中に手加減するつもりは無いのだろうし……というか、現在進行形で息が詰まって死にそうである。か弱い少女に対してなんという粗雑な扱いだろうか。

「あの、離してくだ、さ」

 噎せながら涙の滲んだ目を開いた。ぼやけた視界に映るのは、薄暗がりに浮かび上がる不潔な男の顔だ。焦点の合わない血走った目、こけた頬、そして――脳を溶かすようなあの匂い。ぞわり、と全身の皮膚が粟立った。

「あンだよ、ビビってんのか?」
「……この状況で、怯えないわけがないでしょう」
「おーおー、威勢がいいな」

男は食ってかかるわたしを受け流すようにへらへらと口にする。彼はわたしの襟首をひっ掴んだまま部屋の向かい側にある出口へ足を運び、どこへ連れて行こうというのか、錆びついたドアノブに手をかけた。

「――っ」

 倉庫らしき部屋から引きずり出された途端、ドアの隙間から差し込む光に、暗がりに慣れた目が眩む。そして次の瞬間、わたしが真っ先に眉を顰めたのは――視界に広がる酒盛りの惨状でも、ねとりと肌を撫ぜるような熱気でも、耳障りな男衆の声でもなく――いよいよ強烈に鼻につく、甘ったるいような、苦いような、噎せ返りそうな、吐き気を催す悪臭によるものであった。

「ようこそ、今日の戦利品!」

 下衆な笑い声が部屋を満たす。咄嗟に耳を塞ぎたくなったが、あいにく両手は使えない。まあ一番塞ぎたいのは鼻なんだけど……それはさておき自由な頭だけを動かして、わたしは慄く思考に鞭打ちつつ部屋を見回した。

 そこは、それなりの広さはあるとはいえ、天井が低いせいかどことなく圧迫感がある部屋だった。相当なあばら家らしく、穴の空いた天井からぼろぼろの梁が覗いている。そして部屋に点在する丸テーブルには、酒を煽り、煙草を吹かせ、口汚く罵りあう十数人の男たち。海賊……だろうか。床には割れたガラス瓶や陶器が散乱し、溢れた酒もそのまま放置されていることから、この連中の性格がしかと伺える。大抵がこの悪臭の元凶であろう煙草を口にしているのだが、換気もしていないせいで空気がひどく汚れていた。
 ここがいわゆる、世の掃き溜めというやつなのだろうか。不衛生な部屋に込み上げる生理的嫌悪はまだしも、とにかく臭い。わたしの性能のいい鼻が曲がってしまいそうだ。おそらくあれはただの煙草ではないのだろう。なにしろわたしの頭に叩き込まれた銘柄のいずれとも異なった匂いなのだ。

 そのまま乱雑にぼろぼろの椅子に座らされ、拘束されたまま部屋の中心に突き出される。四方八方から飛んでくる、値踏みでもするかのような、舐めるような男たちの視線に晒されて、引き攣ったわたしの内臓が悲鳴を上げた。身体的にも精神的にも、ひどく気分が悪い。あの清潔な海軍本部が恋しい。これならヘビーなスモーカーさんと密室に閉じ込められた方が数倍マシである。帰りたい。

「海軍が謎のガキを丁重に保護してるってェ噂は本当だったわけか」
「はてさて、まだ本当かどうか……」
「だが天下のマリンフォードの往来で危険を冒してまで掻っ攫ったんだ、それなりに役立って貰わなきゃ困る」

好き放題言ってくれる。役立つも何も、センゴクさんがわたしを保護対象にしたのはそんなに大層な理由ではないというのに。てか仮に正直に「わたしは異世界人なんです」とか話しても信じないだろうし、信じたとしてやっぱり役には立たないし。大体まず前提がおかしい、丁重に保護なんかされちゃいないぞわたしは。煙男の生活改善やら仕事しないおっさんの手伝いやらに従事してるんだこちとら。
 って、ああもう、そんなこと言ってる場合じゃない。まずい、どうしよう、もしここでわたしがなんの役にも立たないと分かれば、あっという間に殺されてしまうんじゃなかろうか。それはいけない、こんなところで死にたくはない。とにかくここは、スモーカーさんたちが助けに来てくれるまで口八丁でやり過ごすしか……。


「さて……お嬢ちゃん、少し話そうか?」

 いきなり喧騒が下火になったかと思うと、ふと胡散臭い声が耳に届いた。顔を上げて見やれば、部屋の奥から歩み出てくるのは紙巻き煙草を咥えた、やはり痩せた男である。周りの人たちの反応を見るに、リーダー格の人物なのだろう。
 男は椅子に括り付けられたわたしの正面に灰皿の乗った机と椅子もう一脚を蹴りやって、向かい合うように腰を下ろした。取り巻きに酒を持ってくるように言いつけ、男は貼り付けたような笑顔でわたしを見る。

「お前さんは何を?」
「……。結構です」
「おれは何を頼むか、と聞いたんだが……まァいい、ひとまず水を一杯用意してやれ」

 いやいやわたしこそ、結構ですと言ったのだが。どうやらこの男にこちらの意見を聞く気はないらしい。わたしは努めて冷静に言葉を返した。

「知らない人から貰ったものを口にしないのは幼稚園児でも知ってる常識です。大体、この状態でどう飲むってんですか。お皿に水を張ってくれたら犬のように舐めて差し上げますけど」

わたしがそう口にすると、何がおかしいのかけらけらと笑われた。まったくもって神経を逆撫でする男だ。おまけにさっきからこっちに向かって煙を吐いてくるので余計に気が立ってしまう。

「おォ、こりゃ失敬……嬢ちゃんの拘束を解いてやれ」
「……よろしいんで?」
「今の言い草を聞いたらわかるだろう。見た目よか利口なガキさ。逃げ出すなんて無謀なことはしねェだろうよ……」

分かったような顔で煙草を吹かす男。暗に逃げられやしないとせせら笑っているのだ。背後から手首をきつく縛っていた縄が解かれるのを感じつつ、わたしは非常に不愉快な気分のまま、目の前の男を睨みつける。男はわたしの熱烈な視線を特に気にかける様子もなく、運ばれてきた酒に口をつけた。

「いい関係を築こうぜ、お前さんが快く協力してくれるならそれに越したこたァねェんだ……。自分から死にに行くほど馬鹿じゃねェだろう?」

お生憎様、確かにわたしに逃げる気は毛頭無いが、助けてもらう気は満々なのである。余裕ぶってもらって結構だが、スモーカーさんたちは確実にわたしを助けにくる。つまり、こんな問答はすべて時間稼ぎに過ぎないのだ。
 水の満ちたコップが目の前に置かれる。わたしが口にしないのを咎めることはせず、彼はさて、と口にして、汚い紫煙を吐き出した。


「まずは色々教えてくれるかね。まず、お前さんの名前だ……確かナマエ、だったか?」
「……え」

 何が来るかと身構えていたので、予想外の言葉に虚を突かれて思わずぎょっとした。この人たち、わたしの名前まで知ってるのか。海軍本部でも、一部の人しかわたしのことは知らないとばかり思っていたのだが……。否定しなかったために肯定とみなしたのだろう、男はそのまま言葉を続けていく。

「三大将を初めとする海軍上層部の海兵と関わりがあるそうだな。管轄の情報は出なかったが、海軍本部元帥による保護対象……なんでそんなモンになってるのか、その理由も聞かせてもらおう。お前はどこから来た? どんな能力がある? 経歴は? お前さんの価値はなんだ? 政府と何か関係があるのか? 兵器との関連はあるか?」

――は? い、いや、なんだこれ。意味がわからない。矢継ぎ早に飛んでくる質問に唖然とする。わたしの個人情報の流出が激しい。海軍の情報管理はどうなってるんだ。海軍本部ではあんまり会わないお陰でスモーカーさんたちとの関わりは知らないようだけど、それにしたってこれは知りすぎだし、というか後半はわたしもまったく知らない重要そうなことばっか言ってるし。こんなの、内部の人間でもないと……、いや、まさか。

 はたと口を噤んだわたしを見て、何事か勘違いしたらしい男は、宥めるとするかのように両腕を広げ、その肩を竦めてみせた。実に鬱陶しい仕草である。

「あァ……いきなり不躾だったか。そうだな、そんな重要なこたァ、すぐには話せなかろうよ。だがこっちの意図も汲んでくれ。こんなモンの流入をやってると……」

男は喋りながら煙草を手に取り、灰皿の縁でトントンと叩いてみせた。途端にぶわ、とあの悪臭が広がる。わたしは思わず顔を顰めた。

「お得意さんともよろしくやらなくちゃならねェ。なにせ相手はあの"ジョーカー"だ。美味い情報を欲しがってる……どうも次の定期召集まで待ちきれないようでね、こちらも株を上げるいい機会なんだよ」

……? 何を言ってるのかさっぱり分からないが、「こんなモン」の言からして、やはりあれはただの煙草ではないらしい。倉庫にあった白い粉含め、おそらく麻薬めいたものなのだろう。道理で臭うわけである。こんな連中がまさかマリンフォードに潜んでいたとは、サカズキさんが知ったら怒髪天を衝く事案である。
 「少し話し過ぎたな」と煙草を咥え直し、男は相変わらずの人を食ったような調子で口を開いた。

「ひとまずは、お前さんが本物だって証拠が欲しいのさ。そんなわけで、手始めに……海軍内部の美味い話でもひとつ、話してくれよ。その程度、構いやしねェだろう?」
「……は」

呆気にとられたわたしの反応を待たず、男はわたしの方にずいと身を寄せると、血走った目を弓なりに細めた。うっ、と咄嗟に体を仰け反らせる。近寄らないで欲しい、匂いが移る。

「なァ嬢ちゃん、おれは憂いているのさ……」

目前の男はやんわりとした猫なで声で囁いた。

「保護対象と言やァ聞こえはいいが、お前は奴らに利用されてるんだよ――騙されてるんだ。海は危険に満ちているから、海軍の庇護下に置いてやってると」

いや、なに適当なことを言っているんだこの男は。そもそも今この瞬間わたしを危険に晒している張本人のくせにどの口で言うんだ。あほなのか。

「考えてもみろ、海軍に着く義理なんざねェだろう? ほら、話してくれよ、お嬢ちゃん。そうしたら安全は保証してやろう。だがまァ……喜べ。逆らったとしても折角の捕物を殺しゃしねェよ。場合によっちゃァ、殺してくれと泣き喚くようになるかもしれねェがな」

自然と表情が歪むのが分かる。この男はつまり、わたしに、自分の身が可愛ければ海軍の情報を売れと、そう脅しているのか。痛い目に合わされたくなければそうしろと。あわよくば保護対象のわたしを引き入れて、絞れるだけの情報を絞ってやろうという魂胆なのだろう。

 ……舐めた話だ。確かに、わたしに突きつけられた現状は逼迫したものであるかもしれない。だが、しかしだ。知っている分よくわかる――この男たちよりもずっと、わたしの見知ったあの海兵たちの正義は強く、また恐ろしいのだと。わたしはあの日、サカズキさんに、海軍を裏切らないと誓った。なればこそ、それを破ればなにをしようとサカズキさんはわたしを殺すだろう。彼はそういう人だ。それを思えば、目の前の脅しのなんと手ぬるいことか。なにしろこのわたしを、生きるためにここにいるわたしを、「殺さない」と言うのだから。

「なにを……」

 乾いた笑みが口元に浮かぶ。海軍を裏切ればわたしは死ぬが、言わなくても殺されやしないのだ。はたして選択の余地などあるだろうか。
 わたしはスモーカーさんに助けを乞うた。その時点で、信じないなんてばかなこと、出来てしまうほど無責任な人間じゃない。わたしは助けが来ることを知っているし、この男がわたしを殺さない以上、何をされてもただ黙っていればそれでいい。確実に生き延びるすべは、何も言わないことだ。

 それに、そんな御託を抜きにしても……結局のところ、わたしは単純に、あの人たちが好きなのだ。

「何を、仰っているのか分かりませんけど……」

だから、わたしは絶対に、彼らを裏切ったりはしない。


「わたしは海軍とは、一切関わりがありません」



 男の目から表情が消えた。

 ゾッと鳥肌が走る。クスリをやってる人間の目はやばいというが、それはどうにも事実らしい。肝が冷えるとはこのことである。覚悟を決めて口にしたことだとはいえ、やはりただでは済まなさそうだ。

「おいおい……それはどういうつもりの冗談だ?」
「冗談も何も、言葉通りの意味です」
「この期に及んでしらを切る気か? 馬鹿な真似はよせ、海軍なんぞに命を賭けて死にたかねェだろう」
「知らないことをどう話せって言うんです」

わたしが言い切るより早く、男の目がぎょろりと見開かれた。わたしは伸ばされたその腕を避けるように身を引き、反射的にガタン、と軋む椅子から立ち上がる。すると男はわたしの背後に素早く視線を走らせて、半ば苛立たしげに短い指示を告げた。

「抑えろ」

「――っ!」

 荒々しく首根っこを机に押しつけられ、頬をぶつけた衝撃で、声もなく悲鳴をあげる。感触からして取り巻きが二人掛かりで抑えてきているらしい。激しい振動でコップがひっくり返り、広がる水たまりがわたしの頬をしとどに濡らしている。その姿勢のまま正面を睨めば、男は白々しく肩を落としてみせた。

「見込み違いだったようで残念だ。今ならまだ耳を貸してやっても良いんだぜ」
「……何度でも言って差し上げますよ。わたしは海軍とは何の関係も無い。お話しできることはありません」
「そうか」

腹立ち紛れに煙を深く吸い込んで、男は椅子の背に身を凭せ掛けている。天井を仰いで気を鎮めるような溜息を吐き出し、そして男は不自然なほどゆっくりと、酷薄な声を舌の上で転がした。

「女に口を開かせるには色々手がある。手っ取り早いのは心ゆくまで陵辱してやることだが……」

周囲を見回す男。室内の顔ぶれはこちらを面白そうに眺めつつも、しんと静まり返ったままでいる。くっくっと喉を鳴らし、男は愉快そうに言葉を続けた。

「どうもここにゃ、ガキが趣味の異常倒錯者はいねェらしい。残念だったなァ、嬢ちゃん」
「……っ」

かっと頭が熱を持つ。さ、最低だ。いや、ある意味では助かったけど、そ、そういう話じゃないだろう、ほんと最低だ。
 そんなわたしの反応を見て気を良くしたのだろう、男の声のトーンが幾分か明るくなる。それに比例してわたしの恐怖はひしひしと増していく。テーブルは硬く、冷ややかで、押さえつけられた頬がぎりりと痛んだ。

「実に残念だ。こんな手段を取るしかないとは」

言葉に反して上機嫌な口ぶり。それが聞こえたかと思うと、わたしはテーブルの上に投げ出していた左腕を乱暴に押さえつけられていた。わたしの非力ではびくともせず、ましてや振りほどくことなど出来そうにもない。

「一つ、面白い噂を聞いたんだ」

 水に濡れたわたしの袖を、緩慢に、丁重に、恐怖を刻み込むように捲り上げて行く男。一体、なにを、しようというのか。はらりと腕の上に灰が落ちてきた。その熱に怯えた体が跳ねる。

「お前さん、話によりゃ相当な嫌煙家らしいな」

指に煙草を挟み込んで、唇の間から抜き取り、その手をそのまま、下へ。

「さて、こういう趣向はどうだ……」

わたしの腕に、熱気が迫る。それは、皮膚を焼く温度だ。息が上がる。肺が痙攣するように浅い呼吸を繰り返す。全身に汗が吹き出してくる。瞬きを忘れた瞼に、乾いた瞳に、その光景が焼きつけられる。燻る煙草の煙が腕を舐める。残りわずかの一センチ。腕に触れる、熱い、これ、は


「根性比べと行こうじゃねェか、なァ?」


 じゅう、と。



 耳を劈くようなその音が、自分の喉笛から発せられているとは、到底信じられないことだった。わたしはその日――初めて、人の肉が焦げる匂いというものを、知った。

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