No Smoking


▼ 15-2/2

 橙色の室内灯に照らされた、如何にも居酒屋といった風体の店。暖簾をくぐった瞬間に、むわりとした熱気に頬を撫でられた。シックな色合いで統一された和風の内装はどことなく上品で、少しばかり気後れしてしまいそうになる。勘定場が間仕切られている店の構造上、この位置から中の様子を伺うのは難しかった。

「おォ、こっちこっち。早かったなお前さん方……」

 私たちが居酒屋に上がり込むやいなや、上機嫌に片手を挙げつつ、おそらく席を離れて戸口まで出迎えに来てくれた青キジさん。一体いつから呑んでいたのだろう……ナマエさんを引き止めてからずっととなると、完全に出来上がっているのは間違いないと思うけれど……。
 そうして青キジさんと向かい合う私たち。いつの間にか背中から下ろしたらしい十手の先端をガツンと地面に押し当てて、スモーカーさんは鬼のような形相のまま、低く唸り声をあげた。

「こないだ呑んだ時たァ違って、ずいぶん楽しそうじゃねェか……青キジ」

 お、おっかない……。道中夜風に吹かれて頭は多少冷えたとはいえ、スモーカーさんの怒りは未だ健在だ。青キジさんに対しての凄みようは、どう見ても上司に向けてのそれではない。例えるなら借金を取り立てるヤクザじみた恫喝である。ううしかし、気持ちは分かるとはいえ、店内で得物を取り出すのはいくらなんでも危険すぎます、スモーカーさん。

「あー……まァあれから色々あってな。ナマエちゃんと話してるうちに整理がついたっつーか……つまりなんだ、吹っ切れたんだわ」
「そりゃ構わねェが、良識まで吹っ切れててちゃ世話ねェなァ……?」
「お、お前さん、怒り方めっちゃ怖ェな……」

 腕っ節や地位でいけば圧倒的に強いのは青キジさんのはずなのだが、スモーカーさんの剣幕に流石の彼もたじたじのようである。口にしているのは皮肉めいた言葉ながら、スモーカーさん、かつて無いほどに顔が怖い。
 しかしかくいう私も、青キジさんに言いたいことは山ほどある。ナマエさんは未成年の女の子なのに、無理やり連行した挙句、お酒まで呑ませるなんて……。私は一歩前に出てスモーカーさんの陰から抜け出し、内心恐縮しつつも口を開いた。

「あ、青キジさん、一体何をなさっているんですか!」
「あららら、たしぎちゃんじゃないの。お前さんはこういう場にゃ顔出さねェと聞いてたが……」
「当たり前です! 私も自衛くらいしているんです。女性一人で酔っ払うことの危険性くらい分かります! だというのに、青キジさん、ナマエさんになんてことを……!」

 女性も一定数いるとはいえ、実際のところ海軍の大半を占めるのは男性だ。女性海兵の配備は気を使うところであるのには違いなく、私がその中でも快適に過ごさせて貰っているのは、実際のところ上司スモーカーさんのおかげである。ドジだのマヌケだのとは言われるけれど、そんな私ですらそういう点ではまだ隙を見せたことはないのに、うう、ナマエさんの貞操を脅かすなんて、青キジさん、冗談抜きで許せません。

「まァそうカッカすんなたしぎちゃん……折角来たんだし、一杯どうよ」
「か、絡まないでください、お断りします! ……というかナマエさんは何処にいるんですか?」
「そう急かしなさんな。何も取って食うわけじゃあるめェし……」
「さっさと吐け。長居するつもりはねェんでな」
「ったく、やれやれ……淡白な後輩だな。ナマエちゃんならこっちだ。……とりあえずついて来い」

 彼は怒り心頭の私たちに悪びれもせず、身を翻してのっそりと店の奥へ進んでいく。舌打ちしつつ十手を収めたスモーカーさんとともに青キジさんに従い、私は店内へと足を踏み入れた。

 しかし普段から来ないせいで、やはりこういう場は慣れない。私はスモーカーさんの背後から離れないよう、おっかなびっくり足を運ぶ。そっと店内を見回せば、見覚えのある将校クラスの海兵たちの顔もちらほらと伺えた。青キジさんのせいで悪目立ちしているのか、こちら目掛けてやたらと好奇の視線が突き刺さってくる気がする。ああ、落ち着かない……けど、ここまで来たからにはナマエさんの無事を確認するまで意地でも帰れないのだ。私は背筋を伸ばして、萎縮する内心を叱咤した。


「ホラ……あっちの座敷だ」

 歩きながら青キジさんがふと顎をしゃくったので、私とスモーカーさんは部屋の奥へと目を移す。見ると、高さのある座敷席にどっかりと腰を下ろしているのは、こちらに目もくれず黙々とお酒を呑み進めている赤犬さんと、平時通りに飄々とした黄猿さんだ。うわあ、やはり三大将揃うと壮観だなあ……。

「で、ナマエちゃんも向かい側に居んでしょ」

 確かに、お二方の向かい側にちょこんと座っている背中は、ナマエさんのものである。隣の空席にはおそらく青キジさんが座っていたのだろう。しかしそうだ、あのお二方に限って青キジさんの暴挙をそのままにしておくなんてことは無いはず……と期待したのも束の間。彼らの会話が耳に入った途端、私は思わず身を硬くして、ピタリと足を止めていた。


「……さかずきさん、これへんな味するんですけど」
「なんじゃ……貴様は酒の良し悪しも分からんのか」
「お酒? そんなののんだことないです、未成年飲酒はだめ、ぜったいです」
「ナマエ〜、次こっち注いどくれよォ〜」
「えーと? んん……どっちですか」
「お前さんだいぶ酔ってるねェ……お猪口は一つしか無いでしょうよォ〜」

 手にしていた盃を置きやって、黄猿さんの要望のもと、へべれけなナマエさんがふらふらと頼りなくお酌する。そして何故かナマエさんの盃に酒をつぎ足す赤犬さんと、景気良くナマエさんがお酌した杯を煽る黄猿さん。そして当人であるナマエさんは、自覚はないようだが既にべろんべろんに酔っ払っているらしく、あらゆる仕草がふらついてたどたどしい。
 やがて手持ち無沙汰になったらしい彼女は、ふわりとあくびをしたあと、数回船を漕いでから力尽きたように机に突っ伏してしまった。口を噤んだまま呆気にとられる私たちの耳に、すうすうと浅い寝息が届いてくる。しかし、特に意に介さず呑み続ける大将たち。絶句するスモーカーさんと私。


 いや、……ええと。頭が追いついていないから整理させてほしい。
 ナマエさんはまだ未成年、常識で言えばあと一年はお酒を呑めないはずだ。そして青キジさんは彼女を居酒屋に連行。更に一緒にいた赤犬さんは彼女に酒を渡し、黄猿さんはお酌させ、そして今ナマエさんは酔っ払って寝落ちした、と……。

 ……。

「……………………な」


 な、な、何なんですか、この無法地帯は!?



「――何で大将が三人揃った席で未成年飲酒を容認してんだ! アンタらはそれでも海兵か!?」

 私が悲鳴をあげるより早く、横から飛んできたのはスモーカーさんの物凄い怒鳴り声である。相手は三大将だというのに、ここまで物怖じのしないスモーカーさんにはもはや尊敬の念を抱かざるを得ない。しかしそれでも、赤犬さんと黄猿さんのお二人はどこ吹く風。肝心の青キジさんも、よいせとお座敷に上がり込み、徳利を手に取りつつ肩を竦めるだけだ。

「だってよ、サカズキ。……お前、初めて酒呑んだの何歳んときだ?」
「何を抜かしちょるんじゃ……酒に年齢制限なぞあるか。置いてありゃ呑むのが酒じゃろうが」
「いやァ〜サカズキにそんな質問しても無駄でしょうよォー。まァわっしは良くないって知ってたけどねェ〜。ナマエがお酌してくれるって聞いたから止めなかったよォ〜」

 和気藹々と頭の痛くなりそうな会話を繰り広げる大将たち。し、信じられない。
 確かにこの大海賊時代、年齢制限など無いようなもので、若い子も平気でお酒を呑んだりはする。この人たちとは世代観も違うし、その点は致仕方ないのかもしれない、けれど……! しかし、海兵がそれを目の前で容認してもいいのかと言われたら、それは否であろう。いくら年齢が判明したとはいえ、ナマエさんが未成年なのは確かなのに。

「てめェら……」

 私の横にはやはり、傍目にもブチ切れているスモーカーさん。十手の柄に行きかけた彼の手を見て、流石にこれ以上放置するとよろしくない沙汰になると判断したのか、青キジさん執り成すように言い訳を口にする。

「まァまァ、スモーカー。とりあえず座れ……。一応ナマエちゃんに呑ませる気はなかったのよ。最初の一杯呑んじまったのは事故みてェなもんで……」
「だから、そもそもこんな場所に連れてくるなと言ってんだ。ガキの来る場所じゃねェだろうが……!」
「そうは言うがお前、年齢的に言やァナマエちゃんはもう十分大人だぞ。来年にゃ成人なんだし……」
「分かってんならどうして来年まで待てねェんだ!」

全く怒りを納める気の無いスモーカーさんを見て、青キジさんは困ったように頭を掻く。な、なんだろう、どう考えても悪いのはこの人なのに、どうしてスモーカーさんや私が意地になってるだけ……みたいな扱いをされているのだろうか。理不尽な。
 青キジさんはお猪口を傾けつつ、フー、と小さく息を吐き出した。頭にあった腕でスモーカーさんを行儀悪く指差し、彼はどこか皮肉げに口を開く。

「つーかスモーカー、お前……自分のこと棚に上げて言うじゃないの」
「あァ……!?」
「お前、絶対成人してから喫煙始めるような性格じゃねェし……アレだろ、ガキの頃から平気で吸ってたタイプだろ。未成年どうこう言えないでしょ」
「……! ……」
「しかも今だって、喫煙嫌いのナマエちゃんの前で吸いまくってんじゃない」
「……。…………、……」
「ちょ、ちょっとスモーカーさん!? 青キジさんも、論点を逸らさないでくれませんか!」

沈黙するスモーカーさんに焦る私。いやそれ、青キジさんこそ、自分のことを棚に上げすぎなのではないだろうか。確かに喫煙に関しては、スモーカーさんが圧倒的に不利なのは事実だと思うけど。

「つまりはナマエちゃんが心配なんでしょ……ちゃんと返却するから、少し待ちなさいや」

 相変わらず軽い調子で呟きながら、青キジさんはお猪口片手にナマエさんの方へ身を捻る。彼が呼び声をかけつつ、机に突っ伏している彼女の肩を軽く叩くが、返ってきたのはくぐもった呻き声だけだった。

「――ナマエちゃん、起きれるか?」
「うぅん……ん……」
「ナマエちゃん」
「……。……ぐう」

軽く揺さぶられても、全く起きるそぶりを見せないナマエさん。ここまで泥酔するなんて、一体どれだけ呑まされたと言うのだろう。彼女の髪の間から覗いた耳の端が、紅色に染まっているのも見て取れた。

「んん……こりゃ起きねェかもな……」
「それなら、介抱は私が――」
「いや……待て」

名乗りを上げようとした私を遮ったのは、ため息交じりのスモーカーさんの声だ。その様子を見るに、葉巻の件もあり、流石に怒りを鎮めるしかなかったらしい。スモーカーさんはナマエさんを背中側から覗き込むように腰を折り、ずいぶんと自然な仕草で、彼女の頬にかかった髪を掬い上げた。

「ナマエ」

店内の喧騒に紛れて消えそうな、しかしどこか確信めいた、たったの一言。何のことはない、いつも通りに名前を呼んだだけなのだけど。


「――すもーか、さん、ですか……?」

 頑なに瞼を塞いでいたナマエさんが、ゆっくりと薄眼を開くのが見えた。どうして今ので目を覚ますのか……まるでスモーカーさんも、ナマエさんが起きること、分かってたみたいだし。
 片目を擦りつつのろのろと上半身を起こし、何度か瞬きを繰り返すナマエさん。彼女はこちらを振り返り、据わりきった眼差しでスモーカーさんを見上げた。

「ナマエ、お前……」
「葉巻がくさいです」

眉を寄せて、突拍子もなく口を開いたナマエさん。は? と言う顔をするスモーカーさんを歯牙にもかけず、ナマエさんはいきなり両手を伸ばし、その小さな手でジャケットをひっ掴み、ぐいとスモーカーさんの胸元へ身を寄せた。咄嗟に反応しきれなかったスモーカーさんが座敷の上に片膝をつく。ナマエさんは柔らかそうな頬を彼の胸板に押し付けて、すん、と鼻から息を吸い込んだ。

「スモーカーさんはあれですねー……すっごく煙くさいです。葉巻、すわないでくださいよ」
「おい、ナマエ」
「なんですかー、スモーカーさん」
「……。……」

文句を言いつつも機嫌良さげにふにゃふにゃと笑うナマエさんに、流石のスモーカーさんも困惑気味である。紅潮した頬に呂律の回っていない口振り……正直びっくりするほど可愛らしいんだけど、しかし妙なのは、スモーカーさんとの距離が謎に近過ぎることだ。
 なにしろナマエさんは筋金入りのスモーカーさんもとい葉巻嫌い。私の記憶が正しければ、匂い移り許すまじと触れることすら拒否している、という光景が定番のはずなのだ。それに事実、今こうして葉巻の匂いを言及したのに……これは一体、どういうことなのか。

 彼女は身を起こしておもむろにスモーカーさんの手を取り、自身の頬にくっつける。眉尻を落としたナマエさんが口にするのは、少し沈んだような声色だった。

「帰れなくてごめんなさい。……夕飯も、まだですよね、スモーカーさん」
「……謝るな。今回もお前に責任はねェ」
「でも今日はですねえ、生姜焼きなんですよ。おみそ汁はなめこだし、もうお肉は漬けてあるし、あとは焼くだけだったんですよ」
「そうか」
「だから、帰ったら食べましょうね、スモーカーさん」
「……あァ」

スモーカーさんが頷いたことに、それはもう嬉しそうな顔で、柔らかく微笑むナマエさん。再び彼に身を擦り寄せて、ジャケットの内側にもぞもぞと入り込んでしまっても、やはりナマエさんはスモーカーさんの手を革手袋越しにぎゅうと握りしめて離さないままでいた。スモーカーさん自身も彼女のこの様子にはかなり戸惑っているようで、文句の一言も言わずにされるがままである。
 やはり何かがおかしい。いくらナマエさんが酔っ払っているとはいえ、スモーカーさんへの態度はどう考えても異様だ。赤犬さんや黄猿さんも珍しそうにナマエさんを見ているし、やはりこれはスモーカーさんに対してのみの反応というわけで。


 二人の様子を伺っていた青キジさんがふと不満げに眉を寄せた。どうにも以前スモーカーさんが『青キジは酒が入ると愚痴っぽくなる』と言っていたのを思い出す。もしかして、退散を急いだ方が良い、のかな。

「前から思ってたが、お前さんってずるくない?」
「あ?」
「同期の美人女将校と腐れ縁だわ、可愛い部下もいるわ、挙げ句の果てにはこんな献身的な保護対象の女の子と同居とか……贔屓だよなァ」
「ずるいだの贔屓だの考えてる時点で、アンタは問題外なんだろう……」

スモーカーさんはため息まじりにそう言って、ジャケットの内側に入り込んだナマエさんを左手で引きずり出した。相変わらずその右手は、ナマエさんに握りしめられたままである。

「……わっし全然知らないんだけど、ナマエとスモーカーの関係って、一体どうなってんだい〜?」
「保護対象の管轄じゃろう……身元の預かりもしちょるんと違ったか」
「へェー……しかしあの子、料理までしてんだねェ〜」
「保護対象に労働させるとは感心せん……」
「きっとナマエはいい奥さんになるねェー」

 しかもあっちはあっちで微妙に噛み合わない会話を繰り広げている。ひとまず気を悪くされていないのが救いだ。そしてナマエさんは、スモーカーさんの手を裏返したり、またひっくり返したりと謎の行動を繰り返している。

「しかしお前にはずいぶん甘えただなァ、ナマエちゃん……これ明日、覚えてんのかね」
「……確実に記憶は飛んでるだろうな。こいつが寝ぼけて口走ったことを覚えてた試しはねェ」
「お、じゃあ何やってもセーフじゃない」
「"だから"止めろっつってんだ」

ナマエさんはスモーカーさんの手袋を引っこ抜き、再び頬に押し付けている。な、なんか可愛いことをしている、というのに目もくれないスモーカーさん。精神が鋼で出来ているとかなのだろうか。

「それで、ナマエちゃんの飯ってやっぱり美味ェのか?」
「……食えなくはねェ」
「あ! こんな言い方してますけど、スモーカーさんはナマエさんの料理が好きなんですよ。この間もナマエさん、褒めてもらったと喜んでましたし、それに作ってきてくれるお菓子も美味しいですし」
「おい、たしぎ」
「おーそりゃいいじゃないの、今度おれもスモーカーんち行って相伴に……」
「あ、そ、それは駄目です、私が先約なので……!」
「てめェら勝手に話を……、……!」

いきなりスモーカーさんがビタリと硬直した。突然どうしたのかと、私と青キジさんが目を移す。特になんのことはない、相変わらず彼の懐にはナマエさんが収まっているだけで……。いや。ナマエさんの様子がおかしい。先ほどまでと同様にスモーカーさんの右手をいじり倒しているのは確かではあるが、いや、あの。


 ナマエさん、スモーカーさんの手を、食べている。


「スモーカーさんの指は、かむと煙になりますね」

スモーカーさんの手に歯を立てて、感心したように呟くナマエさん。さ、先程から様子はおかしかったけどとうとうここまでの奇行に走り始めるなんて。スモーカーさんの手を齧る彼女の口から、ふわりと白い煙が漏れ出している。とにかく遮ろうと、私は慌てて彼女の肩を引いた。

「こ、こらっ、ダメですよ! ナマエさん、ばっちいです、ペッしてください!」
「たしぎてめェ……」
「今更何言ってるんですかあ、たしぎねーさん」

ナマエさんは焦点の合わない目を細め、少し呆れたような顔で微笑を浮かべる。口からかふりと煙を吐き出しながら、彼女は掠れた声で呟いた。

「わたしの体なんて、とっくの昔にスモーカーさんに汚されちゃってますよ」



「…………」
「…………」
「…………」


 幸い向かいの二人には聞こえなかったようだけど。いや、なんですか今の。スモーカーさん、まさか、とうとう……信じたくない。

「…………いや、いやいや……」

 私たち三人の中で、一番初めに気を立て直したのは青キジさんである。引き攣った口端を隠そうともせずに、彼はスモーカーさんの方へ首を傾けた。

「――話を聞かせて貰おうじゃないの、スモーカー……?」
「断る、冤罪だ」

 即座に否定したスモーカーさんの横顔は、珍しく取り乱したような表情を浮かべている。先程のナマエさんの発言は、彼にとっても衝撃的であったらしい。となると、やはりスモーカーさんに後ろ暗いところは無いのだろう。よくないけど、よかった。信じてますスモーカーさん。
 しかしそんなことはお構い無しに、青キジさんは掴みかからんばかりの勢いでスモーカーさんに詰め寄った。スモーカーさんはナマエさんの腕をひっ掴み、自分の方へ引き寄せつつ背後に下がる。

「冤罪なわけねェでしょうが……有罪だ有罪、弁明無用だスモーカー!」
「は、葉巻の話に決まってんだろうが!」
「あァ勿論、おれァ分かって言ってんのよ……!だが許せん、今のセリフをナマエちゃんに言わせたお前が憎い、スモーカー……ッ」
「チッ、これだから酔っ払いは……!」

彼の手にした酒がピキピキと凍っていくのを見て、スモーカーさんが焦ったように舌打ちをする。もうダメだ、青キジさんもかなり酔っているし、話し合いが通じるとは思えない。更にそんな時に机の向かい側から聞こえてきたのは、身の毛もよだつような大将の声である。

「貴様、騒々しいのォ……クザン。酒の席くらい大人しくしとれよ。それとももう酔いが回っちょるんか」
「ちょっとちょっと、聞き捨てならねェなサカズキ……誰が酔ってるって?」
「わっし、サカズキの火に油を注いでいくスタイル、大好きなんだよねェ〜」

 ……収集がつかなくなってきた。

 そんなこんなでスモーカーさんは、青キジさんの気が逸れた隙にナマエさんを抱きかかえ、素早く身を翻す。素のままの右手で十手を抜きつつ、彼は出口の方へ足を向けた。

「急げ、たしぎ!」
「はっ、はい!」

 ナマエさんの衝撃発言から完全に呆然としていた私に、スモーカーさんの怒声が飛んでくる。ああもう、今日は本当に行き当たりばったりというか、しっちゃかめっちゃかというか、これなら部屋で事務仕事をしている方がよっぽど気が休まるというものだ。

 私は大将方に「失礼しました!」とだけ言い残し、例のごとく先を行くスモーカーさんの後を追う。今回の件はしっかりとおつるさんに報告して、青キジさんたちに言い含めてもらわなくては、と胸に刻みつつ、私たちは夜の路地へと逃げ込むのであった。

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