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「……ヒナか」
ドアから漏れた明かりによって、わたしたちの足元からするりと黒い影が伸びる。陽が落ちてからはや数刻、周囲はすでにとっぷりと暗く、宵闇に慣れた目には室内灯さえも少々眩しく刺さる。
「ええ、お望み通りナマエを送り届けに来たわ。これでよろしくって?」
「あァ……。で、肝心の本人はそこで何してんだ」
ヒナさんの後ろでもたついているわたしに気づいたらしく、玄関から顔を出したスモーカーさんが訝しげな声を上げた。うう、やはりそうなるか。無理なのはわかってるけどスルーして欲しかった。ヒナさんの背に隠れたまま、短すぎるスカートの裾をぐいぐいと引っ張りつつ、変に渋ってしまうわたし。顔が上げられず、謎に通路の床のひび割れを睨んでしまう。
だってなんというか……すごく、キツい。心が厳しい。いたたまれない。何かがおかしい。いやまじで、どうしてこんなことになったんだ。
「いやあ、その……あはは……」
「恥ずかしがることないわよ。似合ってると思うわ」
「いや恥ずかしいわけではなく、……その」
相手が相手だし、別に恥ずかしいとかそういう乙女ちっくなアレではないのだ。ただスモーカーさんには色々、楽しみにしとけとか期待しとけとかなんとか言った手前、こんな結果は予定外で、めちゃくちゃ気まずいというか。
「ほら、ナマエ」
「う、わ」
とかなんとか言ってたら、痺れを切らしたヒナさんに背中を押され、たたらを踏みつつスモーカーさんの前に飛び出してしまった。慣れない靴の高さによろめくわたしの手をするりと取るスモーカーさん。うっわなんだこのスマートさは!
「ありがとうございます……」
内心慄きつつ視線を上げれば、こちらを見下ろすスモーカーさんに、わたしの頭のてっぺんからつま先までをじろじろと凝視されている。ああ、気まずい。辛い。頼むからそんなに興味深げにわたしを見ないでくれ。
「当初の予定たァ随分違うみてェだな。ヒナが相手となりゃ、こうなるだろうとは思ってたが……」
面白がるような声と共に、彼の口角が僅かに上がる。
「まァ、安心しろ……十分期待通りだ」
「――うっ……るさいですね……」
あまりの居たたまれなさに唇が震えた。わたしが何を気にしてるか見抜いた上でこの物言い、ほんと止めて欲しい。わたしは熱くなった耳を覆ったまま、目一杯の怒りを込めてスモーカーさんを睨みつけた。
しかしきっと、今のわたしに迫力など欠片もありゃしないのだろう。なにしろ視点を下げれば、そこにあるのはフリルとリボンをふんだんにあしらった可愛らしいデザインのワンピースドレス。そのくせパニエで膨らんだスカートは馬鹿みたいに短いし、靴下はサイハイだし、靴は厚底だし、頭の上にはリボンがくっついたベレー帽まで乗っかってるし――なんかもう気が狂いそうだ。わたしの必死の訴えにより全体のトーンだけはシックに纏めてもらったとはいえ、ゴスロリっぽさは増してしまったし、存分にらしくない格好であるには違いない。ほんと帰り道の恥ずかしさときたら昼間の比ではなかった。これなんて羞恥プレイ?
てかそんなことより、冷静に考えて、なんか、そもそも根底から間違ってるだろうこれ。
一体どうしてこんな格好になったのか。確かにスモーカーさんの言の通り、当初の予定では年相応の服装を選ぶ……と言う話だったはずなのだ。服飾店に入ったのも、服を選んでもらうと言う展開にも、その時点ではおそらく何ら問題は無かったのだ。ただ、わたしの唯一の誤算は、ヒナさんに秘められし少女趣味の存在と――それがまさかの自分に向けられたことである。
初め、ヒナさんのチョイスはまともだった。だからこそ気付けなかったのだ、試着の回数に比例して増えていくフリルの量に。エスカレートするひらひらを不審に思ったときには後の祭り、そのうちたしぎ姉さんもノってきてしまって、そこからは回避不可のフリルの嵐。そうして結局2人の気迫に押し負けたわたしは、現在こうして赤っ恥を晒す羽目になっているわけである。ああ、おつるさんの隊のお姉さん達よりもお二人のが出世してるってのがどういうことか、きちんと理解しとくんだったよ。お二人は申し訳ないけど、今後一緒にショッピングは控えさせていただこう、切実に。
「駄目ね、スモーカー君。女の子の褒め方がなってないわ。もう少し色好い反応を期待していたのに、不満よ、ヒナ不満」
「お前の趣味に賛同してやる謂れはねェんでな。そもそも外見なんぞに一喜一憂したところで意味のねェ話だろう」
「冷めた反応ね、つまらない男」
取りつく島もないスモーカーさんに、ヒナさんはどうやら不服そうである。まあその点はわたしもスモーカーさんに賛成だけど、というかこれってやっぱり、ヒナさんの趣味をハナから知ってたんだよなスモーカーさん。ああちくしょう、つまり全部予想してて黙ってたのかこの男。何という恥、張っ倒すとかそんなんでは済まされない、葉巻ごと焼却処分してやりたい気分だ。
「そう拗ねるな、ナマエ。別に似合わねェたァ言ってねェだろ」
「……拗ねてないです、キレてるんです」
「似たようなもんじゃねェか。ほら、さっさと入れ」
遠慮する様子もなくスモーカーさんはわたしの腕を引き、玄関の内側へ促してくる。ちくしょう、謎に手慣れたエスコートが微妙にむかつくぞ。ふらふらと履き慣れない靴で敷居を跨いでから、わたしは挨拶すべくくるりと振り返って、外側に立つヒナさんを振り仰いだ。
「ヒナさん、今日はありがとうございました。けどやっぱり服は今後、自分で選ぶことにします」
「あら、残念。少し夢中になり過ぎてしまったけれど、わたくしはナマエが可愛くて大満足よ。また機会があれば出かけましょう」
「はい、ショッピング以外ならぜひいつでも」
うん、もう着せ替え人形はこりごりだけど、今日のお出かけは楽しかったし、また同じ顔ぶれで遊べたらいいなとは思う。わたしが素直に笑顔を返すと、可愛いのに、とヒナさんは少し残念そうに呟いてから、柔和に微笑んでわたしの頬を軽く撫でてくれた。その仕草にわたしが気を取られていると、ヒナさんは不意に顔を上げ、スモーカー君、と呼びかける。
「今日のこと、特に問題はなかったわ」
「……あァ、ならいい」
スモーカーさんはそう短く切り上げた。まただ。この妙なよそよそしさ。
わたしが怪訝に思って眉を寄せるより早く、スモーカーさんはどこか不自然な性急さでドアノブを引く。彼の思い通りに誤魔化されるのは癪だけど、ともあれわたしは身を引いて、慌ててヒナさんに手を振った。
「それではヒナさん、また本部で!」
「ええ、また」
ヒナさんはそう遠くないうちにしばらく本部を離れるらしいから、この挨拶ができるのも今のうちだけかもしれないなあ、と少し寂しいような感慨を覚えつつ、わたしはそんな風に別れの言葉を交わす。上品な動作で手を振り返すヒナさんの姿が、そのままドアの隙間に消えていった。
バタン、と玄関の戸が閉まるのと同時に、隣に立っていたスモーカーさんが身を翻す気配。振り向けば、彼はさっさとリビングの方へ歩きだしていた。
「あ、スモーカーさん」
「……なんだ」
呼び止めるように、彼の背中に声をかける。微かに振り向いた横顔には、先ほどの短い会話について追求するなと書いてある気がした。喉まで出かかった問いを引っ込めて、わたしはゆるく首を振る。
「いえ……あ、そうだ。作り置きしといたご飯、食べてくれました?」
リビングの戸をくぐったスモーカーさんから、あァと肯定の返事が返ってくる。動きにくい厚底の靴を脱ぎやって、わたしはいつものスリッパに履き替えた。この世界では土足文化が一般的とはいえ、外靴と履き替えたくなるのは日本人の性だ。ふりふりのこの服とはあまり釣り合わない素朴なスリッパを引っ掛け、わたしもリビングへ足を踏み入れた。
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