No Smoking


▼ 17-1/3

「わたし、スモーカーさんには喫煙の弊害が適用されてないと思うんですよ」

 力なく溢れたわたしのため息交じりの台詞に、両脇に座っているたしぎ姉さんとヒナさんが首を傾げる。

「つまり、喫煙すると体力が落ちるだとか、体臭がたばこ臭くなるだとか、肺が悪くなるだとか、そういうのです。あんだけヘビースモーカーのくせにピンピンしてるのって、普通に考えておかしくないですか? そうなるとやっぱり、"悪魔の実"のせいなんじゃないかと思うんです。クザンさんが実を食べてから体質が変わった、とおっしゃってたのを聞いて、そういう仮説を立てたんですが……」

言葉を濁すわたしを、ヒナさんがそれで、と促す。

「だとすると、スモーカーさんが葉巻を吸うことによる問題点って、副流煙しかないんですよ。つまるところわたし、ひいては周囲が困るだけなんです」
「うわあ〜……」
「あら……」
「あの人が他人のために喫煙を控えるとは思えないんですが、もうそれ以外の動機はありえないんですよ……」

お二人は困り果てたわたしに励ますような眼差しをくれる。元気付ける言葉に彼女たちの優しさを感じつつ、わたしは咥えたストローで無くなりかけのジュースをズズと啜るのだった。



 わたしは現在、スモーカーさんの自宅とは反対側にあるため滅多に訪れないマリンフォードの東側――その大通りに面した、オシャレな喫茶店を訪れている。そう、今日は兼ねてから予定していたヒナさんたしぎ姉さんとお出かけの日なのだ。わたしは言うまでもなくこの優しくて美人さんで話のわかるお二人が非常に大好きなので、それはもううきうきとこの日を楽しみにしていたわけである。最近妙に窮屈な日常を過ごしているので、開放感も欲しかったのだ。

 ……しかし並んで街中を歩いているとなんとも目立つ。この世界の平均値が高いとはいえ、お二人とも目を引くレベルの美人さんだし、すれ違いざまに眺めたくなる気持ちはとてもわかる。超わかる。
 ところが逆に、一周回ってなんでもないわたしが目立つ。なんでだ。そんな目でわたしを見ないでくれ通行人さん。まあ、もし本当にわたしが12歳程度に見えるのだとしたら、確かに傍目には謎の存在ではあるのかもしれないが。一応わたしは自分の体型にコンプレックスがあるわけじゃないし、あまりこう言う点で卑屈にはなりたくないんだけど、やっぱりちょっと気にしてしまうのは事実だ。まあだからこそ今日はヒナさんにお洋服をプロデュースしてもらう訳だし、うん、楽しみにしとこう。

 それはさておき、少し早いけどお昼にしようとヒナさん行きつけの喫茶店に入ったわたしたち。美味しいご飯を頬張りつつ雑談に花を咲かせていたのだが、やはりこの顔触れとなると話題の共通点はあの煙男になるわけで。悲しいかな、デザートが出て来る頃になると、朗らかなランチタイムはため息交じりの愚痴会に早変わりしてしまっていたというわけだ。



「でも、やっぱり同居となると大変ですよね」

 そんなこんなで話を切り上げたわたしに、たしぎ姉さんが悩ましげな眼差しをくれた。今日の彼女はオフだからか、海兵として働いているときよりも幾分か柔和な雰囲気で、一言でいうととびきり可愛い。たとえ口にしているコーヒーがうっかり砂糖とミルクを入れすぎて大変なことになっているとしても、姉さんは今日も魅力的だ。

「私も出来れば、喫煙はもう少し控えていただきたいと思います。やっぱり受動喫煙は気になりますから。応援してます、ナマエさんの心と体の健康のためにも!」
「たしぎ姉さん……」
「ふふ、そうね」

ヒナさんも微笑ましいものを見るような視線をこちらを向けながら、手にしたティーカップを傾ける。薄桃色の髪を耳に引っ掛ける美しい仕草に、今向こうのテーブルの男の人の目がハートになった気がした。うーん流石はお姉さま。

「喫煙に関してはあまり人のことは言えないけれど、わたくしも応援してるわ、ナマエ。あなたの手腕なら太鼓判を押せるもの」
「そっか、ヒナさん大分禁煙続いてますもんね。すごいなあ、ナマエさん」
「えへへ、ありがとうございます」

そんなに褒められると照れてしまう。自分でも消臭と喫煙というこの点に関してはこだわりが強いので、認められると普通に嬉しいというものだ。ほんと、いつかスモーカーさんにも通用するといいんだけど。


「ところでナマエ。あなた最近、何か危ない目に合ったりした?」

 ふと会話が途切れた時、思い出したみたいにヒナさんが口を開いた。カップを置いたたしぎ姉さんが心配そうな顔をするが、特に心当たりは無くてわたしも首を傾げるばかりだ。

「? いえ、これといって覚えはないです」
「そう……」
「何か事件でもあったんですか?」

たしぎ姉さんは不安そうだ。その視線はなぜかわたしに注がれている。ん? いやわたしは本当に知らないぞ。いくら巻き込まれ体質だからってそんな失敬な。まあたしぎ姉さんと一緒にいるときはトラブルも多かったし、気持ちはわからんでもないけど。そして案の定、ヒナさんもゆるりと首を振った。

「いいえ、ただスモーカー君が、あなたのことを随分心配していたみたいだから」
「ああ……なんか最近、変なんですよ」

ヒナさんのセリフに思い当たる節があって、わたしは苦い気持ちで肩をすくめた。

 そう、数日前――あの喧嘩した日以降、スモーカーさんの過保護っぷりが以前に増して酷い。いっそのこと言えばおかしいのだ。いやはや一人での外出を控えろとは、わたしを一体何歳児だと思っておられるのか。とはいえあの人も理由がない訳じゃないのだろうし、あまり文句を言う訳にもいかず。というかそれはスモーカーさんに限った話では無くて、クザンさんとかおつるさんとかもなんとなく変な感じなのだ。
 なので近頃は、朝からスモーカーさんと一緒に本部へ赴き、帰りに夕飯の買い物をして、という感じにさせられている。帰り道もなんとなく視線を感じるから、もしかすると護衛とか付けられてるのかもしれない。……と思って確かめてみたら案の定おつるさんの隊のお姉さんがいらしたので、お姉さんの尾行がバレたことを秘密にする代わりに、夕飯の買い物に付き合ってもらっている。でもやはり、彼女も詳しい事情は知らないらしい。

「スモーカーさんが理由を話してくれないので、詳しいことは分からないんですけど。まあでも、やたら過保護なのは確かですね」
「そう言えばスモーカーさん、最近よく青キジ大将とお話しされてますけど、何か……」
「詮索は止めておきましょう。話さないのなら何か理由があるのでしょうし」

 首を振って遮ったヒナさんに、たしぎ姉さんも慌てたように頷いて口を閉ざす。勿論、わたしも無理に知るつもりはないのだ。不満がない訳ではないから、この機会に愚痴っとけばよかったとは思うけどさ。

 ともあれそろそろ愚痴話のネタも尽きてきた。ヒナさんの新兵時代のいざこざや、たしぎ姉さんの左遷の苦労話でお腹もいっぱいである。あとさすがヒナさんのオススメ店、ご飯もデザートもとても美味しかった。機会があればまた来るとしよう。

「さて、そろそろ出ましょうか」

 ヒナさんが腰を上げたのに続いて、わたしたちも椅子から立ち上がる。荷物を手に取りつつこれからどうします?と尋ねたたしぎ姉さんに、ヒナさんはフフ、と上品な笑顔を向けた。

「これからがメインよ、たしぎ」
「というと……」
「ショッピングよ。……ナマエ、あなたを着飾るの、わたくしとっても楽しみにしてたのよ、ヒナ待望だわ。とびきりおしゃれしましょう」

ヒナさんの笑みは柔和なのに、なんとなく逃れられない感がある。これが"黒檻"の力とかなのだろうか。いや勿論、わたしも楽しみなのは山々なのだが……しかしなんか、ヒナさんの目が怪しいような。ううん、気のせいだといいんだけど。



 店を出て通りを進む。同じマリンフォードとはいえ、やはり慣れない東町は風の匂いが少し違う。わたしにとってあの家から本部への道のりは、すでに子供の頃からの習慣みたいに体に馴染んでいるのだと、こんなときにふと自覚する。それは確かな過去がないわたしにとって、なんとなく、嬉しいことだった。

 二人に続いて石畳の上を歩いていると、ふと、建物の隙間――狭い路地から、嫌な匂いがしたような気がして、わたしは一瞬足を止めていた。煙草か、葉巻か、もしかするとどちらでもないような、変な匂い。しかし足を止めたときにはそんな匂いはもう消えていて、けれどぽっかり黒く、違和感のあるその路地からは、訳もなく嫌な気配がした。しかしそれがどうしてなのか、わたしはやはりよく分からなかった。

「――ナマエさん?」

前方からたしぎさんの呼び声が聞こえてくる。わたしは妙に気を引かれた路地から目を逸らして、はあいと返事をしながら彼女たちの後を追いかけた。よく知らない地域で過敏になっているのだろうと片付けることは、存分に容易いことだった。

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